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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(後編)二章 神々の島エデン
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72話 不老不死の水

 焚き火の勢いが増し、宴も盛り上がってきたところで、素っ頓狂な声を出したのは小太郎だった。


「そうじゃ! 泉の水は!?」


 これを忘れてはいけない。イアンは懐から小瓶を出した。闇が濃くなると、よくわかる。小瓶の中身は発光していた。

 イアンが掲げた小瓶を見て、そこにいた全員が「おおお!!」と声を上げた。


「光をまとっているということは泉の水に違いない!」

「たいしたものじゃ!」

「我ら魔人でも成し遂げられんことを、人の身で易々(やすやす)と……」

「この偉業は歌人たちが詠い、未来永劫に語り継がれていくことじゃろう!」


 河童や天狗は口々にイアンたちを誉めちぎった。


 ──よかった。あの時、水を取れて


 イアンはホッとした。水中でもバランスを崩すぐらい地面は揺れていたし、手がすべり、危うく瓶を落としてしまいそうだった。それから、渦潮にも巻き込まれたのだ。自由に手足すら動かせなかった。水のことを忘れたままだった可能性だってある。本当にタッチの差で成し遂げられたのだった。


「その水のことだけど……」


 ところが、せっかくのいい雰囲気に水を差す者が一人――

 イザベラが割って入ってきた。いつにも増して声が低く、不機嫌そうだ。


「泉の水って結局外へ流れ出ているじゃない? 中の水は体力回復もするし光っているのに……外へ出たとたん、光らなくなり効力もなくなる。それはなぜかしら?」


 皆、きょとんとしている。誰もこのミステリーを解明するだけの知能は持ち合わせていないようだ。


「……わしらも、ようはわからんのじゃが……」


 歯切れ悪く答え始めたのは河童の長老エカシである。白い長髭をとかしながら……()いたところで考えがまとまるわけではないだろうに。この髭人種どもはアスターも含め、髭をナデナデすれば、たいていのことは上手く説明がつくものだと思っているらしい。


「中に綿毛がたくさん飛んでおったじゃろ? あれはかつて、人だったものの心の断片なんじゃ。地の底から水と一緒に吹き上げられ混ざり込むことによって、強い生命エネルギーを発しておる。恐らく洞窟の中と外では空気が違うのじゃろう。綿毛は外へ出ると消えてしまうのじゃ……」


「見えないだけで、外には醜い感情が渦巻いておるからな? 裸の心では生きていけぬ。たちまち消失してしまうのだ。邪念、悪徳……業の深さよ」


「太郎の申す通りじゃ。知能が高ければその分、(ごう)を背負うことになる。わしらの体から発する瘴気もそうよ。現し世は常に汚れているもの。逆に言えば、欲望に忠実でシンプルな個体ほど負うものは少ないのじゃ。地を這う虫とかな? 人の目から見て残酷な世界であっても、それを残酷と位置付けぬ清らかさよ」


 太郎と長老の話はいやに哲学的で、イアンには難しかった。


「つまりな、外気に触れると泉の水は力をなくしてしまう。だから、なるべく触れないよう密閉性の高い容器に入れておれば大丈夫じゃ。まあ、完全に効力が失われるわけでもないがな? なぜなら、わしら河童も天狗も長命じゃろ? ここの川の水を飲んでるからじゃ。他の異形どもも同様。わしらはこの聖なる泉を守る代償として長寿を授かっておる」


 ──なるほど。誤って封を開けないよう注意しよう


 イアンは今一度、小瓶の蓋をギュッと締めた。

 その後は仕切り直して、宴会を続けた。

 太郎の先祖がエゼキエル王と戦った時の話を聞いたり、アスターたちがオーガの群れを倒した話、八年戦争の時の武勇伝、エカシが若かったころ、この山に捨てられた女神の話など……話題は尽きなかった。

 一晩、天狗の里で宿を取らせてもらう予定だったが、ここで夜を明かしてしまいそうだった。

 カオルはヒュドラの所に着くまでイジイジしていたのに、今はすっきりした顔をしている。皆の話を聞きながら上品な笑みを浮かべ、ときおりうなずいたり言葉を挟んだりしていた。


