60話 いつもああなの?
(サチ)
ぺたり。光の札を貼る。
闇を照らす白光は趣を感じさせる。厳つい岩壁も多少優しく見えるというものだ。
サチ、アスター、イアン、小太郎、忠兵衛、イザベラ、カオル……。合流した七人は洞窟を進んでいた。
間口は狭いが、洞窟内は意外にも広々している。七人が広がって歩いても、余裕でお釣りがくるぐらいだ。
洞窟奥から湧く水が外へ向かって流れており、入口付近だけ地面の一部が凍りついていた。中の気温は安定しているため、凍らず道の中央をちょろちょろ流れている。岩肌を舐める程度の浅い流れは足を冷やした。
先頭にて札を貼るのはイザベラだ。邪魔しに来た天敵が先頭に立つのは妙な話だが……。
イアンの大勝利で相撲の取り組みを終えた後、身支度も早々、河童と天狗に別れを告げた。
名残惜しい別れだった。
帰りにまた時間あれば、遊ぼうということになったが、よくよく考えればそんな時間はない。シーマは一刻を争う状況なのだ。
引き留めてしまった詫びにと、河童の長老が軟膏をくれた。天狗の太郎からは里の丸薬を。軟膏は切り傷に効くという。丸薬は疲労、空腹に。太郎曰わく、
「これさえあれば、飲まず食わずで数週間持つ。寝なくても元気に動き回れる」
どうせ気休め程度だろうとイアンは笑いながら受け取っていた。丸薬はイアンが、河童の軟膏は小太郎が持っている。
さすがに、一つ目の少年岳は洞窟内に入らなかった。イザベラが無理に同行させようとしても、それだけは断固拒否したのである。
「オラみてぇな童は食われちまうべ。おっがねぇ、おっがねぇ……」
「何よ。臆病者」
「魔女殿は平気かもしれぬが、岳には危険過ぎる」
天狗の太郎が助け船を出して事なきを得た。
異形の少年が怯える場所に平然と入りこむ。唯一の女性であるイザベラを誰も心配していない。そのことで、サチは密かに悩んでいた。
帰ろと言っても聞く耳持たないだろうし、一人で帰らせるにしても危険だ。イアンの護衛で付いて来た忠兵衛と小太郎に連れ帰ってもらうか?……否。そもそもイザベラは勝手に付いて来たのだ。この二人に同行する義理はない。カオルと二人で帰らせる? それも心許ない。
煩悶するが、誰も何も言わないので、結局そのままになってしまった。
「だから、大人しくエデン観光でもしてれば良かったではないか?」
「うるさい。こん中で一番強い俺を置いていく方がおかしいだろうが?」
「いや、そもそもお前なんかに誰も期待してないからな?」
「こんな老いぼれと一緒じゃ、サチが気の毒だから仕方なく追いかけたんだよ」
前を進むイアンとアスターがやり合っている。いつものことだから放っておいた。忠兵衛と小太郎は苦笑している。
誰彼構わず煽るのがアスターの特性である。まともにやり合っていたらこっちの身が持たない。大抵は皆、受け流す術を覚え上手くやる。だが、イアンにはそれができないのだった。言い返すしやり返す。
喧嘩は寝る時を除いて延々と続くのだ。今ではサチもすっかり慣れてしまって、風音と同じくらい気にならない。
「いつもああなのか?」
隣を歩くカオルに小声で尋ねられた。
「ああ。どっちかが手を出さない限り、放っておいてる」
信じられないといった顔で返される。
──うん、そうだな。ついていけないのが普通の感覚だ
あの二人と上手くやっているのは自分でも奇跡だと思う。
忠兵衛と小太郎は面白がって時々笑いを堪えてるようだが。これぐらいが丁度良い。カオルはきっと真面目すぎるのだ。
「それにしても大陸の城育ちは世間知らずで困る。自分でケツを拭いたこともないんだろうからな。大丈夫か? 糞が付いたままだぞ?」
「お陰様で大切に育てられた温室育ちだもんで、野蛮な内海人と違って。ケツの拭き方云々よりその不潔な髭を何とかしたらどうだ?」
「髭の手入れは大変でね。それよりどうした? 下品な赤毛はずっと染め続けるのか?」
「黙れ。糞爺。禿げかけてる癖に人の髪のことをとやかく言うんじゃない」
「禿げ……何を言うか! まだ全然ふさふさしておろうが!」
そこで間に入ったのは先頭にいたイザベラだった。
「さっきからうるさいわね。馬鹿じゃないの?」
すぐ後ろでずっとやられていたので、苛ついていたようだ。すかさず忠兵衛が参入する。
「アスター様もイアン様も毛のことは言ってはいけません。非常にナイーヴな話題ですから」
「最初に言ったのは糞爺だ」
イアンが膨れる。小太郎がイアンの肩に手を置いた。
「イアン様、いつか髪染めねぇでいられるとええですね。ありのままでいられる日が来ると」
その言葉に深い意味は込められてなかった。小太郎はイアンの生い立ちを知らない。知っているのは、赤毛を染めている理由と隠れて暮らしているということだけだ。謀反人の汚名をそそげればいいのに、恩赦が受けられればいいのにと、単にそういう意味で言ったのだろう。
それはイアンの胸に響いたようだった。
「赤毛は大事な人からの贈り物なんだ」
微笑むイアンの顔に「彼女」の面影がちらつく。純粋無垢なあの人の面影が。
アスターは口をつぐみ、それから二度とイアンの赤毛を馬鹿にすることはなかった。
濡れた足音がこだまする。
自然の空洞は厳粛な気持ちにさせる。黙っていれば、どうしても感じてしまう。
邪悪な気配を──
