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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)三章 策略
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31話 ヴィナス(シーマ視点)

 (シーマ)

 

 ユゼフの声を聞いた気がして、シーマはハッと目覚めた。

 隣で寝ていた()()(うな)って、寝返りを打つ。


 ──なんだ、気のせいか……


 シーマは寝ぼけ眼で、自分の居場所を確認した。

 隣に女が寝ている以外は、いつもと変わらぬ自分の部屋だ。

 窓から漏れる月明かりが彼女の背中を青白く浮かび上がらせている。隆起した肩甲骨が不規則に上下していた。


 ここはシラーズ城。


 一週間前、ヴァルタンの瀝青城にて謀叛が勃発。謀議を重ねていた王子、諸侯らをイアン・ローズ率いる反乱軍が襲撃した。

 同日、時間の壁が出現する。

 王城が占拠されたのはその翌日。逃走したクロノス国王とヴィナス王女を、シーマはシーラズ城に保護した。


「んんん……」


 彼女が寝返りを打って、こちらを向いた。白い胸がはだける。小便臭い小娘のくせに色気だけは一人前だ。

 薄目を開け、口元をだらしなく緩ませている。無防備な顔。数時間前まで、男に触れたこともない少女だったのに、もう女の顔だ。

 シーマは彼女の褐色に近い金髪を撫でた。なんだか脱力してしまって、理由もなく笑んでしまう。こういう時の笑いは子供のころと同じだ。顔に張り付けた仮面ではなく、ごく自然な笑顔。


 ──緩んでる場合じゃないぞ? まだ始まったばかりだ


 気を引き締めようと思ったところ……


「シーマ、起きてるの?」


 薔薇の花弁が開いた。

 月明かりだけでは、花弁の色を捉えることはできない。

 だが、薄紅色のそれがとても柔らかく、よく動き、程よく塗れていて、きつく吸い付いてくるのをシーマは知っていた。


 ──ガキだと思ってたのに、いやに煽ってくるじゃないか?


 体がまた熱くなってくる。

 湧き上がってくる欲情をシーマは懸命に押さえた。彼女と寝たのは予定外。こんなことで計画が狂ってしまっては困る。もっと自制せねば。


「ごめん、ヴィナス、起こしてしまって……」

「不安で眠れないのね? 私も一緒」


 彼女……ヴィナスは起き上がって、シーマに抱きついた。ヴィナスはシュミーズ、シーマもチュニック一枚だけの乱れた格好だから、互いの肉感を刺激しあう。

 シーマは(たかぶ)りを抑えられず、彼女の背中に手を回した。

 そのままキスをする。


「あっ……ああ……駄目よ、シーマ! いけないわ……」


 ヴィナスのほうから離れ、シーマは我に返った。


 ──何をがっついてるのだ、俺は? 今はこんな小娘に欲情している場合じゃない


 幼い女は、まだ夢中になるほどの快楽を知らない。未知の世界は開かれたばかりで苦痛を伴う。女の瞳に怯懦が宿っていることをシーマは見逃さなかった。


「ヴィナス、すまない。君を傷つけようと思って、求めたのではないんだ。こうやって触れていれば、少しは安心するかと思って……」


 涙を浮かべて訴えれば、女の瞳から怯懦は消え、ふたたび色を帯びてくる。色だけじゃない、哀れみまで湧いた。

 彼女からしたら、拒絶された男が許しを請うているように見えるんだろう。

 シーマのコレは半分演技で半分本気。才能ある役者が役になりきってしまうのと同じである。


「いいえ、シーマ。私こそごめんなさい。なんだか突然怖くなってしまって……あなたのことが嫌いになったわけではないの。明日だったら、また受け入れられると思う」


 潤んだ目で必死に訴える女を抱き寄せ、シーマは笑む。

 自我を失った褐色の瞳は美しい。赤く輝く金髪より、滑らかな白い肌より、薔薇のような唇よりも。魔法の言葉を囁けば、たちまち従順な奴隷になる。

 月光に煌めく後れ毛を指で優しくかきあげる。小さな耳に口を寄せ、シーマは囁いた。


『愛してるよ、ヴィナス』

 

 そう、彼女はヴィナス。

 主国の第二王女ヴィナス・ガーデンブルグ。

 シーマは国を恐怖に陥れた悪漢から、彼女と国王を救った英雄(ヒーロー)だ。

 しかし、真実は無情。この謀反を裏で操っているのは、シーマ自身である。

 純粋な乙女はシーマを信じ切っていた。

 このあと、どうするか?


 ヴィナスが筆の握れない国王の代わりに遺言書を書く。

 哀れな国王は大けがを負って、助からない。英雄は悪漢を、謀反人イアン・ローズを倒す。

 ……で、そのあとは?


 国外にいるユゼフが第一王女、ディアナをこちらへ渡してくれる。 

 遺言書にはこう書かせる。

 

 すべての王子が亡くなった場合は、血縁の近い順にヴァルタン家、シャルドン家の当主に……さらにそれも叶わぬ場合は、上記当主の子息、長子から順番に王位の継承を行う。ガーデンブルグの名と血を絶やさぬために、第一王女ディアナとの養子縁組を執り行う──と。

