33話 シーマと軍使サチ・ジーンニア(シーマ視点)
ことが終わると、喪失感が訪れる。脳が快楽に満たされたあとは、ただただ放心する。余韻に浸っていては溺れるだけだ。
シーマは寝室を出た。ヴィナスはシーマのベッドで休んでいる。
遺言書を書かせる、ただそれだけのことに思いのほか手間取った。
シーバートへ文を書かせるのは後回しにする。仕方ない。お姫様は気まぐれだ。機嫌が回復してから、もう一度お願いしてみよう──シーマは妥協した。
学匠への文は、国内の状況を知らせるためのものだ。シーバートの伝書犬に文を届けさせる。なぜ、犬を使うのかというと、ユゼフ側からの返信がほしいからだ。伝書犬は一度場所を覚えさせれば、何度でも往復してくれる。アダムに持たせた文には、虫食い穴を通ってグリンデルへ行くよう書いたから、シーバートは虫食い穴のある場所……きっと今頃はバソリーの五首城に向かっているはず。
文は確実に渡さなくてはいけない。伝書犬が優秀でも、行ったことのない場所へ手紙は届けられない。五首城までは誰かに犬を連れて行ってもらおう。犬を置いたら、さっさと引き揚げてもらう。余計なことをしゃべられては困るからだ。あとは飼い主の匂いを探して犬が何とかするだろう。アニュラスの動物は賢い。
ダニエル・ヴァルタンを暗殺するよう間者も放ってある。そう、英雄の従者はこちらに取り込み済みだ。
──うまくいっていると良いのだが
ユゼフはシーバートと共に行動する。何が何でも、ディアナを守ってもらわねば困るのだ。
──ヴィナスは万が一の保険に取っておくが、あとはユゼフを信じるしかない
シーマは上衣の袖を捲って、ユゼフとの誓いの印である傷跡を眺めた。
今、向かっているのは謁見の間だ。イアン・ローズが軍使を送ってきた。
軍使の名はサチ・ジーンニア。
彼はこのゲームにおいて重要な駒の一つ。
謁見の間には城主の座る椅子が置かれている。数日前までその椅子に自分が座るなんて、シーマは考えもしなかった。
シーマの父(正確には義父だが)は今、ローズ城に囚われている。父の物はすべて自分の物。この城も、領地も。これから王の物も我が物とする。
笑顔の仮面を被り、シーマは重々しい扉を開いた。
待っていたサチは無愛想に首を傾け、こちらを向いた。
同年代とは思えないほど幼く、凹凸の少ない特徴的な顔立ちをしている。背は低く、少年と言っても違和感ないだろう。黒目がちの切れ長は鋭くシーマを見据えていた。
サチ・ジーンニアは貴族ではない。にも関わらず、シーマとは学院の同級生である。どういった経緯で貴族の学校へ行くことになったかは謎だった。
サチは挨拶もせず、いきなり書面を読み始めた。
「イアン・ローズからの伝言を伝える。今から言う条件を呑めば、命の保証と爵位の保持を約束する。まず、クロノス前国王、及びヴィナス王女の引き渡し。ローズ軍が占拠している王城の包囲解除。シーラズ城の開城。そして、シャルドン家の領地と財産の三分の二を速やかに献上すること……」
「待てよ。久しぶりだろう? 友と会うのに挨拶もなしか?」
あくまでにこやかに、シーマは言葉を遮った。返って来た答えは……
「貴様を友だと思ったことは一度もないが」
サチは顔を上げ、忌々しげにシーマをにらんだ。シーマは微笑んだまま、ひるまない。
「それにしても酷い内容だな? おまえがイアンに助言してやれば良かったのに」
「まだ続きがある。最後までちゃんと聞け」
突っ込みを入れようとするシーマを尻目にサチは続けた。
「今後、ローズ家に仕えると誓うこと、これからは無断で婚姻、縁組みしてはいけない。保持している軍の引き渡し、共謀した貴族の処遇はイアン・ローズに委ねること。以上」
「なるほど、いかにもあのイアンらしい要求だ」
「気持ちの悪い薄笑いをやめろ! すぐに返答できないなら俺は帰るし、この場で返事の書状を用意するなら、待っててやる」
サチはきつい口調で宣言した。
もともと、こういう奴だ。なんの後ろ盾も地位もないが、自信と強い意志だけはある。そして誰よりも賢い。
無礼な態度に気を悪くするどころか、シーマは楽しんでいた。
「俺がそんなふざけた要求を呑むとでも?」