いるのだ。まだ姿を現してないだけで、河童や天狗とは比べ物にならないほど強大で邪悪な何かが。
サチは汗で湿った拳を握り締めた。
五年前、暴漢共を食い殺した時のような力が出せれば、何とかなるかもしれない。でも、今のままでは足手まといなだけだ。
何かあった時は転移魔法を封じた札を使えとアスターから渡されている。それとグリフォンの入った魔瓶。危機に瀕した時はイアンを連れて逃げるのが、自分の役目だとサチは思っていた。
アスターは気配など何も感じてないようで、相変わらず人を食った態度だ。人ではなくて魔物だが。
喧嘩をやめ、今度は小太郎や忠兵衛を交えて刀鍛冶の話を始めていた。エデンで有名な刀匠や夜の国とグリンデルの職人、どちらが優れているか……から始まって所有する武器の話へと。
「ラヴァーはグリンデルの刀匠に作らせたものだ。アニュラス一の鍛冶職人と謳われた男だったのに流行病にかかってな……ラヴァーもだいぶ痩せてきたので打ち直したいのだが」
「エデンの刀鍛冶は特殊ですから、ここで打ち直しは出来ませぬな。グリンデルの技術も素晴らしいとは思いますが、伝統を守るカワラヒワの方が私は良いと思います」
「ふむ。それはひいき目に見てるのではないか」
忠兵衛はカワラヒワの暁城にいた。
アナン家の養子となったリュカに付き添って若い時分にエデンを出たのだ。
アキラが死んだ責任を問われ、暁城を追い出されたのが五年前だから、カワラヒワにいたのは二十五年間くらいか。
「いえいえ。そんなことはありませぬ。いつも新しい技術とは不安定なもの。アダマンタイトを埋め込んだり、やれ霊銀だ、グリンデル水晶だと言っておりますが、剣の素材において鋼に勝るものはないと思うのです。つまり優れた製鉄技術を持ち、昔ながらの鍛錬方法を守り続けているカワラヒワの方が信頼出来るのです」
持論を展開する忠兵衛に対してアスターが反論する。
「確かに剣は硬さだけが重要ではないからな。だが、硬さか切れ味か、求めるものは戦い方により変わってくる。私はエデン人のように繊細な戦い方はしないものでね。ひたすら頑丈なのがいいのだ」
長くなりそうな話だった。サチは片耳で聞きながら、邪悪な気配を読み取ろうとしていた。
──奥に巨大な邪気が二つ。どちらかが泉を守っていると思われる。手前に沢山いるのは……
「サチ……」
集中している所に邪魔が入った。
カオルだ。相変わらず暗い目で何か言いたそうにしている。
「五年前のこと……」
言いかけて、また口をつぐんだ。
無下に出来ないのは、カオルが何やらずっと思い詰めているからである。
カオルにピッタリ寄り添って歩く黒猫のクロへ、サチは視線を落とした。
クロは瀕死だった所をユゼフの血を浴びて蘇生した。その神秘的な場面は、サチが自らの血で妹を蘇らせた時と重なる。
アキラの死──
思い出せば胸の奥がチリチリ痛んだ。だが、それは古傷が痛むようなものでジュクジュク膿んだ所に塩を擦り込むのとは違う。
サチにとって凄惨かつ悲しい場面はもう過去のものだが、カオルにとっては数週間前の出来事だ。ましてや、実の兄。
卑屈で陰気なのは元来の性質ではない。神経質なほどの生真面目さ。弱さと断罪される優しさが彼を追い詰めた。
カオルが話したいのは、五年前のサチをカワラヒワで襲ったことだ。
「謝って済む問題じゃないのは分かってる……でも俺だってやりたくてした訳じゃ……」
「分かってるし怨んでない。元々、敵対する派閥にそれぞれ属してたってだけだ。仕方のないことだ」
怒りをぶつけなかったのは、先ほどの河童や天狗達との異種族間交流が影響している。
今のイアンみたいに心だけでも自由でありたいと、サチはそう思ったのだ。
「俺達の目的は泉の水を手に入れ、シーマを助けることだ。それを邪魔するつもりで来たのならまた敵対することになるが……」
「何で……そこまでシーマに……」
カオルの目に怨がチラつく。
「シーマの人格か? 最低な奴だし大嫌いだが、自分の利になるから従っていた。俺もアスターさんと同じだ」
軽蔑を一身に受けながらも、サチは言葉を継ぐ。
「でもそれだけじゃない。シーマには変える力がある。正しいかどうかは別にして俺も変革を求めていた。あいつが我欲のためだけに動いていたのなら、決して従わなかっただろう」
「俺は絶対に許せない……シーマのことは」
カオルは瞳にグラグラ憎悪をたぎらせていた。言葉は揺れない。逆に毅然とした言葉の方が信用できるものだ。
「それでいい。俺は自分の考えを押し付けるつもりはない。意志と反して敵対するのは悲しいけどな」
カオルの顔が和らいだ。完全なる否定を覚悟していたのに、許容されたからだろう。
「俺はもう母と……女王とは縁を切ってる。弟の命を軽んずる人だ。イザベラはどうか分からないが、俺は邪魔しに来たわけじゃない。キャンフィと約束したんだ。イアンを守ると」
「なら、目的は一緒だ」
サチは微笑んだ。
「なぜイアンを守るのか」と尋ねられる前に丁度、前列での刀鍛冶論争が終わったようだった。
忠兵衛の囁きが大袈裟に響く。
「アスター様……おりますね」
「あー、だろうな」
「くそっ……沢山いやがる」
イアンが毒づく。
「そろそろ出る頃だと思ってますた」
と、小太郎。
隣でカオルが体を強ばらせる。サチは覚悟を決めた。




