34話 悲劇のあと
(グラニエ)
まさか彼らがヴァルタン邸を襲うとは思ってなかった。
まず、グラニエはアスター邸へ向かったのである。カミーユ夫人の安全を確保し、ホッとしたところでユマ嬢が不在なのに気付いた。ヴァルタン邸にいると聞き、騎士団より一足早く赴いたのだが……
グラニエが衛兵を従え、三階の書斎にたどり着いた時、すでに連中は去った後だった。
「窓から飛び降りたのか!? 追え!!」
部屋の中は無惨な有り様だった。
書棚は派手に倒されてるし、刀傷があちこちに見て取れる。本は全て床に投げ出され、踏みつけられていた。
奥の棚の前には男物の上衣で裸体を隠し、震えている娘が。傍らで守るように佇んでいるのは従者か。頬を腫らしている。
──この状況は……何かされた後かもしれない
この有り様を部屋へ駆け込んだ衛兵達に見られてしまったのはまずかった。
人の口に戸は立てられないからだ。
アスターの娘は暴漢に辱められたと噂されることになるだろう。
グラニエは衛兵達に逃げた暴漢ども(正体はヘリオーティスだろうが)を追うように命じた。
ここへ来る途中、警邏中の衛兵に声をかけ同行させたのだ。元々グラニエの管轄下ではないから箝口令を敷くのは難しい。
──大変なことになってしまった
動揺を気取られないよう、穏やかにグラニエはマントを脱いだ。裸体を隠しきれていないユマ嬢へふんわり被せる。
「私、騎士団のジャン・ポール・グラニエと申します。バム侯爵アスター卿のご息女ユマ様でお間違いないでしょうか?」
「間違いないです」
代わりに答えたのは従者の男だった。
ユマ嬢は顔を濡らし瞳泳がせ、心ここにあらずの状態だ。
従者の男には見覚えがあった。
山吹色の髪と黄色に近い茶色い瞳。
アスターがいつも従えている男である。
──アスターはこの男を置いていったのか。
信頼する男を残したのは娘を守るためか、それとも……
「君は確か、ダーラ……」
「ダーラ・オーテンシアです、サー・グラニエ」
「そうだった。ここで何があったか、教えてくれないか?」
「はい。まず、ユマお嬢様はご無事です。服を裂かれただけで他には……首を少し傷つけられているので手当てをさせて下さい」
グラニエは室外にいた衛兵から医具を受け取り、ダーラに渡した。
ダーラはユマの首を消毒し、テキパキと包帯を巻き始めた。パッと見た所、表面を軽く切られただけのようだ。血は出ているが、傷跡も残らない程度だろう。
「やりながらでいいので、何点か教えて欲しいことがある」
グラニエは注意深く問いかけた。
転がったままの抜き身の剣、書棚のあちこちについた刀傷、それらはここで激しい戦いがあったことを物語っていた。
このダーラという男はアスターのお気に入りである。いつも傍に置き、家族同様に生活させていることから大体の事情は把握していると思われる。ただし、忠心固く簡単に秘密は漏らさないだろう。
優しげな横顔に反し、敵が去った後も殺気に近いほどの緊張感を漂わせている。それだけでなく獣的な気をビシビシ感じさせるのだ。
おっとりしているように見えて、この男は幾度となく命のやり取りをしている。
つまり、ただ者ではないということ。
「まず、襲ってきた暴漢についてだが……心当たりは……」
「ヘリオーティスです」
ダーラは意外にも即答した。
確信のある物言いだ。
「どうしてヘリオーティスだと? 彼らの特徴である麻袋はかぶってなかったが……」
「知っている連中だったのです。エッカルト・ベルヴァーレ。ヘリオーティスの幹部です。五年前、カワラヒワでお……私達は襲われました。その時、アスター様がエッカルトの右目を奪ったのです。今回はその怨恨もあったのかと」
「なるほど。彼らはディアナ女王の配下にある。暴漢を装ったのはそういう事情からだろうね」
