29話 取引材料①
青白く歪んだ月の下──
荒涼とした土漠から寂寞とした遺跡へと向かう。
遺跡が見えるまで五分とかからなかった。
三百年前、栄華を極めたであろう王都。今では、城下町を囲っていた壁や家々の痕跡はほとんど見当たらない。土台の石がかろうじて残っている程度だ。その惨めな残骸から、かつての繁栄を伺い知ることはできなかった。
町の残骸の背後には日干し煉瓦で造られた城が夕闇に包まれ、まるで亡霊のように佇んでいた。城の上部はことごとく破壊されている。一方で張り巡らされた城壁は、最後の砦のごとく綺麗に残っていた。
無惨に打ち捨てられ、人々の記憶からも消え去ろうとしている生きた痕跡に、ユゼフは胸を痛めずにはいられなかった。
「不気味な場所だ……」
フェルナンド王子は不快感をあらわにし、コルモランは「それ見たことか」と顔をしかめる。
遺跡へ入るころには、すっかり日が暮れていた。少し欠けているだけの月はユゼフには明る過ぎたが、兵士たちは松明に火を灯した。
放置された親石が月光を浴び、白く浮かび上がっている。脇に掘られた溝が四方へ伸びているのは、なんの跡なのか気になった。よく見ると、盛土で区画分けされた各家々に繋がっている。これは、たぶん下水道の跡だ。
もともと大陸に住んでいた亜人や旧国民はたいした文明を持たず、土人のような生活をしていたと学校では教えられたのだが……
──果たして、そうだったのだろうか……
近くまで来て、偉大な建造物に圧倒される。思っていたより巨大である。
二階までしか残っていないとはいえ、城壁は堅固だ。
ユゼフたちは迷宮へ一歩踏み出そうとしていた。
「殿下がいらしたことを、王女様に申し伝えますので、しばしお待ちください」
ユゼフはそう伝え、城内へ足を踏み入れた。
ノープランで誘い出したわけではない。この場所を選んだのにも、ちゃんとした理由がある。
学生時代、図書室で見つけた本に遺跡のことが詳しく書かれてあった。内部は入り組んだ迷宮になっており、一人分の幅しかない狭い通路が、網の目のように張り巡らされていると。
事を済ませてから、逃げるには格好の場所ではないか。
一階と二階の一部だけが残っているのも、都合が良かった。
迷路は敵の襲撃に備え、造られたものかと思われる。生活基盤は上階に築かれていたのであろう。
あいにく、当時の暮らしぶりを推察できる上階部分は破壊され、残っていなかった。
ユゼフは二階へ続く階段を上った。二階には壁や天井はほとんど残っていない。支柱を失った床がぐらつくので、爪先立ちで踊り場に立った。見下ろした先には、隊の全容と王子の姿がある。
ユゼフは腰をかがめ、彼らからは絶対に見えない位置へ移動した。そして、獣になる。
獣の声、獣の言葉で吠えた。
狼を呼んだのだ。獣の根城はすぐ近くにある。
普段、狼はモズの森で狩りを行うのだが、森には魔物がいるため、土漠を根城にしていた。呼べば、数分でこちらに到着するはずだ。
王女護衛隊の一員として土漠を移動中、ユゼフは夜の散歩で出会った狼から、情報を得ていたのである。
ユゼフの遠吠えを聞いて、兵はざわついた。土漠では、旅人が狼の襲撃を受けることもある。
「狼が土漠で群れて狩りをすることはまずない。彼らも馬鹿ではないから、武装している我々を襲うことはなかろう」
コルモランの声がひんやりとした空気を震わせた。
「しかし、啼き声が聞こえたのはすぐ近くだったぞ!」
王子の声は自信なさげだ。
彼らの気が変わってしまっては、すべて無に帰してしまう。仕掛けを整えたユゼフは、急いで城壁の前に戻った。
呼吸を整え、薄く笑みを浮かべる。
「遅かったではないか? 狼の啼き声が聞こえたぞ」
おびえているのを気づかれたくない王子が、精一杯威厳を保とうとしているのは滑稽だった。
「お待たせして申しわけございません。すぐにご案内いたします。さあ、こちらへ……」
ユゼフは彼らを先導し、城内へと入った。
あらかじめ、見つけておいた打ってつけの場所へと歩を進める。兵は外に数人残っただけで、ほぼ全員ついて来た。
床は地面と区別できず、天井が崩落している所には雑草が生い茂っている。
一人がやっと通れる通路には、圧迫感があった。天井が崩れているのはまだいいとして、綺麗に残っている所は、狭いトンネルに押し込められたかのような錯覚を覚える。あちこちに粗末な石のドアがあり、それが道の延長なのか部屋なのか、はっきりしなかった。
「こちらに王女様はいらっしゃいます。ただ、中は狭いので数人のお供の方だけお連れください」
ユゼフが王子を連れて来たのは、天井が綺麗に残っている部屋の前だった。入口には小さな石の扉が据え付けてあり、隙間からは暖かい光が漏れている。
狭い入り口は、一人ずつ這って潜り抜けるしかなかった。先にユゼフが入ってから、王子を手伝う。
「姫よ、美しい我が姫よ。待たせたな!」
浮ついた声を出す王子へ、ユゼフは冷たい視線を投げた。
「どこだ? 姫は?」
穴のごとき入口から這い出し、王子は薄暗い室内をキョロキョロと見回した。続いて、コルモランが中へ入ろうとしている。
「ここには、おりません」
「!」
ユゼフは言うなり、入口に立てかけてあった松明を小窓から外へ放り投げた。闇に包まれる。
「謀ったな!」
