25話 小太郎の人生②
道場に住み込み、稽古しながら、掃除に洗濯、炊事の手伝い、その他雑用諸々……使用人のような仕事をさせられる小太郎。
名門貴族の御曹司だった、かつてのイアンからは考えられない生活である。
謀反を起こしてからの逃亡生活や教会での生活でだいぶ学んではいる。それでも、イアンの目に小太郎は奴隷のごとく移った。
ここに肉体があったら、イアンは号泣していたことだろう。それぐらい過酷だった。
小太郎はこのイアン・ローズの息子だ。それも王家の血を引く……どれだけ訴えても、過ぎ去った過去は何も答えない。
小太郎、二度目の転機は十七の頃。
シンセングミ?──
道場の偉い人達が皆、その特殊部隊に参加しているのだという。小太郎も入隊すべく、江戸の町から京へと向かった。
この部隊に関して、イアンはよく分からなかった。
殿様直属の部隊らしいのだが、それにしては戦えれば誰でも入れる、傭兵の集まりのような感じがした。
要は柄が悪いのである。
ちゃんとした身分や経歴の人もいるにはいるが、どうも冴えない。金が無かったり、武士の中でもど底辺だったり、没落していたり、全員が自らの主君の元を離れている。中には武士ですらない、賊の部類もいるし。
──ゴロツキと浮浪者の集まりじゃないか……
イアンはそんな印象を持った。
彼らの仕事は京の都の治安維持。不逞の輩を取り締まると言うのだが……
──こいつらが、不逞の輩では?
と、思ってしまうほどであった。
つまりこう。
政情不安で各地から謀反を企む輩が城下に集結し(サツマとかチョーシュー)、地下活動している。そいつらを見つけ出してやっつけろという話らしい。
ソンノウジョウイだとか、トウバク、サバク……などはイアンの理解の及ばぬ範囲だった。
──つまり、サツマイモとチャーシューが悪者なんだろ? 色々、理由つけて小難しくすんなよ
イアンの知能で理解できるのはそこまでだった。
しかし、このシンセングミが組織化されるにつれ、認識が間違っていたことにだんだん気付いてくる。
小太郎も最初は道場にいた頃と同様、稽古と雑用に追われる日々を送っていたが、次第に変わっていった。
炊事に豚や鳥の飼育、菜園の手入れなども加わる。あとは町の警邏、何より最悪なのは遺体の処理だ。
まず、この遺体処理が日を追うごとに増えていった。
最も多いのが病死。慣れぬ町暮らしのせいか、食事が良くないのか、衛生上の問題か、シンセングミでは流行り病が猛威を振るっていた。
病死も嫌だが、気分が悪いのは切腹死である。隊規に違反しただけで、切腹を申し付けられる。厳しい隊規を定めることにより、ならず者の集団がまともになった事実は否めないとしても。この中には粛清も含まれている。
途中で指導者が変わったぐらいで、組織に巣くう邪悪は浄化できなかった。むしろ、裏切りや離反に対する恐れが強まり、寛容さが失われる。仲間内の和気藹々とした雰囲気が厳格なものへと変わるのに時間はかからなかった。
そもそも、この隊の設立自体が上に都合良く作られたものであった。
彼らは正規の兵士ではない。危険に見合うだけの給与はもらえるものの、気に入らなければ、簡単に切り捨てられるだけの存在。こんな寄せ集めの兵士に忠誠心が芽生えるはずもなかった。
彼らは局長近藤勇の人柄や求心力に引かれて、熾烈な戦いに身を費やしているのだった。会ったこともない殿様への情はない。
無論、離反裏切りは後を絶たない。小太郎は友人の処刑を皮切りに手を汚すようになった。
本来の目的である謀反人の討伐でさえ、正しいことなのか分からなくなってくる。
蛤御門の戦いの時は逃げる敗残兵まで追い詰め、皆殺し。潜伏したと思われる屋敷に火をつけ、町中を巻き込む大火事となった。
──まるで、獣じゃった
血に飢えた獣。
主人の意のまま、殺戮するだけの獣だ。
