60話 シーマの気持ち(ユゼフ視点)
アスターの怒号が、壁に掛けられた二角獣の剥製を震わせる。
「いったい、どういうことだ!? 説明しろ!!」
会談のあと、シーマ、アスター、ユゼフの三人は談話室へ移動していた。
瀝青城の談話室は北側にあり、大広間以上に寒々としていた。つけたばかりの暖炉の火が焦げた木の香を立ちのぼらせ、革張りのソファが獣脂の匂いを放つ。 そこに、剥製や古い武具に染みついた鉄の匂いが重なり、城主だった次兄、サムエルの面影をちらつかせた。
リリエは地下に囚え、身重のヴィナス王女は王城へ帰した。
充分な金を渡し、シーマの前に二度と現れないよう、ユゼフはリリエに言い聞かせるつもりだった。彼女にとっても安全な遠い場所へ、誰にも見つからない場所へ消えてもらう。ディアナ側には死んだと伝えておけばいいだろう。
「おい、ユゼフ! おまえ、知ってたんじゃあるまいな!?」
「……まあ、だいたいのところは」
「なぬっ! どうして黙っていた?? こんなことになるまでっっ!」
アスターが激昂しているのは、シーマの素性を黙っていたことに対してである。檻に入れられた猛獣のごとく、アスターは室内を歩き回っていた。
内海の小さな島の少年が貴族の家に使用人として引き取られた。その後、病弱だった跡取りが亡くなったので替え玉にされた。
シーマ本人とユゼフしか知らなかったはずの事実。
「なにも知らん状態で対応できるわけがなかろう!? ユゼフが動かねば、クソ女にしてやられるところだったのだぞ!?」
クソ女=ディアナ。
有事に際し、自分が動けなかったことがよほど悔しいらしい。そういえば、アスターはめずらしく困惑していた。
「他にシーマの素性を知る者は? あのリリエとかいう娘の他には??」
「他にはいない……」
事後、一言も発さなかったシーマが口を開いた。ひどいかすれ声だ。
「アズィーズ島はジェラルド・シャルドンとクロノス国王が滅ぼしてしまった。生き残りは一人も残っていないと……五年前、調べさせたんだ。まさか、生きていたとは……」
「あの娘が生きていたということは、他にもいるかもしれぬ。徹底的に調べあげるのだ」
「……調べて、もし、いたらどうするのだ?」
「はぁぁあああ?? 始末するに決まっておろうが!!」
無礼な物言いを、ユゼフは咎める気も起こらなかった。アスターはシーマが王であることなど、どうでもよくなっている。ずかずか歩み寄ると、座っているシーマを見下ろした。
「いいか? 王様ごっこはおしまいだ。これ以上、隠し事もなし。全部話せ。吐き出せ。でないと、協力はできない」
シーマは生気の失った目でアスターを見上げた。いまだショックから立ち直れていない。
「……話すことはなにも……そもそも、俺は王になる気など最初からなかった。五年前の謀反はあいつが……あいつらが……アズィーズを襲ってリリエを殺したと思ったから……」
「なに、寝ぼけたこと言ってる??」
「成人したら、リリエを迎えに行くつもりだった。不安はあったけど彼女と約束したから。何度も手紙を書いていたのに、彼女からの返信は一度だってなかった。あいつ……ジェラルド・シャルドンが俺の手に渡らないようにしていたのさ」
「……なんの話をしてる? 今話してるのは女の話じゃない」
眉根を寄せるアスターを気にも留めず、シーマは続けた。
「アズィーズの島民を皆殺しにした後、あいつは俺に手紙の束を見せた。俺が彼女のために書いた手紙だ。それを笑いながら暖炉の火に投げ入れたんだ」
使い鳥を持たぬ多くの民は各都市に設置された伝書院を利用する。各地を回る巡礼者や修道士たちが手紙を運んでくれるのだ。伝書院を使おうと、シーマは使用人に手紙を託していたのだと思われる。
