82話 流血(サチ視点)
(サチ)
ローズ城まで来て、門前払いされると思った。だから、正門の衛兵がすんなり通してくれて、サチは拍子抜けしてしまった。
──正気の沙汰じゃないよな。ここの主に過去二回も命を狙われてる。その敵陣に一人で殴り込むんだからな
少し後悔もしたが、どうでもいい気持ちに流された。失恋のダメージは、サチを投げやりな気持ちにさせていたのである。
主殿の玄関で待たされることしばし──
高い天井には巨大蜘蛛と戦う魔王の絵が色鮮やかに描かれている。きらびやかなシャンデリアに細やかな装飾が施された窓や柱。床にはきっちり整えられた石が埋め込まれ、美しい幾何学模様を作っている。
石造りのローズ城は薔薇が咲かなければ、地味なイメージだが、内装は豪華である。ただ、派手なだけでなく、品もあるのだ。
懐かしかった。二年もの間、サチはこの城に仕えていた。サチはこの城が好きだった。
玄関には飲み物を置くための小さなテーブルが置かれてある。一つだけの花瓶に活けられた水仙が揺れる。
「サチ!!」
見上げると、玄関に通ずる階段の踊り場にイザベラが見えた。黒髪はいつも通りだらしなく垂らしているが、いやに豪華なドレスを着ている。胸元に大きなリボン、レースをふんだんに使い、細かい刺繍が所々に施された空色のドレス。これから舞踏会へ行くような装いだ。
対するサチは落ち着いた風合いのダブレットに磨いてはいても、履き古したブーツといった出で立ち。客人には見えないだろう。
頬を紅潮させ、胸を揺らして下りてくるイザベラをサチは睨んだ。
彼女からフワッと甘い香りが漂った。ランと似たような、若い娘の匂いだ。
「サチ、どうして? あの、わたし……」
「どうして嘘をついた?」
「えっ? あ、え?」
五段くらい抜かして、一番下にイザベラは下り立った。丈の長いドレスを着て、シュタッと飛び下りるのは何気にすごい。忍びの者か。しかし、今のサチにとって、彼女の異常行動はどうでもよかった。
「ランに、俺の婚約者に恋人だと嘘をついただろ? 婚約を解消された」
イザベラは呆けた顔をしている。怒りをぶつけられることを予想してなかったのか。それとも、とぼけているのか。
「どうして……どうして……いつも俺に嫌がらせばかりする?……いや、わかっている。その理由は……」
イザベラが口を開くまえにサチは遮った。自分でも声が震えているのがわかる。感情を抑えて話すのは困難だ。
「俺が君の父親を殺したから。そうだろ?」
イザベラがうなずくのを確認してから、サチは続けた。
「そうだ。言い訳はしない。でも、ずっと俺を見張って、俺の幸せを奪い続けるのが君の幸せなのか? それで、君は幸せになれるのか? お互い関わらない、そうしたほうが君のためにもなるんじゃないのか?」
イザベラはアホ面のまま、答えない。この女、自分のしたことをわかっているのかと、サチの怒りは増幅した。
「聞いてるのか、イザベラ? 俺から奪い続けて、その時は楽しいかもしれないが、永遠に君は幸せになれないぞ?」
「……るさい……」
「え? なんつった?」
「うるさいって言ったのよ! このチビ!」
「……君のほうがチビだろ!」
「グダグダ理屈ばっかこねてんじゃないわよ! わたしは美人だし家柄もいいし、あんたとは違うの! 引く手あまたなんだから!」
「たいした自信だな? でも最大の問題点を忘れてる。性格が悪いということを」
「なんですって!?」
その後は醜い罵り合いが続いた。サチもイザベラも気が強いから、どちらも決して折れない。大声で争っていたため、何人か使用人が様子を見にきては去っていった。
「人の幸せを妬んで邪魔するぐらいなら、さっさとその自慢の美貌と高貴な家柄とやらで、王族と結婚したらどうだ? ま、無理だろうけど」
その一言が引き金となり、イザベラはキレた。
バチィン!!
耳元でものすごい爆発音がしたと思ったとたん、サチは吹き飛ばされた。
すぐにはなにが起こったか、わからなかった。背中に硬い石柱がある。ズキズキするのは頬だけでなく、頭もだ。どうやら、柱に頭をぶつけたらしい。額に生ぬるい血が伝うのを感じた。
「サチ、大丈夫? ごめんなさ……」
慌てた様子のイザベラが駆け寄ってくる。自分がやったくせに、サチの負ったダメージの大きさに驚いているようだ。
「ど、どうしよう……頭から血が……」
イザベラの手をサチは振り払った。口の中は血の味がする。
「大丈夫だ。もう俺に関わらないでくれ」
やっと、かすれ声が出た。上衣の袖で鼻と口の血を拭う。サチはふらつく足で立ち上がり、彼女に背を向けた。




