39話 好き
(サチ)
最初は左腕、次は右腕、左足、右足、胴……
山の精霊レンは肉体の断片を見つけるたび、成長していった。
今や身長はサチより少し低いぐらい。見た目も大人の女性とほとんど変わらない。
成長するにつれて話せる言葉も増え、意志疎通も出来るようになった。
「なあ、レン。身体はおまえ一人でも見つけられたんじゃないのか? 俺がいる意味は?」
サチはうっかり視界に入ってしまったレンの胸元から目をそらしながら尋ねた。
落ち葉で全て覆い隠せないほど、乳は発達しており、谷間がくっきり見えている。
もう手をつないで歩くのが恥ずかしいレベルである。だが、レンは握った手を離そうとしなかった。
「好きな人、そばにいる。呪い、解ける」
「す、好きな人??」
思わず、サチは素っ頓狂な声で聞き返してしまった。レンは頬を赤らめ微笑んでいる。可憐過ぎる。
彼女が人間風に姿を変えられるなら連れ帰ってしまいたい。そんな邪な考えまで思い浮かんでしまう。
──俺としたことが何と不埒な考えを……ユマという想い人がいるのに
ここ最近、アスターの態度は好感触である。
この旅が無事終われば、娘のことを考え直してもいいと言っていた。まだ彼女の好きな花が見つかってないとはいえ……
しかし、理性など吹き飛んでしまうほど、レンの話は憐憫を誘うものだった。
「昔、わるい神様がレンのことを無理やり自分の物にしようとした。レンは必死に抵抗して逃げたの。でも、怒った神様は僕達を使って、レンの身体を八つ裂きにさせた……」
酷い話だ。こんな可憐な子を……
サチは言葉を失い、彼女の物語に聞き入った。
「レン達は音楽を奏でるのが得意。音で人を操る。殺すことだってできる。わるい神様は恐ろしいメロディーで僕達を獣にしたんだ。バラバラにされた身体は虫食い穴へ放り投げられて、レンは呪いをかけられた。恋人に身体を見つけて貰わないと元には戻らない。わるい神様はレンが謝って自分の物になるのなら、戻してやろうと……」
「なんて酷い男なんだ。君みたいな子を見ず知らずの土地に縛り付けて」
「レンはわるい神様の物にはならない。だから、ずっとここで一人。好きな人が現れないと……」
「君の言うことはつまり……一人で身体を見つけても呪いは解けないということかな。俺は呪術に詳しくないからよく分からないけど」
レンは嬉しそうに握った手を振った。可愛い。手はもう冷たくなかった。
「レン、サチと会えてウレシイ。サチは運命の人。ここで、ずっと一緒に暮らす」
「ん??」
だんだん話がおかしな方向へ傾いてきた。
──ここで、一緒に、暮らす……だと?
彼女は何か決定的な勘違いをしている。
だが……
白く長い睫毛を瞬かせ、青銀色の瞳は熱を帯びている。薄ピンクの唇を尖らせる様が何とも可愛らしい。
サチもこの美しい山の精に心惹かれ始めていた。
──駄目だ、駄目だ。幾ら美人に心寄せられたからといって気持ちが揺らぐのは。好きな人がいるというのに
後は頭部を見つけるだけである。
それまでに気持ちをはっきりさせねば。
サチは半ば強引に彼女の手を振り払い、向かい合った。
「レン、君は何か誤解しているようだからちゃんと話しておこうと思う」
レンは白い髪をたなびかせ、小首を傾げる。
その様子を見るだけで決心が揺らぎそうになる。こんなにも美しい女性を前に、平常心でいられる男がこの世にどれだけいるのだろうか。
サチは頭を降って妄念を振り払った。
「実は……俺には想い人がいる」
「オモイビト?」
「そうだ。まだしてないけど、婚約……えと、つまり夫婦になる予定の人がいる」
つい目を逸らしてしまってから、再び彼女の顔を見る。思っていたより顔つきは険しくない。
「だから、その……つまり、君とは一緒になれない」
「なんで?」
「俺はここを去らねばならぬし、一緒には暮らせないよ」
青銀色の瞳が潤み始めた。レンの顔が歪む。口を手で押さえ、肩震わせる。
「すまない……」
「いや! いや! いやいやいやいや!」
レンは激しく頭を振った。目からは大粒の涙がボロボロこぼれる。
その姿にサチは胸を締め付けられた。誤解とはいえ、こんなにも可憐で無垢な人を傷つけてしまった。
「なら、レンもサチと一緒に行く! いいでしょ? ね?」
レンはサチに抱きついてきた。
良い匂いがブアッとサチの脳髄を刺激する。
──頭がクラクラする
彼女の体はひんやりしているが柔らかい。
それに、力を入れたら今にも壊れてしまいそうだ。
こんな不意打ちは卑怯だ。
女性に抱きつかれるなど、生まれて初めての経験である……平手打ちならされたことはあるが。
どう対処すべきか、サチの両手は空を掴んだ。風の囁きにも似た美しい声がなおも耳腔を震わす。
「奥さんいるなら、レンは二番目でもいいの。だから、ね? お願い」
──二、番目……だと!?
