表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(後編)二章 神々の島エデン
386/914

68話 イアン対オロチ①

 イアンは湖底まで落ちず、岩壁にへばりついた。このまま壁を登って、水面へ上がれば助かる。呼吸は苦しいが、溺れたことは何度もあるし怖くなかった。

 

 カオルが助けに来るなんて、思いもしなかったのである。自分一人でなんとかするつもりだった。

 水中に下りてきたカオルはイアンの腕をつかみ、岩壁を蹴った。ゴボゴボッ……想定外の事態に吃驚し、イアンは水を吸い込んでしまった。

 なんてことだ! なぜ、こいつは逃げてないのだ!?――呼吸困難は思考を停止させる。カオルの心理を考察する余裕もなく、イアンは成すがままになった。


 カオルは沈みかけ、ふたたび岩壁を蹴る。二人分の体重で浮き上がるのは不可能だ。今度はイアンの腕を肩に回し、背負った。溺れかけのイアンはカオルにしがみつくことしかできない。

 カオルは岩壁をよじ登り始めた。澄んだ水を赤い血が(けが)す。手が岩壁のせいで、傷ついている。

 

「にゃにゃにゃっ」


 遠のく意識のなか、イアンはクロの鳴き声を聞いた。その直後に岩壁から陸へと押し上げられた。


 ――息が吸える!!


 助かったのだ! 

 イアンは岸に倒れ込み、激しく咳き込んで水を吐いた。肺が新鮮な気体で満たされた後、ようやく状況を確認することができた。

 カオルは先祖の刀とやらを構えて、ヒュドラを(にら)みつけている。刀の名は安綱だったか。

 ヒュドラはこちらを視認しているものの、身をくねくねさせるだけで、すぐには襲ってこなかった。理由は回復のためだ。カオルがやったのだろう。頭を二つ失っていた。その二つの赤い切り口から、にょきにょきと新しい頭が生え始めている。

 イアンが水中でもがいている短い間に、カオルが二頭も討ち取っていたのは意外だったし、早い復活にも目を疑う。

 だが、脳が動き始めるとイアンは怒りに支配された。

 

 ――逃げろって言ったのに、なんで助けたんだ? 馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め!!!


 罵声は心の中に留められた。大人になったからではない。気管に入り込んだ水のせいで、呼吸が苦しかったからである。

 

「なんで……助けた……? 逃げろって……」


 やっとのことで声を振り絞った。すると、


「なんでか? 君が溺れて死にそうだったから。おれは弱い者を見捨てたりはしない」


 背を向けたカオルから笑える答えが返ってきた。


「よわ……いもの……?」


 ──何言ってんだ、こいつは? 俺が弱い者、だと? 天狗の長を倒し、河童を素手でねじ伏せたこの俺が??


 笑いそうになって、イアンは再度むせた。カオルは背を向けたままだ。


「そうだ、弱い。すぐ泣くし、一人では何もできない。一人で生きられもしないくせに、人に逃げろなんて言うな!」


 カオルは本気でイアンを弱いと思っているらしかった。痛いところを突かれ、イアンは激昂しそうになった。


 ──ふざけるな! 弱いのはおまえのほうだろうが! 岩壁を自分でよじ登れば水面へ上がれたんだよ! 余計なことをするんじゃない!


 折よく、咳き込んだので言葉は発射されなかった。

 波が高くなる。キャンフィの……今はカオルの黒猫がイアンの肩に飛び乗った。


「にゃおおおおおおおーーーん! にゃんにゃんにゃおおおおーー! にゃーん!」


 突然飛び乗られたあげく、耳元でニャアニャアやられたので、イアンは驚いてしまった。

 黒猫は目の前のヒュドラを威嚇しているようだ。こんなに小さな体で好戦的なのは賞賛してやりたいところだが……

 カオルが猫の言葉を説明した。


「アキラの言ってるのはテイラー家の始祖様のことだ。始祖様は別名虎王と呼ばれている。異界で王になるはずだった方だ」


 カオルの言っている意味がイアンにはわからない。死んだ弟の名前やら始祖様やら、胸焼けしそうだ。あまりの異常事態に狂ったか?

 イアンの困惑を察知して、カオルは補足する。


「あ、クロはアキラだ。どういうカラクリか、死んだアキラの魂がクロの中に入っている。泉の聖なる力のおかげで、俺にはアキラの言葉がわかるんだ」


 補足説明を聞いて、イアンはいっそう、わけがわからなくなった。カオルにはわかっても、イアンに猫の言葉はわからない。

 そうこうしているうちに地面が震えた。ヒュドラの口が割れ、真っ赤な舌が踊る。


「虎王とな?」


 ……しゃべった。


「そうだ! 我らは誇り高き虎王の末裔! 勝負せよ!」


 カオルは叫んだ。

 イアンは完全に引いていた。猫の言葉を訳したところからおかしかったが、化け物に宣戦布告までしたのである。


 ──どうかしてる……こいつ、自分の力量をわかってんのか?


