55話 合流
グラニエの心配をよそに、サチはその頃──
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(サチ)
凍った川の向こうに洞窟はあった。
雀涙川に沿って馬を歩かせること丸一日──ようやく見つけた。
渓谷を抉り、底の見えない暗闇が続いている。今までも規模の小さい洞窟ならあった。だが、今回は別物だ。外見からでも分かった。
昨晩、サチとアスターは熊の掘った洞穴で一晩過ごした。冬眠中の熊の傍らで交代に眠ったのである。本当に図太くなったものだ。
洞穴は暖かかったが、全身に獣臭さが染み付いた。そのお陰か否か、蓬莱山二日目は魔物に全く遭遇しないまま昼を迎えた。
一日目は鵺と山のニンフ。
大物はそれぐらいで他は大蜘蛛やワーム、大ムカデなど。森に棲みつく一般的な魔物だった。何度か戦ったこともあるし苦戦はせず。
思っていたよりスムーズに洞窟までたどり着いた。だが、ここにきて……
「今までの洞窟とはまるで雰囲気が違う。調べる価値はあると思うが……サチ? 聞いてるか?」
すぐ反応できなかったのには訳がある。サチは全身を強ばらせ、剣を抜いた。
「アスターさん、ここで間違いないよ。なぜなら……」
ビリビリ皮膚が痺れる程の妖気を感じていた。それも一体だけじゃない。
「なぜなら、たくさんいるからだ!! まだ姿を現していないが、洞窟の前にいる!」
「洞窟の前に? 私には凍った川しか見えぬが……」
鏡面のように滑らかな川面が陽光を反射している。
最初は気温のいたずらかと思った。
凍った川にピキピキとヒビが入る。この小気味良いとも不快とも取れる音は、どんどん連鎖していった。洞窟の前が一面、ひび割れで白く曇るまで少時。
刹那──
荒々しい飛沫を上げ、緑色の異形が飛び出したのである。白い円形のひび割れを破り次々と。派手な音を立て水上へ。
砕け散る氷と飛沫が陽光を受けて煌めく様は美しくもあった。
だが、出てきた異形は全身緑色の、一見すると蛙のような風貌をしていた。
顔付きは蛙に近いが、全身の造形はほぼ人間。目を引くのは背に負った甲羅と手足についた水掻き、それと海藻のごとき髪に覆われた頭頂部だ。つるりと円くハゲている。
数はもう……数え切れない。
川の幅は二十キュビット(十メートル)ほど。その川の端から端までぎっしり埋まるぐらい、洞窟の入口をきれいに覆い隠すぐらい異形はひしめいていた。
「川の精か」
「こんな数じゃ、相手するの無理だ」
アスターの呟きにサチが答える。
「どちらか囮になって、その隙に……」
言いながらアスターは抜刀した。
一匹、こちらへ向かってくる。
素早い! アスターは迷わず薙払った。
スパァアンと両腕を斬られ、異形は飛び退いた。剣にねっとり緑色の体液が絡みつく。
「やめれぇえええい!!」
彼らの中心で怒鳴ったのは、杖を持ち、腰の曲がった異形だった。
「我らは蓬莱の洞窟を守る水の精である。来訪者よ、主らが客人として相応しいかこちらで確かめさせてもらおう」
恐らく群れのリーダーなのだろう。
海藻のような髪にところどころ白い物が混じっているのは貫禄を感じさせる。
一方のアスターは、
「我が名はダリアン・アスター。表に出て来れぬ日陰者の妖怪ごときが試すようなことを言うな。正々堂々と戦う気があるのなら、相手をしてやってもいい」
相変わらず偉そうな自己紹介だが、それより異形達がどよめいたのにサチは気を取られた。
アスターの名を聞いた途端、異形達がわーわー騒ぎ始めたのである。後ろの方で待機していた者までアスターの姿をよく見ようと押し合いへし合いする始末だ。
「あのアスターが!?」
「どんな男だ、見たい!」
「ラヴァーは持っているのか!?」
途切れ途切れ、エデン語でそんなことを言っているのが聞こえて来る。
「静まれ! 静まれぃ!!」
リーダーと思われる先ほどの異形が怒鳴り、ようやく静かになった。
「失礼した。アスター殿。我々水の精は人間達とも繋がりを持つ。ゆえにご高名はこの山奥まで知れ渡っておる。人間界の英雄を前に興奮してしまったようだ」
「まあ仕方ない。どこへ行ってもこのような扱いだ。慣れている」
鷹揚に構えて見せるアスターには苦笑するしかない。
──全くこの男は
苦笑しながらも、サチは何故か期待している自分に気付いた。アスターの方はデン!と構え、大勢の化け物相手だろうが物怖じする気配は微塵も見せない。
「なるほど。さすがは英雄と讃えられる方じゃ。素晴らしい面構えじゃのう」
水の精のリーダーも感心している。
場の空気を自分の物にする──アスターの特技。これは意図的にやっている。話術、過去の栄光、過激な行動……全て計算の上だ。
どっちが小賢しいんだか──サチは思う。
「ワシは水の精の長老エカシじゃ。ワシら水の精は力のある者を好む。ここを通りたければ力を示されよ」
「して如何に?」
「そうさなぁ……」
長老エカシが言い淀むと、彼らの中から叫ぶ者がいた。
「相撲じゃ!」
その叫びは伝播していき、再び水の精は興奮し始めた。相撲じゃ相撲じゃと騒ぎ立てられても、サチには何だか分からない。
「スモウ?」
オウム返しに尋ねるアスターも分からないようだ。
「エデンの格闘技なんじゃが……」
説明しかけて、長老は人差し指を口に当てた。
途端に支配する静寂。水の精達は不安そうに木々の向こうを見やる。サチも気配に気付いた。
──何人だ? 敵?
