22話 サーシャ
(イアン)
朝食後、昨晩紹介された蟻遠小太郎がイアンの元へやってきた。サーシャの墓へ案内するのだという。
正直、自分を騙していた女の墓参りなどしたくない。エンゾに言われなければ、絶対無視していただろう。
海に行李ごと投げ出された衣服が乾くのに一日かかる。蓬莱山へは明日向かうことになった。
「俺も墓参りについていく」
寝ぼけ眼のサチが言うと、アスターは頷いて外出を許可した。
眠いのも当然である。
昨日は遅くまで話し込んでいたのだから。
イアンの方から話すことは大してなかった。話の八割はこの五年間の顛末である。
五年前、未来から来たカオル達がサチ、ユゼフ、アスターを暗殺しようとしたこと、その理由。サチが学匠の学校へ入るため、シーマの間者として働いていたことも。
「まあ、大したことはしてないけどな。騎士団での人間関係やアスターさんが報告しないことを知らせてただけで」
これに関してサチはあっけらかんとしていた。そこまで危険なことをしていたという認識はないらしい。それによって、ディアナ女王の暗殺リストに入れられたというのに。
騎士団はアスターの独裁だった。
人間性に問題があっても、アスターは優秀な者を取り立て、ひいきする傾向があった。多少の問題はもみ消す。
そこで起こったのが副団長クリムトとジェームズの事件である。
クリムトはディアナ女王の命で勝手にヘリオーティスを城内へ入れ、騒ぎを起こした。
亜人ということがバレたサチの友人はリンチされ、サチと上司のグラニエは地下に封じられた化け物と対峙することに。
「ほんとに何で助かったんだか。身体から猛毒を放出するモンスターでさ、岩を溶かすぐらいの酸を飛ばしてくるんだ。グラニエさんがいなかったら死んでたよ」
グラニエというのは、イアンがランディルと出会った国境付近で助けてくれた騎士である。
「それにしてもおまえ、ほんとに悪運は強いのな」
「ああ、何度死にかけたことか」
サチはカラカラと笑った。
この明るさがなければ、救われない。
イアンが激怒したのはジェームズの痴漢の話だった。キャンフィがほとんどクビのような形で除隊せざるを得なかったのには納得いかない。一方のジェームズは不問とされたのに。
きっと、彼女がこういう目に遭うのは初めてじゃないだろう。カオルが決闘沙汰にしなければ表には出なかった。
──どうして兵士の道を歩もうとするのだろう。
イアンの中のキャンフィは幼い頃のまま可愛らしい娘だった。とてもじゃないが、戦いに身を投じるようなタイプとは思えない。昨晩の泣き顔と重なり胸が痛くなる。
キャンフィがディアナ女王側につくのは当然で、それを責めようもないとイアンは思った。
それからカオルの生い立ちの話を聞き、気付いた頃には夜が白み始めていた──
サチが欠伸すれば、イアンもつられる。小太郎はそんな二人の様子を無愛想な顔つきで眺めていた。
「昨晩はあまりお休みになれなかったんでせうか?」
「いや、ついつい話し込んじゃって……」
「そうでスたか……」
小太郎は少々訛りのある口調で返した。
普段エデン語で生活しているので、アニュラス語は不慣れなようだ。
イアンの隣に小太郎が並んで立つと身長はほぼ同じ。小太郎の方が少し高いくらいだ。ほとんどのエデン人は小柄だからかなり珍しい。イアンの借りた着物は小太郎の物だった。
顔立ちはエデン人らしく平べったいが、肌は白くそばかすだらけだし髪も若干茶色い。
あんまり見てたら、無愛想が不安げに変わった。
「何かわしの顔、おかしいですか?」
「いや、混血かな……と思って」
小太郎は細い目を丸くした。
平べったいだけで目が小さい訳ではない。
「よう気づきますたね……わし、顔はエデン人じゃからあんまり気付かれないんですわ」
「親は大陸の人?」
小太郎はコクンコクンと頷き、目をそらした。あまり聞かれたくないようだ。
エデンの街並みは独特だった。
大陸のように街と自然を切り離すのではなく、森や山と一体化している。
山の形を崩さず地形を生かした田園。家屋に混じり生い茂る草木。点在する小規模な林は人工的に作られている。
城内で見た庭園もそうだが、よく手入れされ作りこまれている。かと言って、作られた物の冷たさはなく人の手の温かみを感じる。
「美しい町並みだな。ずっと見てても飽きないぐらいだ」
イアンはこぢんまりした町並みを眺めながら感嘆した。
「そうですか……別に見慣れっば、大したもんじゃねぇすけどな」
小太郎はさっぱりした顔で答える。
城下町の借馬屋に寄り、馬を調達してから一時間も走らせたろうか。
気持ちの良い潮風にあたり、太陽の祝福を身一杯に受ける。イアンは思いっきりしょっぱい空気を吸い込んだ。今日は気分がいいから陽光が気にならない。
「気持ちいいな!」
生き生きしたサチの声が届く。
同感だ。いたく同感──イアンは答える代わりに八重歯を見せた。
だが、上がっていた気分はたちまち急降下することになる。
島の端にある絶壁に着いたからである。
切り立った崖の上に立つだけで、言いようのない悪寒が走る。打ち寄せる波は荒々しく、白い泡を吹いていた。
「ここで母は……サシャは身投げしますた」
ここだけ海の色は濃くなり黒ずんで見えた。
暴力的な波が崖肌にぶつかるたびに白い跡を残して消えていく──その様をぼーっと眺めているしかない。
イアンの胸の内で沈殿するのは後悔か憐れみか……
「今、母……と言ったな?」
突っ込んだのはサチだった。
──そういや、母と
「はい。母はわしを産んでから身投げしますた」
「ん? でもそれって五年前だよな? どう見ても君は十代後半か二十代くらい……」
「ええ。生まれてすぐ異界へつながる虫食い穴へ放り投げられたですよ。わし、異界で育ったです」
「ええええ!?……どうやって戻って来た?」
「母が虫食い穴を札に封じてお守りとして持たしてくれたです。異界とこことじゃ、時間の流れが違うみてぇで……エデンに戻ってからは母の知り合いの祈祷士にことの顛末を聞きますた。そん時にこっち側の虫食い穴も危険じゃからと封じてもらったです」
イアンは混乱した。
サーシャはあの時妊娠してたのだ。
そして、一人寂しく出産した後、子供を異界へ託し……自らは死を選んだ──
「母が死んだのはイアン様のせぇじゃねぇす。その祈祷士が遺書を預かってて、そこには自分の不甲斐なさが書かれてますた……クロノス前国王に献上された身であんのに、騙されて国王を貶める計略に荷担してしまったと」
イアンが謀反を起こした時、サーシャは占拠された王城の様子をシーマへ報告していた。
だが、国王を保護していると思っていたシーマが謀反を引き起こした黒幕だったのだ。
「ちょっと待て……サーシャは一体、誰の子を……」
喉から絞り出したこの問いに答えが返ってくることはなかった。
小太郎が刀を抜いたのである。
「イアン様! わしと勝負してくだせぇ。あんたが強ければ認める。でもそうでなきゃ……」
波が崖肌に打ち付け、声をかき消した。




