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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)四章 国王の過去
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60話 シーマの気持ち(ユゼフ視点)

 アスターの怒号が、壁に掛けられた二角獣(バイコーン)の剥製を震わせる。


「いったい、どういうことだ!? 説明しろ!!」


 会談のあと、シーマ、アスター、ユゼフの三人は談話室へ移動していた。

 瀝青城の談話室は北側にあり、大広間以上に寒々としていた。つけたばかりの暖炉の火が焦げた木の香を立ちのぼらせ、革張りのソファが獣脂の匂いを放つ。 そこに、剥製や古い武具に染みついた鉄の匂いが重なり、城主だった次兄、サムエルの面影をちらつかせた。


 リリエは地下に囚え、身重のヴィナス王女は王城へ帰した。 

 充分な金を渡し、シーマの前に二度と現れないよう、ユゼフはリリエに言い聞かせるつもりだった。彼女にとっても安全な遠い場所へ、誰にも見つからない場所へ消えてもらう。ディアナ側には死んだと伝えておけばいいだろう。


「おい、ユゼフ! おまえ、知ってたんじゃあるまいな!?」

「……まあ、だいたいのところは」

「なぬっ! どうして黙っていた?? こんなことになるまでっっ!」


 アスターが激昂しているのは、シーマの素性を黙っていたことに対してである。檻に入れられた猛獣のごとく、アスターは室内を歩き回っていた。

 内海の小さな島の少年が貴族の家に使用人として引き取られた。その後、病弱だった跡取りが亡くなったので替え玉にされた。

 シーマ本人とユゼフしか知らなかったはずの事実。


「なにも知らん状態で対応できるわけがなかろう!? ユゼフが動かねば、クソ女にしてやられるところだったのだぞ!?」


 クソ女=ディアナ。

 有事に際し、自分が動けなかったことがよほど悔しいらしい。そういえば、アスターはめずらしく困惑していた。


「他にシーマの素性を知る者は? あのリリエとかいう娘の他には??」

「他にはいない……」


 事後、一言も発さなかったシーマが口を開いた。ひどいかすれ声だ。


「アズィーズ島はジェラルド・シャルドンとクロノス国王が滅ぼしてしまった。生き残りは一人も残っていないと……五年前、調べさせたんだ。まさか、生きていたとは……」


「あの娘が生きていたということは、他にもいるかもしれぬ。徹底的に調べあげるのだ」

「……調べて、もし、いたらどうするのだ?」

「はぁぁあああ?? 始末するに決まっておろうが!!」


 無礼な物言いを、ユゼフは咎める気も起こらなかった。アスターはシーマが王であることなど、どうでもよくなっている。ずかずか歩み寄ると、座っているシーマを見下ろした。


「いいか? 王様ごっこはおしまいだ。これ以上、隠し事もなし。全部話せ。吐き出せ。でないと、協力はできない」


 シーマは生気の失った目でアスターを見上げた。いまだショックから立ち直れていない。


「……話すことはなにも……そもそも、俺は王になる気など最初からなかった。五年前の謀反はあいつが……あいつらが……アズィーズを襲ってリリエを殺したと思ったから……」


「なに、寝ぼけたこと言ってる??」


「成人したら、リリエを迎えに行くつもりだった。不安はあったけど彼女と約束したから。何度も手紙を書いていたのに、彼女からの返信は一度だってなかった。あいつ……ジェラルド・シャルドンが俺の手に渡らないようにしていたのさ」


「……なんの話をしてる? 今話してるのは女の話じゃない」


 眉根を寄せるアスターを気にも留めず、シーマは続けた。


「アズィーズの島民を皆殺しにした後、あいつは俺に手紙の束を見せた。俺が彼女のために書いた手紙だ。それを笑いながら暖炉の火に投げ入れたんだ」


 使い鳥を持たぬ多くの民は各都市に設置された伝書院を利用する。各地を回る巡礼者や修道士たちが手紙を運んでくれるのだ。伝書院を使おうと、シーマは使用人に手紙を託していたのだと思われる。

