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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(後編)二章 神々の島エデン
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45話 お札の話

(イアン)


 忠兵衛に制され全員止まる。

 そこは木々が密集する奥地であった。

 夢中で走ってきたので、一体山のどこらへんなのか皆目見当もつかない。



「お待ちください」



 忠兵衛は繰り返した。

 相当走ったのに呼吸は乱れていない。全員の視線が忠兵衛に集中した。



「相手は魔物といえど、婆さん一人です。ここは逃げずに戦うべきでは?」



 その言葉でストンと憑き物が落ちた。

 イアンは我に返る。

 雰囲気の異様さにビビって逃げてしまったが、相手は婆さん一人だ。

 そもそも魔物の巣窟と分かってこの山へ向かった。数匹程度の魔物に恐れを為すのは愚かしい。



「全くその通りよ。ここは戦うべきだわ」



 真っ先に逃げたイザベラが平然と言ってのけたので、皆口をつぐんだ。



 ──こいつ、女じゃなかったらぶん殴ってるとこだ



 イアンは顔をしかめる。

 と、木々の合間からバサバサッと()()()な羽ばたきが聞こえてきた。



「コワイヨォ……コワイヨォ……」


 ダモンだ。



「ごめん、ダモン。無事で良かった」


「ク、クルゥ……」



 ダモンがイアンの肩に止まって一息つく間もなかった。

 婆さんとは思えない猛烈な雄叫びに森が揺れた。離れた位置から徐々に木々がバタン、バタンとなぎ倒されていく。木にぶつかりながら、向かってきているのだ。


 イアンはアルコを抜いた。


 がっちり巻かれた柄糸が両手に馴染んだ途端、呼吸の乱れはなくなる。

 背筋がピッと伸び、頭から爪先まで棒一本入ったようにシャンとする。


 いつもそうだ。

 父の形見と渡されたこの剣を握った瞬間、イアンの中の怯懦や迷いはなくなる。強い自分になれる。


 イアンは渦巻く闇の向こうをキッと見据えた。



「ダモン、大丈夫だ」

 


 妄念やら執念やら毒念やら、全てどこかへ追いやって一心に動きだけを追う。


 見える。


 ビュンビュン風を切って移動している。黒い塊となって砲弾のごとく木々をなぎ倒しながら……



 ──追えない速度ではない



 イアンは一歩踏み出した。

 待つより、自分から向かって行く方が性に合っている。(にわ)かに走り出した。タガが外れれば、抑えつけるものは何もない。

 イアンは一気に間合いを詰めた。


 アルコを振り上げた時、胴はがら空きとなる。ほんの一瞬──

 婆さんの武器は包丁だ。

 二キュビット強(一メートル)あるアルコとイアンの高身長の前では圧倒的リーチ差がある。イアンとの間合いでは到底届かないはずだった。


 そのまま婆さんの首へ狙いを定め──



「イアン様、いけません!!」



 忠兵衛の声が届いた時はもう手遅れだった。

 イアンの体に衝撃が走る。

 肩を貫くのは鋭い痛み。


 刃は届かず、イアンは後ろへ飛び退いた。肩に刺さっていた物がズルッと抜け、黒い飛沫を上げる。



 後ろへ大きく飛び、地に(かかと)を付けた後、揺らめく触手が見えた。婆さんが触手を伸ばしていたのである。痺れと痛みでイアンの踵は悲鳴を上げる。夢中で逃れたが、相当飛んだみたいだ。人外と思われる距離を。



 ──うう……どうしよう。皆に見られてしまった



 その時、イザベラが光の札を幹に貼り、婆さんの全体像が微光に照らし出された。


 顔全体に刻み込まれた皺の陰影は醜悪さを浮かび上がらせる。皺に紛れるほどの細い目。赤く発光する両眼は猛獣そのものだ。ヌラヌラ光る牙が糸を引いている。

 

 何より目を引くのが腰から伸びる幾つもの触手である。粘液をまとい、ユラユラ踊る影は悪魔的であった。


 イアンはそれまで暗闇だったことに気付き、胸を撫で下ろした。



 ──良かった。人間離れした跳躍は見られてない



「イアン様、おケガは大丈夫でしょうか??」


「ああ、たいしたことない」



 リゲルの力で魔人として蘇ってから、傷は簡単に塞がる。貫かれた肩……恐らくこの程度であれば、一、二時間で完治するだろう。


 心配そうにこちらを窺う忠兵衛を横目で見、イアンは(アルコ)を構え直した。



「ではイアン様、最後の詰めをお願いしてもよろしいでしょうか? 我々で触手をまず駆除いたします。その後で……」



 説明途中に向かってきた触手を忠兵衛はなぎ払った。



「いいですね? イアン様は待機で」



 イアンは頷いた。

 次から次へ触手は伸びてくる。

 カオルと小太郎も加わり、このグロテスクな軟体と対峙した。

 

 斬れば噴出する大量の粘液。

 速度はこの中で一番緩慢なカオルがようやくついていける程度だ。全て斬り落とせば、道は開けると思われた。だが……


 斬っても、斬っても湧いてくる。

 婆さんの腰から矢継ぎ早に。

 粘り気のある粘液にまみれ、三人の動きは次第に鈍くなっていった。

 

 待機しろと言われ頷いたからには、手を出したくても我慢するしかない。イアンのイラつきは限度を超えるギリギリの所まで達した。

 知らない内に唇を歪め八重歯を出している。舌を伸ばせば、八重歯は張り付くぐらい乾いていた。




「そろそろ、わたしの出番かしら」



 ひょいとイアンの横に並んだのはイザベラだった。意気揚々と胸を張っている。



 ──補佐するんなら、さっさとしろ』


 イアンは怒鳴りつけたいのをグッとこらえた。



「ふふふ。任せなさい。氷系の魔法で復活できないよう触手を凍らせればいいのよ。簡単だわ──夜気に宿る氷の精霊達よ……氷山に住む女神の御名において我、魔を滅するため使役する者なり……精霊を汚す者を罰したまえ……我に力を与えたまえ……」