「念のため言っておくが、王妃と貴様の両親の身柄はこちらで預かっている」
「王妃も両親もイアンが王になるくらいなら、死を選ぶだろうよ……そんなことより何か飲むか? そんなに薄汚れて……寝てないんじゃないか? 椅子を用意させるから、座ってゆっくり話そう」
サチは軍使にしてはみすぼらしかった。
着古した皮鎧は砂埃で汚れているし、手入れされていてもブーツはかなり傷んでいる。元来、着飾ったりすることに興味のない性格なのだ。ただ、清潔に保たれた皮膚や綺麗に整えられた頭髪は潔癖な性格を現していた。
「貴様と話すことは何もない」
穏やかなシーマに対し、サチは頑なな態度を崩そうとはしない。シーマは溜め息を吐いた。
「まさか、本気でイアンが王に相応しいとでも?」
「無駄口叩くのなら帰る」
サチは背を向けた。
「おまえの親友は俺についた」
案の定、その言葉は効果覿面だった。サチは驚いて振り返る。
「ユゼフが!? まさか?」
「今頃、モズで俺のためにディアナ王女を守っているだろう」
「貴様、ユゼフに何かしたんじゃないだろうな?」
「なにも。本人の意志だ。ただ軽い暗示はかけてやったかな? あいつは自信がないから、緊急時に本来の力を発揮できるように」
シーマは腕の傷を見せた。
「臣従の誓いも交わした。特別なやり方で」
怒りでサチの顔がみるみるうちに赤くなり、すぐ元に戻った。激しやすいが、我を失うということはない。
シーマから視線を外さず、低い声を出す。サチは落ち着いた口調で話し始めた。
「シーマ、君が間者を使ってイアンを焚き付けたんだろう? 俺が気づいてなかったとでも? イアンはバカだからまだ気づいてないが、それも時間の問題だ。勘だけはいいからな?」
──ああ、感づかれていたか。でも、こいつにはバレると思ってた
この時点で知られるのは少し早いが、まあ想定内。シーマは狼狽えずに答えた。
「今さら、知ったところで、あとの祭りだ」
「イアンは君を絶対に許さないぞ? 執念深さは折り紙つきだ」
サチの言葉にシーマは声を立てて笑った。
「許してもらう必要はない」
「……自分が王に相応しいとでも?」
サチはシーマの瞳の奥をのぞき込み、尋ねた。
「まあ、イアンよりはね」
「……俺からすれば、イアンも君も同じだ。やり方が違うだけ。正直な分、卑怯者の君よりイアンのほうがマシだよ」
「どうしてイアンにつく? イアンは愚か者だぞ?」
シーマは近づき、そっとサチの肩に手を置いた。すかさず払いのけられる。
「おっと、変な力を使おうとするんじゃない。俺は君の言いなりにならないからな?」
見抜いていた。
その瞳はまっすぐで寸分の迷いもない。シーマはサチが誰にも跪かないことを知っていた。
──だが、何もないように見えて、こいつにも弱味はある
「ジニア、おまえには妹がいたな? その妹はおまえが大逆罪で捕らえられた場合、どうなるのだろうな?」
ジニアというのは、サチの学生時代のあだ名である。
「脅す気か?」
サチはふたたび怒りで顔を赤くした。
しかし、どんなに憤っていても、その場で剣を抜かないだけの分別はわきまえている。シーマはその様子をおもしろがって眺めていた。
──あともう一押し
妹の話を出すことにより、サチの顔が怒りから怖れへと変化するのをシーマは見逃さなかった。その瞬間を見計らい、すかさず胸に刺さる一言を発する。
「ジニア、おまえは賢い。俺につけ」
サチは目を丸くして、シーマの顔をまじまじと見つめた。
腹の底から笑いが湧き上がってきそうになるのを、シーマは押さえ込んだ。
一番の友達はシーマについた。妹が危険にさらされている。彼の主人は馬鹿殿だ。賢い彼はどちらに勝機があるか、見抜けるはず。
サチの瞳には、先ほどまでの強情さはもうなかった。そのありがたい提案を、喉から手が出そうなほど欲している。
それなのに……
サチは首を横に振った。
「今さら、君について何をしろと? 薄汚い裏切り者になるくらいなら死んだほうがいい」
「イアンには雇われているだけだろうが? 卒業してから行き場のないおまえを先に拾ったのが、あいつだっただけだ。俺が先だったら、俺に従っていた」
──あれ?