 蓬莱山に来てからのカオルは、ずっと足手まといだった。岳の婆さんに襲われた時も、天狗に襲われた時だって怖じ気づいて震えていたじゃないか?

 イアンが太郎と決闘して、安綱を取り戻してやったのである。カオルは何もできやしなかった。

 それなのに、今は堂々と最強の異形と対峙している。イアンが溺れている間に、何かあったのは明白だった。

 

 水蛇が笑い、高波が押し寄せた。

 高身長のイアンでも腰まで浸かり、側壁まで流された。こういうのは、泳げない者にとって地味に危うい。泳げる者にとっては見過ごす案件かもしれないが。

 カオルは頑然と刀を構えたまま、動こうとしなかった。


 ──おいっ! 俺は溺れそうなんだぞ! 主の一大事を無視するとは、どーゆーことだ!? 


 イアンは側壁に夢中でへばり付いた。

 さっきは逃げろと言っておいて、今度は助けろと願う。矛盾していることぐらい、わかっている。カオルがもう家来ではないことに、イアンは気づいた。命令に従う必要はないし、イアンを助ける義理もない。


 ──キャンフィに頼まれたからだと言っていたな? でも、ここで戦うのは命がけだ。付き合ってもない女に頼まれたくらいで、そこまでやるか?


 臆病者のカオルが戦おうとするのはなぜか? イアンの代わりにヒュドラがカオルに問うた。


「ふふふふ……面白い。して、虎王の末裔が何故(なにゆえ)に不死の水を欲しがるのじゃ? 我欲のためか?」


 カオルは声を張り上げる。


「我欲のためではない。死んで蘇った弟に言われて目が覚めたんだ……サチ……いや、友への償い……国を変えようとする、そう友のためだ!」


 ──友……だと!?


 イアンは自分のことを言われているのかと思った。まえの言葉はモゴモゴ言っていて聞き取れなかったが、イアンの他に当てはまる者はいないだろう。つまり、カオルは五年前の裏切りを悔いていて、それを償いたいと。

 「友」という言葉は甘美だ。カオルは自発的に命を張ってまで、自分を助けようとしている。イアンの胸は熱くなった。陶酔極まれり。

 こうなるとイアンは光を当てられた舞台のスターになってしまう。難しい言葉で言うと、膨張した自己愛──つまり、「自分大好き」が暴走してしまうのだ。観客が喜ぶセリフ。啖呵を切る。


「我が名は謀反人イアン・ローズ! 虚飾の王の落胤だが、亡き母のため、親友のため、義のために戦う!!」


 次の波が来るまえにイアンは飛んだ!

 何も考えていない。ただ目の前の敵だけを追っている。湖面をどう跳ねたかなど覚えてもいないし、もう一度やれと言われても、たぶんできないだろう。戦いの本能が目覚めると、別のイアンになる。

 かつて魔王が愛した刀を振りかざし、強大な敵にも臆さず、命を呑み込もうとする大波も恐れない。単純な理由さえもらえれば、恐怖は勇気に変わる。


 赤い薔薇が四つ咲いた。飛沫を上げ、水に沈むのは四つの頭。

 刃が届かなかった五頭目にイアンは抱きついた。鋭い針を持つ蜂に引っ付かれているのだから、ヒュドラのほうは振り落とそうと必死である。揺れすぎて蛇の首に刃を立てるのは無理だった。

 でも、揺らされるのは嫌いじゃない。きっと(ヴィナス)もたくさん揺らしてくれたのだろう。高い高いも曲芸みたいに投げたのかもしれない。


 ──ヴィナス様は絶対にそんなことしないけどな


 妄想は楽しい。ヒュドラの首から離れ、イアンはビョーンと側壁まで飛んだ。そして、壁を蹴り着地する。


 ──よし、聖職者になるのが無理なら曲芸師になろう

 

 我ながら満足いく立ち回りであった。


「ふははははは。面白い、面白い。虎王の末裔に虚飾の王の落胤とな。泉の水を得るのに相応(ふさわ)しいか、いざ勝負じゃ!」


 ヒュドラは笑った。どうやら、これは心の中に直接届いている声のようだ。

 残ったヒュドラの首が五つ、一様に口を開いた。


「ぎゃおおおおおおおおおおおお!!」


 咆哮だ。ビリビリくる。(アルコ)を構えているから耳は塞げない。イアンは目をつぶり、皮膚が波打つほどの大音声に耐えた。


 ──威嚇しやがって……いい度胸してるじゃないか? たかだか水獣ごときが、この俺に楯突いたことを永遠に後悔させてやる


 怒り燃料満タン。チャージ完了。一歩踏み出す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不明な点がありましたら、設定集をご確認ください↓

ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
[良い点] イアンとカオル…… バラバラになっていた心が、ここぞという時に一点に重なるのはお見事と言う他にありません。 イアンの、台詞回しや大蛇の首を、一刀両断にするシーンもカッコよかったです。
[良い点] ようやくカオルにも活躍の機会が(*´ω`*)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