 イザベラはブツブツと口の中で呪文を唱え始めた。



「パゴメノス!!」


 なにも起こらない。



「あれ? パゴメノス!! パゴメノス!!パゴメノスぅううう!!!」



 やっぱり何も起こらない。

 イザベラは愕然とした。



「なんでよ! なんで出てこないの!? 詠唱も間違ってないし、このわたしが失敗するなんてこと……そうだ、ブロンティ!……あれ? イクリクシー!!……パイロ!!」



 間髪入れずに呪文を唱えようが、何一つ発動しない。最初は苛立っていたイザベラも焦り始めた。



「……どうしよう。魔法が使えない」



 ケーケッケッケッケッ……


 絶命前の鳥の鳴き声かと思いきや、婆さんの高笑いする声が聞こえた。



「どうやら食事に魔封じの霊薬を混ぜたみてぇだ!」


 小太郎が触手と格闘しながら叫ぶ。



「えっ……嘘でしょ? あれ、毒は入ってなかった。誰か! 誰か、私の代わりに魔法を使える人はいないの?」



 イアンは無言で首を振った。

 魔国にいた頃、試してはみたがてんで駄目だったのだ。イザベラの視線が戦いの真っ最中である小太郎らへ向けられると、



「ワシも忠兵衛さんも使えねぇ!」



 小太郎が叫んだ。

 カオルは……というと、


「パイロ! パイロ! パイロ!」



 唯一使える魔法を必死に唱えている。案の定、全く駄目らしい。


「どーすんのよ!?」



 激高するイザベラに対し「こっちが聞きたい」とイアンは思った。

 やはり後退するしかないか──

 しかし、粘液まみれの小太郎達は俊敏に動けなくなってきている。触手は斬ってもキリがないし……



 ──くそっ。どうすりゃいいんだ


「はっ! あれがあったわ!」



 何か思い出したイザベラが手をピシャリと叩いた。

 迷妄に囚われていたイアンは光明を見るかのごとく、イザベラを見つめる。


 イザベラが胸元から取り出したのは魔法札の束だった。



「さすが! わたしってばなんて用意がいいのかしら。もしものために数十種類の魔法を札に封じておいたの。これがあれば、魔法を使えるわ」



 自画自賛はいつものご愛嬌だが。安堵したイアンにとってイザベラの鬱陶しさは気にならなかった。



「さ、氷の札、氷の札っと……えーと、これかな? これ? それともこれ?……」


「まさか……どれか分かんないのかよ……」


「ちょっと待って。これよ、そう、これこれ」



 一枚取り出し、触手へ投げつけた。


 ボワッ──


 発現したのは氷ではなく、赤々と燃え上がる火焔だった。


 忠兵衛が慌てて跳ね退く。ちょうど戦っている真横に落ちたのだ。



「あちちちちち……」


「忠兵衛! 大丈夫か?」

 

「軽い火傷を負いましたが、大丈夫です」


 イアンはイザベラを睨みつけた。



「よ、良かったわ。ほらね。上手くいったでしょ? 今の内に逃げましょ」



 炎はあっという間に婆さんの七割ほどを包み込んだ。

 イアンはカオルと小太郎に目配せする。二人とも粘液を引っかぶってヌルヌルの状態である。


 イアン達は一斉に走り出した。


 

「待ちなさい! こっちです!」



 忠兵衛が磁石を確認しながら怒鳴った。

 でなければ、いい加減な方向へがむしゃらに突き進んでいただろう。

 忠兵衛を先頭に仕切り直す。


 走りながらイアンは思う。

 ずっと走ってるな、と。

 頬に当たる風は心地良い。しなる筋肉も。足が空を切るのも。

 だが、雄々しく戦うのではなく、逃げ回るのは格好悪い。走るのは気持ちいいが、逃げるのは嫌いである。



「待て……待ってくれ……」



 後ろから息も絶え絶えのカオルの声が聞こえた。振り返れば、ヨレヨレの状態。足はもつれ、今にも倒れそうだ。


 その更に後ろから、燃え盛る火塊が迫ってくる。



「うぎゃおおおおあああああああ!!」



 婆さんだ……

 絶叫しながら……

 イザベラの魔術で火塊と化した婆さんが迫ってくる。



「カオル! 何してるっ!! 早くしろ! 鈍臭いなー! イライラする!」



 イアンはカオルの腕をつかんだ。

 そのまま腕を自分の肩に回す。カオルを引きずりながら走り出した。

 カオルがムッと顔を歪ませようが、気にしない。カオルも状況が状況だけに大人しく従った。



「間に合わないわ! もう追いつかれる!」



 泣きそうな声で叫び、イザベラが札を出した。手の震えを抑えられず、ポロポロ落としている。



「えーと、今度こそ! 凍れ!! クソババア!!」



 数枚地面に叩きつけ、モワッと煙が立ち上った。


 硝煙がキツめに臭う。

 反射的にむせたイアンの足元が冷たくなった。


 ──水??



 突然、視界に被さってきたのは荒々しく吹き付ける水しぶきだ。うねりくる黒い怪物が体の自由を奪う。


 ──飲み込まれる!

 


 思った時には流された。

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cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
[良い点] お札を投げつけながら山の中を山姥から逃げる、って、どっかの昔話で見たような……思い出せませんが。
[良い点] イザベラ、ちゃんとしてぇ(;´д`)
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