向かって来るのは複数。人間に混じり魔の気配もある。
葉を落とした陰鬱な木々の向こう……直立する幾つもの幹。自然の格子からチラチラ人影がのぞき始める。断片的な姿が形を成していくのに時間はかからなかった。
木々の合間から覗いた姿にサチは驚いた。続々と見知った顔が──
「イアン!!」
「……イアンだと!?」
アスターの視力では、まだ捉えられてなかったようだ。
「知り合いか?」
長老に尋ねられ、サチとアスターは渋い顔をする。エンゾの実浮城で寝ているはずのイアンがなぜ??
──眠り薬の量が足りなかったのか
追い付くのも速すぎる。こちらはグリフォンを使ったのだ。それに、忠兵衛と小太郎は良しとして、イザベラとカオルがついて来ているのはどうしてだ?
こちらに気付いたイアン達は歩を早める。頭の整理が追いつかないまま対面することとなった。
アスターの怒りの矛先はまず忠兵衛へ向かった。
「どういうことだ? 代わりに守ると約束したではないか? どうして連れてきた?」
「申し訳ありません、アスター様。イアン様がどうしても行くと言って聞かないため、同行させていただきました。アスター様が発った二時間後には目覚められましたので、眠り薬はほとんど効いてなかったかと」
「くそっ……レーベの奴め」
眠り薬を調合したのは知恵の島にいるレーベだ。次に矛先が向かったのはイザベラとカオル。
「しかも、なんで敵を連れてるのだ? イアンが寝首を掻かれたらどうするつもりだ?」
「アスター様、敵ではございませぬよ。二人には何度も助けられてます。追いつけたのはイザベラ様が速度強化の魔法を馬にかけたからですし、カオル様は溺れたイアン様を助けました」
「どうだか。私もサチもこいつらに何度も殺されかかってるのだ。女王の一味だぞ?」
「カオル様はイアン様と旧知ですし、イザベラ様ともご友人であらせられます」
このやり取りをイアン達は呆然と眺めていた。
何故、イアンが重要な保護対象になっているのか、カオルとイザベラには分からない。異様な光景に映ったろう。変な顔をしている。
その間に水の精の長老は使い鳥から文を受け取り、こちらの戦果を把握した。
出会い頭、アスターに腕を斬られた水の精は斬り口からニョキニョキ新しい腕を生やしている。異形とは便利なものだ。
「うおおおお……河童だ! すげぇ……あんなに沢山」
小太郎は一人で感動していた。河童というのは水の精のことだろう。
「鵺、山の精、それと天狗の太郎を倒したと聞いた。大したものだ。イアン・ローズというのはそちか?」
長老に声をかけられ、イアンが歩み寄る。アスターの時ほどではないにしても、河童達はざわめいた。
「実は相撲で勝負して勝ったら通そうという話になっていてな、よろしかったらワシらの中で一番の優者と手合わせ願いたい」
アスターはまだ承諾してないが、長老の中では決まっていたらしい。イアンを指名してきた。
困ったのはイアンだ。
「申し訳ないが、相撲というのがどういう物か存じないのだが……」
河童達はイアンの返答に落胆し、微妙な空気が流れる。そんな中、小太郎が挙手した。
「はいはいはーい! ワシが代わりに受けます!」
少々意外だ。
サチから見て小太郎は無口で大人しい印象だった。大陸の言葉に不慣れなのもあるかもしれないし、自分から話すタイプではない。
小太郎はそばかすだらけの顔を破顔させている。
子供っぽい──
童顔の多いエデン人の中でも、特に幼い部類に入るのではないか。高身長だから大人と同じに扱っていたが、実はまだ幼いのかもしれない。年齢は聞いてなかった。
「名は何という?」
「新撰組隊士、蟻通小太郎と申す。イアン・ローズの息子だ」
サチとイアン以外は仰天した。