その発想はなかった。
哀願する瞳は秘宝のごとく。
顔の造作、表情、全てが尊い。
彼女と見つめ合えば、どんな決意も揺らぎそうになる。
「レンは初めてだったの。サチみたいな人は。来てくれるのをずっと待ってた。サチもレンと同じ」
木枯らしが足の間を吹き抜けた。
枯れ木が揺れ、落ち葉が舞う。
そんな静かな音しかここにはない。
一人ぼっち、寒空の下。彼女はずっと誰かを待ち続けていたのだ。
「にんげんキライ。にんげん嘘つき。サチは違う」
何と言葉を返したらいいか分からない。
込み上げる想いがサチの胸を一杯にしていた。しかし──
「からだ、探させるの初めてなの。サチは力があるからレンを元に戻せる。いつも、にんげん来たら、土蜘蛛様の所へ案内する。それで土蜘蛛様が残したのを喰う」
──ん??
何か予想外の言葉が飛び出してきた。
──喰う……だと??
確かにそう言った。聞き間違いでなければ。
だが、聞き間違えであってほしい、その微かな望みは呆気なく砕かれた。
筋を弛緩させ、心奪う麻薬的な声によって……
「たまに若くてキレイな男も来る。レンは大人の女になってお話するの。こういう時は一人で食べちゃう。いつもレンのこと、好きって言ってくれるけど嘘。にんげんは嘘つき」
瞳に邪気はない。
さっきまでと同じ清らかな瞳だ。
逆に醜悪な表情をしていた方がどんなに良かったか。
甘い恋情の後に背筋が凍り付くほどの悪寒を与えられるとは。
サチは彼女を体から引き離した。
「サチ、どうした? サチもにんげん食べる」
「いや、俺は食べない」
「……? サチもレンといっしょ」
「違う。俺は君とは違う」
夢から覚めれば、極めて冷静になれる。
彼女の完璧過ぎる造形を見ても、もう迷わなかった。
「レン、俺は人間なんだ。人間として育てられ、人間として生きてる」
「……でも……ちがう」
「そうだな、違う。魔人だ」
その言葉にレンは一歩下がったが、瞳はまだサチを捉えたままだ。
「光と邪……両方の匂い、する」
「俺はたぶん魔族だから、君とは種族が違うが、同じ異形のよしみで助けてやってもいい。だが、その後は添い遂げもしないし、協力もしないぞ?」
レンはようやく理解したようだった。
下唇を噛み締め、眉間に皺寄せる。秘宝のごとき瞳は初めて強い敵意を宿した。
「なら、ころす」
言葉の後に襲ったのは、割れんばかりの反響音だった。
木々が揺れる。
山全体が揺れ動いていると錯覚するほどに。
最初に襲った衝撃波とは比べ物にならない。
様々な音がぶつかり合い弾け飛ぶ。
音の断片は凶器となってサチに襲いかかってきた。たくさんの言葉、叫び声、怒号、泣き声……全てが。
耳を塞いでどうにかなるレベルではなかった。これは全身攻撃だ。
頭を激しく揺さぶられた後のように気持ち悪くなる。サチは盛大に吐いた。
吐瀉物は落ち葉の中へ沈み、霜を溶かす。
口を拭う暇さえ与えられない。勢いよく突っ込んできたレンによってサチは押し倒された。
「うそつき、うそつき、うそつき、うそつき」
みぞおちを強く突かれ呼吸が止まる。馬乗りになった彼女はサチの肩をガッチリつかみ迫ってきた。爪が肉に食い込んでいる。
憎悪で歪んだ顔に可憐な面影はなかった。
大きく開いた口に光るのは尖った牙だ。
サチは目をつむった。
いかれてしまった耳に、彼女の嘆きは届かない。
────────────────
レンの頭が自分の腹に突っ伏した時、サチはまだ何が起こったのか分からなかった。
彼女の背後からにゅっと立ち上がる影は、オーガかと思ったのだ。
「全く、何を遊んでるのだ?」
それがオーガではなく、アスターだと解するまで少々時間がかかった。
サチは助け起こされ、倒れた彼女の下から引きずり出される。
アスターが刺したのだろう。
彼女の背中には生々しい刀痕があった。
「レン!」
触れれば、微かに皮膚は上下している。
まだ呼吸している。