今はシーマのほうが動揺していた。間違いなく自分につくと確信していたのだ。サチの瞳はいつもの落ち着きを取り戻していた。
「俺は誰のものにもならないし、誰にも跪かない。わかっているはずだ」
言葉は率直。断固たる意志を感じる。何か負けたような気がして、シーマは苛立った。
「まだ、そんな子供のようなことを言っているのか? 学生の時、学ばなかったのか? そんなことは不可能だ」
威嚇するようにサチの前に立ちはだかった。
シーマの身長は四キュビット(二メートルくらい)を超える。サチは小柄だから身長差は頭一個半ぐらいあった。近くで見下ろされれば、かなりの威圧感があるだろう。
それでもサチは平然としていた。
計画通りに進まないと焦燥に駆られる。しかも、容易いと思っていたことが不可能だった時は、輪にかけてイライラする。
シーマはサチの耳元に口を近づけ、囁いた。
『誰しも王には跪く』
どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよくわからなかった。シーマは八割方、人を思い通りに操作することができた。自分は頭が良く、魅力的で強い神秘性を持つと奢っていた。
思わず本音を出してしまったのは、焦っていたからだ。
サチの答えはノーだった。しかも、黒目がちの目は憐憫まで帯びている。
「兵の数は今のところ五分だが、こちらは間違いなく増える。お互い戦の初心者だ。でも、俺は絶対に負けない」
最後の言葉は固い決意を表し、シーマの胸に刺さった。
「イアンがおまえの思うように動くかな?……」
自分で言ってから負け惜しみのように思えて、シーマは唇を噛んだ。サチは何も答えず出て行った。
客人を失った謁見の間は不安を加速させる。城主の椅子はただの椅子。自信満々だったシーマは打ちひしがれた。これでは、ただの利己主義者、裸の王様になってしまう。
シーマの顔から笑みは消える。
サチが出たのとは別の出口から、執務室へと向かった。
机に向かい、用意するのは紙とペンだ。
──ぺぺに伝えなければ
予定が狂った。取り込めるはずだった強敵があちら側にいる。
聡明な彼が友人側ではなく、愚かな乱心者につこうというのだ。その理由がシーマにはわからなかった。
だが、今は理由云々より、手立てを高じなくては。こちらがやられる。
便箋を取り出し、しきりにペンを走らせる。部屋中にペン先の紙上を滑る音が響いた。
シュッ……シュルシュルシュル……
軽快な音は緊迫感を奏でる音楽のようで、シーマの肌を粟立たせた。
しばらく書き続け、書きあがった物を眺めて嘆息する。最後に便箋をぐしゃぐしゃに丸め、机上を掻き回し、全部床へ落とした。
ユゼフにだけわかるよう、文に暗号を紛れ込ませるのだ。他の誰にも悟られないように。
──グリンデル女王に援軍を依頼してほしい。
それができるのはディアナ王女だけ。




