59話 相撲!その四
(サチ)
サチはうたた寝しそうだった。
川魚の塩焼きで腹は膨れたし、昼下がりの陽光はとても気持ちいいものだ。
大きなあくびを一つ。落ち葉のクッションに身を横たえたる。
昨晩は熊のねぐらで仮眠しただけだ。早朝から馬を飛ばし、山道を歩き回り、魔物と戦った疲れは癒されてない。
イザベラは近くに生えていた茸を岳と採っている。イアンと小太郎は河童達と魚を掴み取って大喜びしているし、アスターと忠兵衛は天狗達と酒を飲みながら話している。
──何だっけ? 何か忘れている…… …… ……。まあいいや。このままちょっとぐらい寝ても罰は当たらないだろう
それぐらい冬晴れというのは穏やかで気持ちを緩ませる。ふかふかの落ち葉は良い匂いだ。このまま午睡といこうではないか──
「ノコッタノコッタノコッタノコッタ……」
自分用の魚を啄みながら、ダモンが近くでブツブツ言ってる。
──うるさいなぁ
「ホーライホーライ」
──そうそう、ここはエデンの蓬莱山だ。随分遠くまで来てしまったもんだ
「ホーライ、イズミ……」
──うん……。蓬莱の泉の水を取りに来た……。
バタッ!!
突然、起き上がったサチへ視線が集まった。
「サチ、どうしたのだ?」
「アスターさん、忘れてるよ。俺達は泉の水を取りに行かねば。こんな所で和やかに遊んでる場合じゃない」
アスターは唖然としている。どうやら忘れていたようだ。
「何てことなの!? 馬鹿じゃないの、あんた達? 呑気に魚捕ったりして」
そう言うイザベラの手には茸の串刺しが握られている。ここでしか採れない珍しい茸だとかなんとか……。さっき岳と群生してるのを見つけたのだ。サチが眠りに入る前、キャッキャッと騒ぎながら採っていた。イアン、小太郎、カオルから冷ややかな視線を向けられるのも仕方ない。
「今の所、二勝二敗だから通す訳にはいかんのじゃが……」
控え目に述べる長老をアスターは鋭く見据える。
「お前ら、ここで足止めするのが目的か!? おお? そういう魂胆で酒を飲ませたってわけか?」
「いや、悪気はなかった。お主らが面白いのでついつい遊んでしまっただけじゃ」
長老は申し訳なさそうに答える。天狗の太郎が口を挟んだ。
「どうだろう? あと一回取り組みして終わりにするのは。勝敗関係なく」
「そうじゃな。充分楽しませてもらったし、これ以上はかたじけない。泣いても笑っても、これを最後の取り組みと致そう」
「分かった。本当にこれで最後だからな」
アスターが念を押せば、長老は頷く。さて、次なる闘技者は……。
「こちらは先に二勝した者を出す。隼」
長老に呼ばれ、精悍な顔つきの河童が前に出る。先に小太郎とアスターを倒した河童である。対する人間側は……
「俺が戦う」
川にいたイアンが魚を投げた。
石の上をビチビチ跳ねるヤマメに飛びかかるのは黒猫のクロだ。
「結びは、隼とイアン・ローズでよいな? 意義ある者は申し出よ」
長老が皆の顔を見回す。
皆、微かに頷くか、トリを飾る勇士を眺めるかのどちらかだ。
川に入っていたイアンはブーツを脱ぎ、長靴下を裂いて膝上までまくり上げていた。腰回りは長めのチュニックで隠れているものの、だらしない格好だ。剥き出しの白く細長い足は一見脆弱かと思われた。
手拭いで雑に拭いた足に砂利やら土やらがくっついている。お坊ちゃま育ちのくせに大雑把でものぐさ。がさつな乱暴者。繊細なのは楽器演奏と剣術だけである。
しかし、土俵に上がったイアンを見れば懸念は吹き飛んだ。
地中に真っ直ぐ打ち込んだ杭のようにブレない。細身でも頭から爪先までしっかり一本線が通っている。一寸もぐらつかない。
よく見ると、ゴツゴツした足の骨は綺麗な束状の筋肉をまとっている。皮膚上からでも筋肉の形がはっきり分かるくらい余計な贅肉はついてないのだ。体にぐらつきがないのは下半身をしっかり鍛えているからだと思われる。
「イアン様の強みはやはり体幹バランスの良さでしょうな。姿勢がとてもいい。そして絶対に崩れることがない」
忠兵衛が目を細める。
「気迫が違うのう。立ち会った時の迫力がすごい」
長老がうんうん頷けば、