 消去法で王になる人は一人だけ。


 ──このシーマ・シャルドンだ


 近い未来を思い描き、シーマはほくそ笑んだ。何も知らぬ小娘は腕の中、脱力する。

 と、甘い夢想はここまで。扉を叩く音がする。従者が()()()の来訪を知らせにきたのだ。

 さあ、仕事の時間だ。


 名残惜しそうに身体を離すヴィナスの頬に優しくキスをする。

 すぐに戻るよ、愛しい人──彼女の耳につぶやいて、シーマは部屋をあとにした。 

 こんな深夜に訪れるのは、闇の人間しかいない。一仕事終えて、報告に来たのだ。

 ガラク・サーシズ。暗殺者が。


 父の執務室で毒蛇が待っている。イアン・ローズ側に潜伏し、幼子を虐殺した悪魔が、どれだけ報酬をもらえるのかと期待に胸を膨らませて……

 シーマは微笑みの仮面を顔に貼り付けた。これは無表情と同じ。相手に心情を読まれないようにする。

 つかんだドアノブがあまりに冷たくて、身が引き締まった。


 ガラクは目立たない感じの人の良さそうな男だ。小柄で痩せているし、とてもじゃないが、冷酷な暗殺者には見えない。

 誰が幼い子供を手に掛けたと思うだろうか。赤ん坊やよちよち歩きの幼児まで……未成年の王子を二十人も──

 ある時は刃を振り下ろし、ある時は毒を用い、たったの二日で仕事を片付けた。

 ガラクが鬼畜の所業を嬉しそうに報告する間も、シーマは無表情──笑顔の仮面を貼り付けていた。


 毒蛇は仕事の話をする時だけ、卑しさ全開になる。ねっとりと地を這い、毒を吐く爬虫類の顔に変わるのだ。

 毒蛇の出自は不明である。

 だが、育ち云々より確実なことがある。この異常者は殺人を楽しんでいる。暗殺者という職業は彼の天職だったと言えよう。


 毒蛇──騎士だったガラク・サーシズは戦時中、情報収集を専門に行う特殊部隊にいた。

 情報収集の他には暗殺、情報操作、人員獲得など、役割は多岐に渡る。つまり、間者の集団だ。

 有能にもかかわらず、人前で剣を振るうことはなく、華々しい活躍とは縁がなかった。暗躍するのみである。そして、ガラクのように目立たぬ外見の者がほとんどであった。

 影の立役者たちに対し、クロノス国王は非情だった。

 戦後、ガラクの仲間の多くは処刑されたのである。


 これは、カワウと停戦条約を結ぶ条件だった。クロノスはなんの躊躇いもなく、国のために戦った者たちを処刑した。戦争犯罪人という汚名まで着せて、自らの罪と共に葬ったのだ。

 国王に憎しみを抱くガラクを取り入れるのは、容易(たやす)かった。


「愚かなイアンは、サチ・ジーンニアとかいう賤しい身分の小僧の言いなりです。そのせいで、離反者があとを絶ちません。城が落ちるのも時間の問題でしょう」


 一通り報告を終えてから、ガラクは()の名を出した。彼はこのゲームの要となる人物だが……それはひとまず置いといて──

 ガラクは蛇のようにいやらしい視線をシーマへ向けた。きっと報酬の話がしたいに違いない。


「ご苦労だった。貴公の働きがなければ、ここまで計画を進めることは叶わなかった」

「でしょうね。思いついたのは貴方だが、実行したのはこの私だ」


 ガラクは得意気に答える。

 ついこの間まで学生だったひよっこに、人殺しはできまいと侮っているか。

 くだらない優位性のアピールなど、今のシーマにはどうでもよかった。卑しい男にシーマより優れているところは、一つだってないのだから。

 ふわふわしている、優しそう──そう言われる笑みを浮かべて、シーマは返答した。


「すぐにでも貴公の働きに対して対価を支払いたいのだが、あいにく戦争中なもので……」

 

 強欲な毒蛇の顔が曇る。

 これでは他の騎士より少ない手当てで、汚れ仕事をさせたクロノス国王と同じではないかと。

 ガラクが毒を吐くまえに、シーマは壁に飾ってあった剣を手に取った。


「これの名はクレセントと言う」


 素人目にも惹きつけられる業物を見て、ガラクの目の色が変わった。

 鞘から抜くと美しい刀身が姿を現す。

 この剣はシャルドン家に代々伝わる名剣である。柄には鮫皮が巻かれ、その上から菱形模様の組糸が巻かれている。

 刃の部分は砂鉄から採った鉄を使い、何回も折り返し鍛錬され作られていた。エデンという島にのみ伝わる製法である。

 弓のように反った美しい刀身は、岩をも斬り倒す鋭さだ。


「まさか! いただくわけには、まいりません」


 さすがにガラクは遠慮した。


「そう言わず、もう少し近くに寄って見てみろ。この美しさを!」


 ガラクは微笑して近寄った。シーマはふざけて、剣先をガラクに向ける。


「内通者の末路を知っているか?」


 シーマは笑いながら言った。

 今度は仮面の笑顔ではなく、本当の笑い。ここにいる悪魔が醜いことを全部負ってくれた。ホッとしているし、正直に嬉しいのだ。

 次の瞬間、ガラクから笑みが消えた。


 胸に一閃。鋭い刃が突き出る。

 シーマはそれを抜くと、よろけるガラクの後ろへ回り、背中から刺した。倒れこんだところ、首に狙いを定め、とどめをさす。


「悪いな? おまえにいられると困るんだ」


 シーマは剣に付いた血を丁寧に拭き取った。誰にも見られていないのに、平然としていようと思う。こんなことで動揺していたら、この先、乗り越えられない。


 ──案外、人を殺すのは呆気なかったな


 刀身を鞘に収めてから、シーマはチュニックの袖を捲り上げた。右前腕に深く刻まれた傷痕を見て、気持ちを落ち着かせる。


 ──ぺぺ、おまえは俺のために何人殺した?


 計画はまだ始まったばかり。

 亜人を虐げ、民の命を消費する一族に制裁を。国を変える、民を救う。新しい国に作り変えるのだ。

 新国民と言われる人間族が、大陸へやって来るまえの平和な世界を取り戻す。エゼキエル王が統べたあの時代を──

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