極めて自然にサチはレンを助けようと思った。ほとんどの荷物は馬に乗せていたが、救急品は肩から下げたスリング※の中に入っている。
止血し、包帯を巻き始めたサチをアスターは呆れ顔で眺めた。
「何をやってるのだ? お前は」
「この子は悪い子じゃない。助けるんだよ」
「さっきから見てたがアホか。トドメを刺すなら分かるが」
「さっきから見てたって……いつから」
「婚約してるから一緒になれない云々言い出した辺りからだよ」
それを聞いてサチは耳まで熱くなった。あのやり取りを聞かれていたとは。
「これだから、女に免疫がない奴は」
「黙って見てたなんて、たちが悪い」
「いや、あれのどこで口を挟むと言うのだ?」
サチが言い返せなくなった所で、レンがむっくり起き上がった。
「お? 起きたな、化け物」
一歩下がり、アスターは血塗れたラヴァーを構える。
レンは虚ろな目でぼんやり遠くを眺めていた。アスターのことは視界に入ってないようだ。
「レン、大丈夫か?」
サチの問いに、レンは首を微かに振った。目尻に光る涙はどんな宝石より心を奪う。
シャラシャラシャラ……鈴音より繊細な声が発したのは拒絶だった。
「愛してくれないのなら優しくしないで」
言った拍子に彼女は眩い光となり、一瞬で消えてしまった。後に残ったのは灰色にくすんだ落ち葉だけ。主を失った落ち葉は色を失い、ヒラヒラと地面へ落ちていった。
「化け物の言う通りだぞ。その気もないのに優しくするのは残酷だからな?」
「分かった。肝に命じとく」
口を曲げ、苦々しくも次なる説教を待つ。
今のは完全にサチの落ち度である。どんな言い訳も通用しないだろう。女性との生々しいやり取りを一番見られたくない相手に見られてしまった。
「あいつはエコー、さっきお前が言ってた土蜘蛛が使役する山の精だろう。今の様子じゃ、もう襲う気はないみたいだな」
「アスターさんはどこにいたの?」
「お前がいちゃついてる間に別次元へ飛ばされていた。お前の相手が美女というのに、私の相手は虎だか猿だか分からん猛獣だったぞ。名前はヌエとかなんとか……不公平極まりない」
「山のニンフは若い美男子しか襲わないらしいからね」
「言うか。じゃあ、こちらも言っておくが、まだお前をユマの婚約者にすると決めた訳ではないからな。さっき婚約者がいるとかどうとか、勝手なことを抜かしていたが」
「あ、あれは断るための方便というか……別にユマお嬢様のことを言った訳ではなくて……」
また顔が熱くなる。そんなサチを尻目にアスターは繋いでいた馬の所へズカズカ歩いていった。
「サチ、おまえの馬は逃げたか? 泉の洞穴まで相乗りせねばならんな。全く迷惑ばかりかけおって……」
ブツブツ言いながら、アスターは急に膝から崩れ落ちた。突然だ。びっくりする。
「アスターさん??」
アスターの顔色は真っ青だった。
額に丸い汗の粒が点々と吹き出ている。体を支えるのがやっとの状態で近くの枝をつかんだ。
「急にどうしたんだ? アスターさん、大丈夫??」
「……うるさい、血をよこせ」
「は!?」
ふざけているようには見えない。息も絶え絶えの状態だ。ギリギリの所まで平静を装っていたと思われる。
──血を寄越せって……吸血鬼か
それから、サチはアスターに血を与え、蛇の毒に犯されていたことを知ったのだった。
全く無茶苦茶である。あと数分遅ければ、全身に毒が回ってアスターは死ぬ所だった。その寸前までサチに小言をぶつくさ言っていたのだから、呆れてしまう。
──先が思いやられるな……
冒険は始まったばかり。
まだ、置いてきたイアンを案じる余裕ぐらいはあった。
※スリング……貴重品だけを入れる簡易なたすき掛けのバッグみたいなもの
アスターの戦いは別視点に置いてあります↓↓
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