 ──カオルがヒュドラを倒した英雄で、俺は補佐的な立ち位置だもんな


 今さら、その事実に直面してイアンはモヤッとした。戦っている最中は無我夢中だったから、手柄がどうとか微塵も考えなかった。が、終わってみれば……


 ──まあいい。どうせ、俺は世の中から抹消された存在だし


 興醒めすると、周りの様子を俯瞰できた。皆が和気あいあいとしているなか、一人だけ陰気な奴がいる。イザベラだ。

 こういう時、一番大はしゃぎしそうな奴が陰鬱な顔をして、少し離れた所で酒を煽っていた。


 ──何かあったのか?


 イアンとカオルは別の道を行ったから、イザベラとサチの状況は把握していない。ヒュドラの他に、もう一つあった巨大な気配はこの二人が倒していた。

 サチの話ではこうだ。


 土蜘蛛という肉体の半分以上が蜘蛛の化け物に出くわしたと。至る所に糸を張り巡らされ、身動きできなかったため、イザベラが炎の魔法で焼き払った。それで、全身焼かれ、死にそうな土蜘蛛にサチがとどめを刺したと。


「俺は何も……勝てたのはイザベラのおかげだよ」


 サチがつまらなそうに伝えるのは、本来守るべき女性に守られたことが原因かと思われる。イザベラほど気鬱を全面に出してはいないものの、自分の不甲斐なさに憤っているのかもしれなかった。


「里に帰れば、数日で毛の生える薬があるからやろうか?」


 天狗の一人がサチに話している。

 サチの無惨な髪を見かねてのことだ。焼け焦げてチリチリになった髪は、ただ黒く張り付いて頭皮を覆っているだけの状態だ。


「それはありがたい」


 少しだけ顔が明るくなったサチの横で、アスターが反応していた。


「なぬ……毛生え薬、とな?」

「アスター様にも差し上げますよー!」

「まあ、そんなに必要でもないが、頂けるものはもらっておこう。何かの時に役立つかもしれないからな、うん」


 ──あれ? クソジジイ、案外髪のこと気にしてた?


 毛生え薬に食いついているところを見ると、どうやらそうらしい。


「ですが、もう死に絶えた毛根には効果ないと思われます」


 天狗の青年は残酷な一言を投げかける。


「おっ、おお……私のはまだ元気だから大丈夫だと思うぞ?」

「そうでしたか。なら良かった。この様子だとここで一晩過ごしそうですから、今のうちに里へ取りに行って参りますね」


 このやり取りを耳にして、イアンは言葉に気をつけようと思った。自分の赤毛と同じく、アスターもハゲを指摘されると傷つくのだ。

 会話が途切れたので、イアンはサチに声をかけた。


「あっちで話さないか?」


 グルリと回って崖を上がり、昼間、相撲を取った表のほうへとイアンたちは向かった。向かうまでの間に聞き出そうと思ったが、サチは言葉少なに返すだけだ。やはり暗い。何かあったのは明白だった。

 星は高くまで昇り、気持ち良く瞬いていた。洞窟で意識が飛ぶ寸前に見たきらびやかな星々とは異なる。派手な(まばゆ)さはなくとも、優しさを感じた。

 

 土俵近くの倒木にイアンとサチは腰掛けた。土俵も仕切り線もそのままにしてある。賑やかな昼間の様相を思い出して、うら寂しくなった。


「何かあったんだろう?」


 好奇心を抑えつけ、なるべく沈んだ口調でイアンは尋ねた。サチは、まさか自分の話をされるとは思っていなかったのだろう。まず驚いた顔をし、やや躊躇してからうなずいた。


「イザベラと……」


 軽く瞼を閉じてから話し始めた。


「振られたんだよ」

「えっ……おまえがか? おまえが振ったんではなくて?」

「何を驚くことがある? 当然だろう」


 自己評価が低いのは哀れなことだ。身分の低さを差し引いても、彼はとても魅力溢れているというのに……。サチは自分をモテない人間と思って、完全にあきらめていた。


「よくは覚えていないんだ。洞窟内の妙な空気に幻影を見させられ、細かい記憶は定かではない。でも、振られたのは、はっきりしている」

「幻影……俺も見た! 誰かの記憶、みたいな? 戦地へ向かう父親が子供たちに別れを告げていた」

「俺の場合はちょっと違うな……? なんというか、別人格が入り込んでワアワア話し始め、それを外側からぼんやり見てる感じ」


 イアンは湖の底で意識を失った時のことを思い起こした。

 不思議な体験だった。実際、そこに自分がいるかのごとく、生々しい現実感があった。記憶の主と思われる人物の感情が自分の中へ流れ込んできたのである。それは以前、小太郎の心の中へ入り込んだ時と相似していた。