シーマの独白にアスターの気勢は削がれた。助けを求めてユゼフを見てくる。
シーマの視線はぼんやり空を漂っていて、どこを見ているのかわからなかった。
口を動かすのは過去の情だろうか。一度堰を切れば、濁流の勢いは誰にも止められない。
「その時、こいつらを全員根絶やしにしようと心に誓った。民を虫けらのように思っているこいつらを制裁してやろうと……幼いガーデンブルグの後継者たちを殺したことに後悔はない。成長すれば必ず民を虐げる。三百年間、ずっと続いてきた営みだ。アズィーズの娘、幼子、老人、みんな殺された。連中がのさばる限り、永遠に悲劇は繰り返される……」
「……よし、わかった。そこまでにしとこうか。冷静に話せるようになるまで少し時間を……」
「俺は彼女を……リリエを愛していた。こんな見た目で、家族は俺を納屋に閉じこめていたから──醜いと言われ続け、日の当たらないジメッとした場所でずっと一人ぼっちだった。抜け出し、村の子供を引き連れて遊ぶことはあったよ。でも、日が落ちれば、納屋に戻る。皆は暖かい家に帰るというのに。俺にはあの暗い納屋しか帰る場所がなかったんだ」
自身を上回る悲惨な幼少時代に、ユゼフは憐れみの情を抑えられなかった。シーマが島の子供だったということは知っていても、どういう生活環境かまでは聞いていなかったのである。
「帰れば、痣が残るまで鬼婆に尻を棒で打たれる。そんな酷い鬼婆が俺を育てた。父は俺を自分の子でないと言い張り、母は育児放棄していたからな。毎日毎日、目を皿にして蚕の繭をより分けていたよ。腹を空かせて蛹を食べることもあった。虐げられてたんだ、家族から。会いに来てくれる彼女が、唯一心の拠り所だった……」
「……うむ……色白や銀髪も悪くないと思うがな」
今さら取り繕おうとするアスターの言葉は、シーマには届かない。
「彼女を愛してたんだ……ぺぺ、どうしてあんなことを……」
言葉を詰まらせ、シーマははらはらと涙をこぼした。
「おいっ? 泣くんじゃない。大の男がみっともない……ユゼフ、なんとかしろ」
当惑するアスターにユゼフは溜め息を吐いた。
「アスターさん、頼むからシーマと二人にしてくれないか?」
†† †† ††
アスターがいなくなると、シーマが鼻をすする音だけが残った。
演技で悲しげな顔をするのは見たことがあるが、この涙は本物だろう。
シーマが取り乱すのは前例のないことだった。アスターの前で弱いところを見せるとは悪手だ。
大きな体を最大限縮こまらせ、シーマは革張りのソファーの上に膝を立てて座っていた。
膝に顔を埋めているから表情は見られない。ときおり銀髪が揺れるのを、向かいのソファーに腰かけたユゼフはボーっと眺めていた。
「君を守るために仕方なかった」
言い訳をしたところで、どうにもならないことぐらいわかっている。だが、せずにはいられなかった。
「あのまましゃべらせていたら、ディアナ様の思惑通り、偽の王だと認めてしまうことになる……」
「偽の王でなにが悪い!」
シーマは顔を上げると、充血した目でユゼフを責め立てた。
「王位などくれてやる。おまえに譲ってもいい。おまえのほうが向いている。エゼキエル王よ」
「茶化すのはやめろ」
「……わかるか? 死んだと思っていた最愛の女が生きていた……それを目の前で傷つけられた……しかも、一番信頼していたおまえに!」
「彼女とは二度と会ってはいけない。ヴィナス様との関係を壊したくなかったら、忘れるんだ」
過去に捉われていては、現在の生活を維持できない。冷淡だろうが、当然の理だ。
「脅す気か? ヴィナスをダシにして」