 シーマの独白にアスターの気勢は削がれた。助けを求めてユゼフを見てくる。

 シーマの視線はぼんやり空を漂っていて、どこを見ているのかわからなかった。

 口を動かすのは過去の情だろうか。一度(せき)を切れば、濁流の勢いは誰にも止められない。


「その時、こいつらを全員根絶やしにしようと心に誓った。民を虫けらのように思っているこいつらを制裁してやろうと……幼いガーデンブルグの後継者たちを殺したことに後悔はない。成長すれば必ず民を虐げる。三百年間、ずっと続いてきた営みだ。アズィーズの娘、幼子、老人、みんな殺された。連中がのさばる限り、永遠に悲劇は繰り返される……」


「……よし、わかった。そこまでにしとこうか。冷静に話せるようになるまで少し時間を……」


「俺は彼女を……リリエを愛していた。こんな見た目で、家族は俺を納屋に閉じこめていたから──醜いと言われ続け、日の当たらないジメッとした場所でずっと一人ぼっちだった。抜け出し、村の子供を引き連れて遊ぶことはあったよ。でも、日が落ちれば、納屋に戻る。皆は暖かい家に帰るというのに。俺にはあの暗い納屋しか帰る場所がなかったんだ」


 自身を上回る悲惨な幼少時代に、ユゼフは憐れみの情を抑えられなかった。シーマが島の子供だったということは知っていても、どういう生活環境かまでは聞いていなかったのである。


「帰れば、(あざ)が残るまで鬼婆に尻を棒で打たれる。そんな酷い鬼婆が俺を育てた。父は俺を自分の子でないと言い張り、母は育児放棄していたからな。毎日毎日、目を皿にして蚕の繭をより分けていたよ。腹を空かせて(さなぎ)を食べることもあった。虐げられてたんだ、家族から。会いに来てくれる彼女が、唯一心の拠り所だった……」


「……うむ……色白や銀髪も悪くないと思うがな」


 今さら取り繕おうとするアスターの言葉は、シーマには届かない。


「彼女を愛してたんだ……ぺぺ、どうしてあんなことを……」

 言葉を詰まらせ、シーマははらはらと涙をこぼした。


「おいっ? 泣くんじゃない。大の男がみっともない……ユゼフ、なんとかしろ」

 当惑するアスターにユゼフは溜め息を吐いた。


「アスターさん、頼むからシーマと二人にしてくれないか?」





 ††  ††  ††


 アスターがいなくなると、シーマが鼻をすする音だけが残った。

 演技で悲しげな顔をするのは見たことがあるが、この涙は本物だろう。


 シーマが取り乱すのは前例のないことだった。アスターの前で弱いところを見せるとは悪手だ。

 大きな体を最大限縮こまらせ、シーマは革張りのソファーの上に膝を立てて座っていた。

 膝に顔を(うず)めているから表情は見られない。ときおり銀髪が揺れるのを、向かいのソファーに腰かけたユゼフはボーっと眺めていた。


「君を守るために仕方なかった」


 言い訳をしたところで、どうにもならないことぐらいわかっている。だが、せずにはいられなかった。


「あのまましゃべらせていたら、ディアナ様の思惑通り、偽の王だと認めてしまうことになる……」

「偽の王でなにが悪い!」


 シーマは顔を上げると、充血した目でユゼフを責め立てた。


「王位などくれてやる。おまえに譲ってもいい。おまえのほうが向いている。エゼキエル王よ」

「茶化すのはやめろ」

「……わかるか? 死んだと思っていた最愛の女が生きていた……それを目の前で傷つけられた……しかも、一番信頼していたおまえに!」

「彼女とは二度と会ってはいけない。ヴィナス様との関係を壊したくなかったら、忘れるんだ」


 過去に捉われていては、現在の生活を維持できない。冷淡だろうが、当然の(ことわり)だ。


「脅す気か? ヴィナスをダシにして」

「シーちゃん、君が皆を巻き込んだんだ。時間を戻すことはできない。君が王をやめれば、アスターさんや俺だけでなく、関わった者全員が居場所を失う。生きていけなくなるんだ」