「いるだけで、場の空気が変わる存在感よ。常に注目を集める。役者なら花形」
二度も負けた天狗の太郎が腕組みする。
「一度戦えば分かるすよ。自分の調子に相手を巻き込んじまう。舞ってるみてぇに軽く」
小太郎がイアンへ向ける眼差しは憧れだ。
「何をゴチャゴチャ言ってるのだ、お前らは? あいつはただの馬鹿だぞ? それもめちゃくちゃ性格悪い。誰よりも負けず嫌いなだけだ」
高揚していく空気に水を差すと思ったが、アスターが吠えれば起爆剤になる。
「イアン! いっけぇええええええええ!!!」
イザベラが叫ぶ。
砂土舞えば、始まる。肉と骨のぶつかり合い。本気の一番。意地と意地。魂と魂のぶつかり合いが。
イアンの三白眼は敵の動きを捉えて放さない。猛禽が獲物を捕らえる時に似ていた。いいや、サチが思い出したのは蛇──
蛇が蛙を睨む。
猫が蛇を睨む。
獅子が猫を睨む。
強者に睨まれれば、標的の動きは鈍くなる。
酔っ払いみたいにフラフラと。自分から食って下さいと言わんばかりに、相手の間合いへ迷い込んでしまうのだ。
眼光はそれだけで強烈な力を放っていた。
しかし、隼も選ばれし勇士。睨まれたぐらいでは怯まない。
力の差は感じても、制限あるゲーム下では達人である自分の方が有利だと考え直したのだろう。こちらの視線も揺るがない。
張り手の強度は互角か。激しく張り合った後、しばし離れる。
力の弱い方は仕掛けられた時の隙を狙う。相撲も剣も勝負が決まるのは一瞬である。
戦いにおいて慎重なイアンはなかなか仕掛けようとしなかった。
緊張が続く。
唾を飲むのですら厭う緊迫感の中、見切ったのはどちらか。
イアンだ。
が、廻しに伸ばされた手は敢えなくはたき落とされる。再度、張り合いになった。
サチは二人の足に注目した。
アスターの時は慣れない競技というのもあり、足が疎かになっていた。それで内掛け※されて負けたのだが。
どうやらこの隼は足さばきが異様に巧い。
力ではイアンの方が勝っているはずなのに、気付いた時には土俵際まで押されていた。あと少しで俵に触れてしまうというギリギリの位置だ。
組み合うつもりがしくじってしまったのはイアンにとって最大の誤算だった。
張り手の嵐は止まず、イアンはジリジリ追い詰められていく。猛禽の瞳は僅かな隙を探すも、見つからず。防御に徹するのみ。
激しく攻防しながら次の一手を出せるのか。もう後がない。足を滑らせれば外に出てしまう。
隼の首に手を回そうとするも避けられた。体を密着させられ──そのまま押し出されてしまう……。
もう終わりか……と思った時、
イアンは掴んだ。いや、隼の脇を差した。そのまま抱え上げ──
一本背負い!!!
ダァアアアアアン!
叩き落とされた衝撃で舞う土埃が視界を覆う。
思わず叫んでいた。サチだけじゃない。天狗も河童も、人間達も──
「イアン様、すげぇ……。はっはははは」
横で笑うのは小太郎だ。瀬戸際で巻き返した。最後にあんな派手な技で決めるとは。イアンらしいと言えばイアンらしい。
腰を落として土俵端にへたり込むイアンの元へサチは走った。ダモンが横に並んで飛ぶ。
「イアンサマー! カッター!」
「そうだ、ダモン。イアンが勝ったんだ」
周りが大騒ぎしているのに当のイアンは何故か呆けていた。
ダモンがイアンの肩に止まり、得意気に胸を反らす。そう、ダモンにとっては自慢のご主人様だ。誰よりも強くて格好いい。主の勝利は僕の誉れ。誇らしくてたまらないのだろう。
サチはいまだ呆けているイアンへ手を差し延べた。驚異的な集中から解放された後、弛みすぎて放心している。
サチの顔を見てやっとイアンは戻ってきた。燃え尽き、色を失っていた瞳に赤々と火が灯り始める。
イアンはがっちりサチの手を掴んだ。八重歯を見せながら立ち上がれば、もういつものイアンに戻っている。
……と、俄かに身震いしたのは寒さのせいだ。急に気温が下がってきた。
昼下がりの陽光は終わりを告げる。待っているのは斜陽、日没、黄昏、夜である。
そろそろ陽の色が赤く変わりそうだ。
※内掛け……内股に足を引っ掛け転倒させる技。




