34─2話 シーマ追い詰められる②
シーマは寝室に戻った。
ヴィナスは相変わらず、ベッドの上から熱っぽい眼差しを向けてくる。
羽織ったローブがずり落ち、華奢な肩がのぞいていた。鎖骨にフワッと落ちる赤みを帯びた金髪も、その下の柔らかな乳房も、今はどうでもよかった。
召使いを呼ばず、シーマは自分で服を着始めた。
「何があったの? シーマ?」
ヴィナスの問いかけには答えない。ささっと着替えると、シーマはそのまま部屋を出ようとした。
「待ちなさいよ! 私にそんな態度を取ってもいいと思ってるの?」
ほとんど半裸のヴィナスがドアの前に立ち塞がった。
「どけ。邪魔だ」
「私はこの国の王女よ? 何が起こっているのか知る権利がある!」
ヴィナスは精一杯胸を反らし、王女としての威厳を保とうとした。小柄な彼女を必然的に見下ろす形になり、シーマは冷笑した。
「知ってどうするというのだ? 何もできないくせに」
ヴィナスを手で押し退けた。
小鳥は小さな悲鳴を上げる。か弱い彼女は少し押しただけで、床にくずおれた。
──そういえば、こいつはディアナが死んだときの保険だった。でも、今は構っている暇がない。あとで謝ってご機嫌取りでもするか
そのまま立ち去ろうとしたが……
「あなたは王にはなれない! 絶対に!」
呪詛が追いかけてきた。
シーマは立ち止まり振り返る。ヴィナスは射るような眼差しを向けていた。
「お父様が、国王陛下が亡くなったことを文で方々に知らせたわ! 城にあった名簿を見て、内海の諸侯たちにも!」
心が冷えるのと同時にシーマの体温は下がった。
「私が何もできないですって? よく言うわ! 国王が亡くなったことを知れば、内海の諸侯はローズにつくでしょうね。シーマ、あなたはもうおしまい。降伏なさい」
シーマはもう笑ってなかった。素顔を偽りの恋人へ向ける。
「どうしてそんなことを?……」
──一連の出来事が俺によって仕組まれたと、勘づいたのだろうか?……いや、そんなはずはない。彼女は俺に夢中だったのだから
不安になるのは五年ぶりぐらいだった。愚かだと思っていた娘の行動が予測できず、自分を追い詰めようとしている。尊厳を傷つけられたように感じ、シーマは気づけなかった自分に怒りを覚えた。
「あなたを愛してるからよ」
ヴィナスは駆け寄るやいなや、シーマに抱きついた。
「あなたがこの戦いに勝利すれば、王になれる。それぐらいは私にだってわかる。でも、即位するには第一王女である姉と結婚して、ガーデンブルグの姓を引き継がねばならない。あなたが私に書かせた遺言書どおりにね? ローズの血が入っている私では、姉の代わりにならないのでしょう?」
シーマはヴィナスを引き剥がそうとした。
「お姉様にあなたを取られるなんて、絶対にいや!」
叫んでからヴィナスはシーマの顔を見上げ、目を見開いた。
シーマは常に冷静で、笑みを絶やすことがなかった。だが、今は強張った顔をしていると自分でもわかっている。
ヴィナスは何度も瞬きしてシーマの瞳をのぞき込んでいた。その様子はまるで、信じられない物でも見たかのようだった。
──まさか……
部屋の奥に置かれた鏡台で、シーマは自分の顔を確認した。
──大丈夫だ。目の色は灰色だ……でも……
ヴィナスの表情が驚きから恐怖に変わるのを見て、シーマは不安になった。さっきは抱きついてきたのに、後ずさりしている。
──見られたのかもしれない……
興奮状態に陥った時、シーマの瞳は銀色に光ることがある。そのため、感情のコントロールにはいつも気をつけていた。
亜人であることを、けっして悟られてはならない。シーマは下を向き、深呼吸して気持ちを整えた。
数秒後、いつもの笑顔を張り付ける。侍従を呼び、伝えた。
「王女殿下は錯乱状態にあられる。鍵のある部屋にお連れして、精神が正常に戻られるまで部屋からお出しすることのないように」
「!?……シーマ……あなた?……やめて!! やめてよ! 私はおかしくなんかなってないわ! 放して!! 無礼者!」
ヴィナスは激しく抵抗したので、数人に押さえ付けられた。泣き叫び、懇願するヴィナスをシーマは笑顔で見下ろす。