コルモランが叫んだ時には、もう王子の心臓を貫いていた。
目を剥いて、前方を凝視する王子は音もなく倒れる。間髪入れず、入口をくぐり抜けたコルモランの心臓も一突き。
遺体から剣を抜いたユゼフは、奥の暗闇へ姿を消した。
部屋の外にいた兵士は騒然となった。入り込もうとする彼らを待っていたのは阿鼻叫喚だ。
狼が到着したのである。
狭く見通しの悪い通路で夜目と鼻の利く狼に襲われ、兵士は次々に倒れていった。
ユゼフは二階に残されたささやかな足場から、その様子を見下ろした。
狼の荒々しい鼻息と、人間の悲鳴、怒号……それらが全部聞こえなくなるまで、じっと耐えた。
月は高く昇り、ユゼフを優しく見守る。この場所はとても物悲しいのに、不思議と落ち着く。
誰も居なくなるまで、そう時間はかからなかった。なにもかも終わったあと、ユゼフは王子とコルモランの遺体の所へ戻った。
首を切り取るのだ。
恐怖や焦りの感情はなかった。そういったものは、ディアナを失った五首城に置いてきた。
冷静に考え行動する。
人間の首は骨が引っかかり、切りにくい。無計画に刃を押し当てて、安易に斬れる代物ではない。
伸ばしたり縮めたり曲げたり──骨が蛇腹になっているのは多様な動きをするためである。つなぎ目の部分に刃を入れればいい。
ユゼフは慎重に触って確認した。
「よし!」
血はあまり出なかった。
正しい場所へ刃を入れれば、ストンと気持ち良く切れる。魚を捌く時と一緒だ。
二人分の首を無事切り終えると、袋に詰めた。白い袋の底は真っ赤に染まる。
離れるまえ、ユゼフは首を失くした王子の遺体にシャリンバイの枝を乗せた。枝はカワウの王都を出る時に取って置いたものだ。これは、いつ届くかわからないシーマへのメッセージである。
梅は約束事に使われることが多い。証として互いの名前の書いた枝を交換したり、約束を果たせば、地面に植えたりもする。
シーマは別れ際、確かに言ったのである。
「カワウのフェルナンド王子を始末してくれ」と。
城を出て馬に乗り、ユゼフは遺跡をあとにした。
土漠に昇る月はいつも見る月より、大きく感じる。頬に当たるそよ風が気持ち良かった。
これから行くのは「魔法使いの森」だ。
土漠の終わりに大きな森は横たわっている。盗賊たちの隠れ家があるのは、森の南の奥深い場所だ。途中、魔物に襲われないといいのだが……
森を通る一本道沿いに旅籠がある。そこの女将から、大まかな位置を聞いていた。あとは馬が通った跡などを頼りに探す。動物の追跡は得意だ。
ユゼフは彼らがどういう所に糞をして、なんの草を食むのか知っていた。意図的に消した足跡も、落とした毛の一本も見逃さない。彼らの特性の何もかもが頭に入っている。
今から思えば、この能力を狩りの時に発揮していたら、イアンにもっと好かれていたかもしれない。動物を殺すのは嫌だし、気に入られたところで良いことはなかっただろうが。
──なんで、こんな時にイアンのことを思い出すんだ……?
『その人がイアン・ローズを扇動した可能性は?』
レーベの言葉を思い出した。
そのとおりだろう。ユゼフは考えないようにしていた。
イアンはどうしようもない乱暴者で短気で自己中心的で……良い所は何一つなかったが……感情豊かでどこか憎めなかった。
謀反人が死なずに済む方法は天下を取ることだけだ。シーマが王になることは、イアンの死を意味した。
──イアンが死ぬのは、いやだな
人の気配を感じて、ユゼフは考えるのをやめた。気配から少し離れ、様子を窺う。気配が去ると、すぐにまた馬を進めた。
次にユゼフは盗賊と一緒にいたアスターのことを思い出した。
長髭にリボンの、体格の良い初老の男。若い盗賊たちのなかで、浮いていた彼の名を「アスター」とレーベは言っていた。
ダリアン・アスターは、ユゼフの兄ダニエル、サムエルと共にカワウの戦場で戦った英雄であり、相当な剣の使い手である。
兄や父がアスターのことを話しているのを聞いたことがあった。
アスターは奇策を講じ、カワウの王子二人の首を討ち取った功績で英雄となったのである。おかげで直系の後継者は、先ほど亡くなったフェルナンド王子だけになった。
父や兄たちはアスターに対し、良い印象を持っていなかったようだ。
ずる賢く、小細工を使い、損得勘定で動く俗物。質実剛健、真っ向勝負を好むヴァルタン家の家風とは合わない。
戦地で大ケガをして帰国後、出世したアスターは王議会員にまで上り詰めたが、二年前に横領のため追放される。
アスターの派手な生活ぶりは王都では有名だった。影で田舎大臣様と笑う者もいたぐらいだ。戦地から帰るまで、内海の小さな島々を領地に持つだけの田舎貴族だったからである。
国政に携わるようになってからは酒や女遊び、賭け事に大金を費やすようになったそう。追放されてからの消息は聞いたことがなかったが……
あれやこれや考えているうちに、時間は過ぎて行った。
森の向こうに低い板塀で囲われた集落が見える。盗賊たちの住み処に違いなかった。
粗末な木の門の前に見張りが二人。いつの間にか夜が明け、物の輪郭がくっきりしている。
ユゼフの姿を確認した盗賊たちは警戒した。
「何者だ?」
「ユゼフ・ヴァルタンと申す者だ。頭領アナンに話がある」
ユゼフは馬から飛び降り、腰の物を地面に置いた。