「……ぺぺ、おまえは自分の保身のために、俺から大切な人を奪うと言う」


 否定はしなかった。そうだ。保身のためだ。保身のために無垢な彼女を傷つけた。


 ──でも、シーちゃんも同じだろう? 王子を何人殺したと思ってるんだ。俺はこれ以上、無駄な犠牲を出したくなかった。だから代わりに手を汚そうと思ったんだ


「ぺぺ、俺はおまえのことが憎い。誰よりも……」

「なら、殺すか?」


 ユゼフは投げやりに答えた。シーマが自分を切り捨てるというなら、それでもいいと思った。ならば、死ぬまえに少しだけ猶予をもらって、好き勝手させてもらおう。


「殺さない。おまえにも俺と同じ痛みを味わわせてやる。絶対に、だ」


 本気だった。ユゼフはシーマの瞳が銀色に光るのを見た。黒い怒気を感じ、鳥肌が立つ。


 ──同じ痛み……とは……


「モーヴになにかするのは許さない」

「モーヴ、ではないさ。おまえの想い人は」


 これ以上、見透かされるのを恐れ、ユゼフは顔を伏せた。

 シーマが言わんとすることは、わかっている。必死に隠そうとしていたこと……ディアナへの想いはすべて……


 ──いつから気づいていたのか……


「最初から知っていたよ。おまえがあいつを好きだってことは」


 ──知ってて自分のために彼女を守らせたのか


「そうだよ。おまえは鈍感だから自分の気持ちに気づいてなかったろうが。視線を追えば、たいていのことには気づくものさ。別に触れなくても心ぐらい読める」


 みじめな罪悪感に支配される。ユゼフにとって純粋な恋心こそ、誰にも知られたくないことだった。

 ささやかなプライドさえ無残に踏みにじられる。


「正直、彼女を手に入れることで優越感に浸れた。おまえは俺より頭もいいし、人にも好かれる。おまえより優位に立てるのは気持ちのいいものさ……俺のほうが好かれてるって? そんなことはないよ、ぺぺ。俺の周りに集まるのはくだらない俗物ばかり。おまえは三百年前の王の生まれ変わりで、仲間の亜人たちから崇拝されている。ティモールとか言ったっけ? あいつも剣術大会でアスターに始末させるつもりだった。失敗してそのまま捨て置いたのは、情報源として役に立つからさ。俺にはあのような忠臣はいない。あと、おまえの妹たちの嫁ぎ先を手配したのも俺だよ……」


「知ってる」


「でもこれは知らないだろう? おまえと縁を切るよう、俺は妹たちを脅した。過去を清算せねばおまえは失脚するからと。金輪際、会わないようにと言いくるめたんだ。おまえから温かい家族も奪った。なぜって? おまえが妬ましかったのもあるし、俺のためだけに働いてもらいたかったからさ」

 

 シーマは容赦なく言葉を続けた。積み重なる本音はシーマを活気づけた。


「王位を得るために必要だっただけで、ディアナのことは大嫌いだった。おまえの前で仲良しを装っていたのは、単に気分が良かったからだよ。おまえが指をくわえて見てるのが、おもしろかった」

 

 ユゼフはシーマを見ないことで、やっと理性を保っていられた。目を合わせれば、きっと手を上げてしまう。


「でも……そんな陰気な遊びも、もう終わりだ。ぺぺ、顔を上げろ。おまえに言いたいことがある」


 ユゼフはゆっくりと顔を上げた。冷静でいられる自信はない。

 シーマは少しも笑ってなかった。灰色の瞳はユゼフを冷たく見据えている。そこにあるのは完全なる殺意だ。


「いいか、ぺぺ。俺はおまえの言うとおりにするよ。リリエとは会わない。なかったことにする。でも、その代わり──絶対にディアナを許さない」


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[良い点] シーマにも辛い過去があったようですが、やった事がやった事だけに、ユゼフの気持ちも分からないでもないです。 一番可哀想なのは、愛していたにも関わらず、見捨てられる、エリザやリリエのような人…
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