そこでグラニエはダーラの足元に落ちているハンケチに気付いた。
「これは……」
「エッカルトの仲間の女が落とした物です。ヴァルタン卿、宰相閣下に渡せと」
「宰相閣下に? どういうことだ?」
「そのハンケチは私もお揃いの物を持っていますが、五年前に宰相閣下の物を盗み取ったのでしょう。カワラヒワの暁城で戴いた物です」
ハンケチを開くと、鮮やかな赤い月と可愛らしいアトリが刺繍してあった。端にはユゼフ・ヴァルタンと名前まで。
「表向きには自分達の仕業だと思われたくない。だが、アスター様に対してはそれとなく分かるようにする。逆上させて罠にはめようとした……そんな所でしょうか」
ダーラは淡々と状況を説明した。
内には相当の怒りを秘めているが、表面的には全く落ち着いている。
──ふむ……大した物だ。さすがはアスター様の従者といったところか。
「しかし、果たしてヘリオーティスは個人的な怨恨だけで動くかな。私にはもっと別の意図が働いているように思えるのだが」
「ええ。彼らの背後にいるのはディアナ女王ですから。私にはよく分かりませんが……」
ダーラは控え目に答えた。
何か知っていてもこの男は簡単に口を割らないだろう。後で呼び出して尋問してもいいが、そんな悠長な調査をするより、行動した方が早いかもしれない。
あれやこれや考えていたせいで、気が逸れていた。
グラニエは武人である。
戦地で残酷な光景を何度も目にしているし、命のやり取りなど数え切れないほど越えてきた。だから、人の生死に対して鈍感だったのかもしれない。特に目的の途中で思考を重ねている時は。
「モーヴは!? モーヴは無事なの??」
唐突にユマが叫んだ。
娘の悲痛な叫びはグラニエを凍らせた。
まだ少女でも通じるぐらいの娘は、目に涙滲ませ姉の安否を案じている。今まで感じたことのない恐怖を与えられ錯乱気味だ。
このまま嘘をついて、彼女を落ち着かせることは簡単だ。しかし……
ユマの大きく開かれた瞳には確信めいた不安が宿っていた。女の勘はこういう時ほど働く。今の彼女はどん底にいるが、まだ更に下があることも分かっている。
一時の安らぎに何の意味があるのだろう。どの道、分かってしまうことだ。何度もショックを与える方がよっぽど残酷かもしれない。
──大丈夫だ。彼女はあのアスター様の娘
グラニエは覚悟を決めた。
「モーヴ様はお亡くなりになりました」
言葉は空を切り、かまいたちのように彼女を切り裂いた。
辛うじて起こしていた身体をダーラに支えられる。目は開いているから気絶はしていない。
余りにも率直過ぎた。
責める視線を向けるのはダーラだ。
だが、無情にもグラニエは続けた。
「モーヴ様は厨房に隠れていたのですが、使用人の娘達が犯される姿を目撃していたのでしょう。見つかった時、身を汚されるくらいならと自ら首を包丁で……」
「もう言わなくていいです!」
ダーラが怒鳴った。
黄金色の瞳は怒りに燃えている。
それはグラニエに忘れていた何かを思い出させた。
「君は強いのに優しいのだな」
今にも壊れてしまいそうな可憐なお嬢様を抱きかかえ、グラニエには荒々しい怒りをぶつける。怒りに満ちた瞳はこれまで彼が見てきた醜い世界を物語っていた。
それで全て解した。
アスターがこの男を残した訳が。
守りたかったのだ、この優しい存在を。ただ純に。
──しかし、我々のような獣に優しさは必要なのだろうか
これは人生の永遠のテーマだ。
荒れ狂う嵐の中、身を置く者にとっては特に。
主は何とおっしゃるだろうか。
彼もまた厳しくも優しい方である。
「一つ聞いてもいいだろうか?」
グラニエは優しい獣に嘆願する。
この世界を導く救世主。
我が心の主は何処へ。
「サチ・ジーンニアはアスター様と一緒だね?」
正直な獣は僅かに身震わせた。
グラニエにはそれで充分だった。