「シーちゃん、君が皆を巻き込んだんだ。時間を戻すことはできない。君が王をやめれば、アスターさんや俺だけでなく、関わった者全員が居場所を失う。生きていけなくなるんだ」
「……ぺぺ、おまえは自分の保身のために、俺から大切な人を奪うと言う」
否定はしなかった。そうだ。保身のためだ。保身のために無垢な彼女を傷つけた。
──でも、シーちゃんも同じだろう? 王子を何人殺したと思ってるんだ。俺はこれ以上、無駄な犠牲を出したくなかった。だから代わりに手を汚そうと思ったんだ
「ぺぺ、俺はおまえのことが憎い。誰よりも……」
「なら、殺すか?」
ユゼフは投げやりに答えた。シーマが自分を切り捨てるというなら、それでもいいと思った。ならば、死ぬまえに少しだけ猶予をもらって、好き勝手させてもらおう。
「殺さない。おまえにも俺と同じ痛みを味わわせてやる。絶対に、だ」
本気だった。ユゼフはシーマの瞳が銀色に光るのを見た。黒い怒気を感じ、鳥肌が立つ。
──同じ痛み……とは……
「モーヴになにかするのは許さない」
「モーヴ、ではないさ。おまえの想い人は」
これ以上、見透かされるのを恐れ、ユゼフは顔を伏せた。
シーマが言わんとすることは、わかっている。必死に隠そうとしていたこと……ディアナへの想いはすべて……
──いつから気づいていたのか……
「最初から知っていたよ。おまえがあいつを好きだってことは」
──知ってて自分のために彼女を守らせたのか
「そうだよ。おまえは鈍感だから自分の気持ちに気づいてなかったろうが。視線を追えば、たいていのことには気づくものさ。別に触れなくても心ぐらい読める」
みじめな罪悪感に支配される。ユゼフにとって純粋な恋心こそ、誰にも知られたくないことだった。
ささやかなプライドさえ無残に踏みにじられる。
「正直、彼女を手に入れることで優越感に浸れた。おまえは俺より頭もいいし、人にも好かれる。おまえより優位に立てるのは気持ちのいいものさ……俺のほうが好かれてるって? そんなことはないよ、ぺぺ。俺の周りに集まるのはくだらない俗物ばかり。おまえは三百年前の王の生まれ変わりで、仲間の亜人たちから崇拝されている。ティモールとか言ったっけ? あいつも剣術大会でアスターに始末させるつもりだった。失敗してそのまま捨て置いたのは、情報源として役に立つからさ。俺にはあのような忠臣はいない。あと、おまえの妹たちの嫁ぎ先を手配したのも俺だよ……」
「知ってる」
「でもこれは知らないだろう? おまえと縁を切るよう、俺は妹たちを脅した。過去を清算せねばおまえは失脚するからと。金輪際、会わないようにと言いくるめたんだ。おまえから温かい家族も奪った。なぜって? おまえが妬ましかったのもあるし、俺のためだけに働いてもらいたかったからさ」
シーマは容赦なく言葉を続けた。積み重なる本音はシーマを活気づけた。
「王位を得るために必要だっただけで、ディアナのことは大嫌いだった。おまえの前で仲良しを装っていたのは、単に気分が良かったからだよ。おまえが指をくわえて見てるのが、おもしろかった」
ユゼフはシーマを見ないことで、やっと理性を保っていられた。目を合わせれば、きっと手を上げてしまう。
「でも……そんな陰気な遊びも、もう終わりだ。ぺぺ、顔を上げろ。おまえに言いたいことがある」
ユゼフはゆっくりと顔を上げた。冷静でいられる自信はない。
シーマは少しも笑ってなかった。灰色の瞳はユゼフを冷たく見据えている。そこにあるのは完全なる殺意だ。
「いいか、ぺぺ。俺はおまえの言うとおりにするよ。リリエとは会わない。なかったことにする。でも、その代わり──絶対にディアナを許さない」