 悲しみや怒りを体内へ取り入れれば、苦痛を伴う。


 ──人の心なんかに触れるもんじゃないな


 イアンは思った。

 サチは振られた経緯を話し始めた。

 言葉はさらさらと、眼前の川のように流れ出た。いつも冷静、色恋とは縁のなさそうな用心深い人でも、感情を吐き出したいときがあるのだろう。


「以前から、なんとなくイザベラに好意を持たれているような気はしていた」


 ──そりゃあな? 気づかないほうがおかしいって


「で、本人に直接確かめることにしたんだ」


 ──思い切ったことを……


「洞窟内での記憶が曖昧だと言ったろう? その時に振られたような気はしてたんだけど、確証がない。だから、転移魔法で外に出てから意識がはっきりしたので、もう一度尋ねてみた。皆と合流するまえにな?」

「うん」

「俺と結婚する気はあるのかと」

「……は??」


 それはいきなり飛躍し過ぎではないか。好きかどうか、確認するだけだったのではなかろうか……


「そしたらな、親や家のこともあるし女王様の許可も取らないといけないから、今は考えられない……と。なら、俺のことはもう忘れてくれ。お互いそのほうがいいと伝え、彼女も納得した」

「……ちょ、ちょっと待て。性急過ぎやしないか? お互いの気持ちをはっきり確認し合ったわけでもないのに、いきなり結婚のことを持ち出すのは……」

「なんでだ?」

「なんでって……」


 アニュラスの人々は恋愛や性に関して奔放である。一部の原理主義者を除いては、だいたい好き勝手にやっていた。もちろん、トラブルがないわけではない。通常は金や物で解決する。うまくいかない場合は傷害、殺人事件に発展することもあった。

 また、性に寛容なことで異常者が少なくなっている側面もある。異常な性衝動を持つ者はごく僅かであった。


 特に輪姦や強姦が発生しやすい戦争中も、普段から奔放なために過剰な性暴力は見られない。肉体や精神を壊すほどの事例は滅多になかった。

 女のほうもおとなしくしていれば過ぎ去るのをわかっており、またこちらも貞操観念がないためにダメージは浅く済む。身を汚されても洗ってしまえば、まっさら元通りになる──というのが一般的な考え方だった。

 ただし、高貴な女性は別だ。


「イザベラは名家の娘だ。誰かと良からぬ噂が立てば、今後の結婚や人生に関わる一大事だ。恋人になるのなら、その先の結婚まで見据えなければ。彼女が俺でもいいと言ったら、添い遂げるつもりだった。傷物にするわけにはいかないからな? 心を弄び、慰み者にしてはいけない。町娘であっても、俺は同じようにした」


 奔放な風土で育っても、この考え方は充分納得のいくものだった。人と人は本来、対になるよう創られている。

 精力と財力があれば一夫多妻は許される。だが、人の心というものは複雑である。どんなに愛情を注がれようが、自分だけに向けられなければ邪念が生まれる。愛というのは誰しも独り占めしたいものだ。

 サチは生真面目に人本来の性に従おうとしていた。一人だけを愛し続けようと。それは一見理性的に見えて非常に感情的であった。


 イアンは求められれば応じ、その場限りの快楽を(むさぼ)ることに何の疑問も感じていなかった。サチの考え方は高潔で、これまでの自分が恥ずかしくなる。


 ──そうか。イザベラのことを考えたうえで、そう判断したのだな


 情の深さを感じた。理解し、共感までした。愛する人に対して、どれだけ誠実でいられるか。それがストイックであればあるほど、清らかだと思えた。

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