彼らは兵士ですらなかった。大義名分を振りかざす暗殺者集団だ。
しかし、その場にいる当人達はそれが義のためだと、正しいことだと信じ込まねばならなかった。そうしなければ、せっかく確立したアイデンティティが脆く崩れ去ってしまう。
小太郎もそう。仲間を殺そうが、哀れな敵を殺そうが、突っ走るしかなかったのである。
結果、行き着いたの完全なる否定。拒絶。
彼らが謀反人としていた連中は王に認められる。反対に朝敵(謀反人)となったのは小太郎達であった。
戦いに敗れ、朝敵という汚名まで着せられ、小太郎は逃げてきた。
追い求めていた正義が悪とされた時、自我は解体され、生きている理由を失う。
小太郎はなんのために戦っているか、分からなくなった。
戦線離脱したのはこういう理由だったのだ。
記憶の深い所から浮上したイアンは敗残兵となった小太郎の意識と重なった。
大怪我を負った小太郎は神社の縁側に座って、ぼんやり空を見上げている。
誰もいない神社は寒々として、心細かった。
拝殿の茅葺き屋根は今にも崩れ落ちそうだし、欄干の塗装はすっかり剥げ落ちている。もしかしたら、何年も神社としての機能を果たしていないのかもしれない。
見上げた先にあるのは、穢れを知らぬ白い梅花。闇の中、浮かび上がる可憐な花はただ清らかで、物悲しかった。
冷たい頬が濡れる。生暖かい涙で。
小太郎は梅の花に顔を向け、泣いていた。
──嫌だ! 死にたくねぇ! こんな所で……たった一人で
小太郎の心の叫びは敏感なイアンを苦しめた。まだ二十そこそこの小太郎にとっては過酷過ぎる人生。イアンがローズ城でのうのうと暮らしている間、教会で守られている間も、小太郎は誰からも愛されず、死と隣り合わせの生活をずっとしていたのだ。
と、濡れた頬に何か落ちた。
一つ、二つ、三つ……
白い花弁がヒラヒラと舞いながら落ちてくる。闇の向こうから、幾つも、幾つも……
花弁というには脆く、そして冷酷だった。
──ああ、雪じゃ。雪が降ってきたんじゃ
小太郎の想いに呼応して、雪が降り始めたのだ。チラチラ舞っては消える。儚さは美しい。
小太郎、小太郎……
おめぇ、何か忘れとるじゃろ? 大切なことじゃ。ほれ、まだお仕舞ぇじゃねぇ……
誰かが小太郎に呼びかける。精霊の類だろうか? それとも、死んだサーシャ?
小太郎はアッと小さく叫び、帯の辺りを触った。
──何か困ったことになったら、開けてみろと。おめぇの本当のおっ母から預かった物じゃ
これは小太郎の養父の言葉。小太郎が帯からむしり取ったのはお守りである。
サーシャが形見として渡してくれた物だ。
困った時に開けろ……サーシャが小太郎に残した言葉はそれだけだった。
小太郎からすれば、自分を捨てた母親だ。こんな物!……と思う気持ちもある。養父に金を沢山渡していたことから想像するに、母親は貧乏人ではない。身分高く裕福な家の娘だったのかもしれない。そして、望まぬ相手との間に子供を作った。
或いは遊女か。子供がいたんじゃ、仕事にならないし、身請けもしてもらえない。
どの道、勝手な都合で自分を捨てたのだと小太郎は思っていた。
不潔。嫌悪。軽蔑。それと同時に抑えようのない愛着も湧く。小太郎は母の愛に飢えていた。
ひねた気持ちと愛着が葛藤し、それに大きな期待が被さる。
小太郎はかじかむ手を懸命に動かし、御守り袋をこじ開けた。
ビリビリッ……生地の破ける音がした瞬間、目の前が白くなる。
現れたのは光。虹色の……様々な色が混じり合った──虫食い穴だ。
天使か精霊か。誰かが助けに来てくれると期待していた小太郎は目を細めながら自嘲する。
──そうじゃ、オラは牛若丸じゃねぇんだからな。弁慶が助けに来てはくれねぇか。
これはあの世への入り口に違いない。痛みからようやく解放されると、小太郎は胸をなで下ろした。
──いよいよ、迎えが来たか
瞼を閉じ、小太郎は光に身を任せた。