「殿下は何か幻覚でもご覧になったのではないですか? 不幸が重なり、精神的にお疲れなのです。あとは私に任せてゆっくりお休みください」
──おまえは何も見ていないし、見たとしてもそれは幻覚だったのだ。錯乱しておかしくなっているだけ。さあ、ゆっくりお休み
ヴィナスは窓のない部屋へと連れて行かれた。
ヴィナスのことが一段落すると、シーマはこれからのことを決めなければならなかった。
何度か投石を受けただけで、敵軍はまだ本格的には攻めてこない。降伏を待っているのだろう。これは何にでも突撃したがるイアンのやり方ではない。明らかに彼のやり方だ。
「サチ・ジーンニア」
シーマは歯ぎしりした。
今のところ、城を包囲する敵軍の数は守っている数に対し、五割か六割増しといったところか。これくらいの差であれば、なんとか抗戦できる。とはいっても、相手がサチなら用心しなければ。奇策を用いて城へ攻めこもうとするかもしれない。
王城を包囲している軍をこちらに回すことも、できないことはないが……それを機に包囲を破られてはまずい。そうこうしているうちに国王の逝去が知れわたり、ローズ軍は活気づくだろう。内海の諸侯の多くはクロノス国王を嫌悪しているのだから。
この戦に勝利すれば、イアンは英雄だ。暴君クロノスから国を救った救世主は玉座に座る。
──あのイアンが王だと?……勘弁してくれよ?
あまりにも滑稽で、思わず笑いそうになった。
──筋書きを書いたのは俺だ。イアンごときに持って行かれてたまるか
シーマは右腕に走る傷痕を触った。今、唯一の頼みの綱は遠く離れた所にいるユゼフだけだ。
──ユゼフのことだからあの文を見れば、俺が何を望んでいるのかわかるはず
※※※※※※※
待てども待てども、グリンデルからの援軍はやって来なかった。
シーラズ城は白い漆喰の城壁と、群青色の三角屋根に形作られた美しい城である。高い塔は四本あるが、周りを囲うのは低い城壁だ。
城の背後、数スタディオン先には内海が広がり、正面には野花の咲き乱れる草原と大きな湖があった。その湖の周りを山々が見下ろすように囲んでいる。領民は湖のほとりに町や村を作った。
王都スイマーに近く、西に数十スタディオン行けばすぐ王城だった。
湖を囲む山々はシーラズ城の周囲だけ途切れ、城は平地に立っている。
このような立地と機能性においても、籠城には向かなかった。城の周りに濠はなく、城壁は脆い。
大軍に攻め入られれば、あっという間に片がつくだろう。
シーラズ城を包囲されてから一週間後……
包囲軍は日に日に増えていった。今まで静観してきた諸侯たちが国王の逝去を聞き、イアン側についたのである。
シーマはただ待つしかなかった。こんなにも追い詰められたのは、人生で初めてだ。
──ぺぺは俺からのメッセージに気づくはずだ。でも、どうして?
そもそも文自体、ユゼフが見るまえに燃やされてしまったとか? いや、シーバートがディアナ王女に文を見せる時、ユゼフは近くにいるはずだ。片時も王女のそばを離れず、守っているはずだから。
ユゼフは、なんとかして文を見ようとするだろう……そして、ディアナにグリンデル宛の文を書かせる……もしかして、それがうまくいかないのか? ディアナをうまく言いくるめることができない……
だが、何が何でもやろうとするだろう。ユゼフは有能だし、できるはずだ。
──でなければ、俺はあいつを選ばなかった……もしくはグリンデルの女王が拒否したか……
さまざまな疑念が浮かんでは消え、また浮かんだ。
不安に押し潰されそうな時もあり、心の奥で燃え盛る熱情が消えてしまいそうになることもあった。
後戻りはできない。
大きなことをしでかして、たくさんの犠牲を出した。無垢な子供まで王族という理由で殺したのだ。
──もう死ぬか、王になるかの二択しかない
心が疲れ始めている。
この一週間、眠れない日が続いたせいか、シーマは広間のソファーにもたれ掛かり、うとうとしていた。
伝令の声が夢の中で響く。
「シーマ様、ご報告であります! ローズ軍からの軍使が謁見を求めております。名をサチ・ジーンニアと申しております」
その名を聞くと、夢から現実へ引きずり戻された。




