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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)四章 国王の過去
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59話 王と女王の会談③(ユゼフ視点)

「目の前にいる男に見覚えは?」

「……シオンです。間違いありません」


 広間の空気は凍りついた。

 何か言おうとして、アスターが口をパクパクさせているのは滑稽である。シーマの様子がおかしいから、何も言えないのだ。

 ディアナは、追撃をやめようとしなかった。


「シオンはあなたのなんなの?」

「恋人です。結婚の約束をしました」

「へぇ……それはどこで?」

「……納屋です」

「あれまあ! 納屋ですって!?」


 ディアナはケタケタと笑い声を立てた。彼女の背後で控えるクリムトとミリヤも陰険な笑みを浮かべている。

 ヴィナス王女は何が起こっているのか理解できず呆けているし、シーマもアスターも言い返せずにいる。


「で、シオンとあなたはどうして離れ離れになったの?」

「シャルドンの殿様が島に来て、シオンをお小姓にすると連れて行ってしまったのです」

「へぇ……シャルドンの殿様がねぇ……シーマ・シャルドン、あなたのことよ? 聞いてる?」


 残酷な言葉を投げかけられても、シーマは答えなかった。

 

 ──どうして否定しないのだ? 無礼者と一蹴(いっしゅう)すれば済む話じゃないか……え……? まさか……


 ユゼフはハッとした。シーマが以前言っていた話を思い出したのである。

 

 似てるんだ。初恋の人に……一途でひたむきなところが。だからヴィナスのことを好きになった。人を好きになる気持ちは誰にも抑えられない──


 ──この娘がシーマの初恋の……


 シーマはいつも以上に白い顔をしている。目にうっすら涙をにじませているのは、再会できた喜びか罪悪感か……

 アスターもどうすればいいかわからず、視線をさまよわせているし……


 ──いけない……このままだと……喰われる!


 愛情と憎悪を一度に感じることなど、起こり得るのだろうか……

 せっかく作りあげた楽園を蹂躙する行為。邪悪な笑い声を立てて、我が主を貶め、その座から引きずりおろそうとしている。この世で一番愛している女が……


「ディアナ様、おやめください!」


 ユゼフの一喝で醜悪な問答は中断された。

 ディアナは顔を上気させ、胸を震わせる。こちらを見る彼女の目は心なしか潤んでいた。


「これ以上、陛下を侮辱するのはおやめください。あなたを助けることができなくなる」


 一時の静寂が過ぎ、ディアナの瞳に灯ったのは激しい怒りだった。


「いいえ、やめないわ。私を助ける? 今さら、きれいごと言わないで! あなたは私を利用しただけでしょう?」


 邪悪な笑みは消え去り、ディアナはヒステリックに叫んだ。ユゼフを捉える深緑の宝石からは、今にも涙がこぼれ落ちんとしている。

 ユゼフは冷たく視線を返した。


 ──これ以上はもう……許すことができない


 氷刃のような視線に当てられ、ディアナの顔が歪む。怒りから悲しみへ……そして顔をそむけた。


「ねえ、リリエ? あなたのシオンになにか言いたいことはある?」


 ディアナは無垢な娘のほうを向いた。リリエは状況を把握しておらず、火照(ほて)った顔でシーマを見つめている。


「ええ……シオン、信じてたわ。アタシ、迎えに来てくれるのを……ずっと待ってた。島があんなことになって、アタシが死んだと思ってたでしょう? こうやって会えたのは聖霊の(おぼ)()しだわ。この十三年間、シオンのことは片時も忘れなかった……」


 つややかな黒い瞳で訴えるリリエの言葉に嘘はない。

 シーマはすがりつくようにリリエを見ていた。自分の立場をすっかり忘れ、彼女の言葉に心動かされている。

 死んだと思っていた想い人が生きていた……おそらくそのことで頭がいっぱいになっている。大蛇が大きい口を開け、食らいつこうとしているのが見えていない。

 シーマの唇が動いた時……


 ──もう限界だ


 ユゼフの体は秒にも満たない速度で動いていた。


「リ……リ……」


 彼女の名をシーマがつぶやくまえに、ユゼフは時を止めた。

 すべての照明が消え、窓から差し込む弱い陽光だけが頼りになる。ディアナのいる下座は闇に覆われた。

 壁際にいる大臣や諸侯も何が起こったか、わからなかっただろう。ユゼフは無意識のうちに前世の能力を使っていた。

 彼らが仰天して声を上げた時にはもう、ユゼフはリリエの前にいた。


 黒い瞳から涙が一筋。ツツツーと顎を伝って、闇へ消える。彼女の首から下は赤く染まった……

 刹那、ユゼフはリリエの首元に刃を突きつけたのである。勢い余って皮膚を傷つけてしまった。

 シーマへの忠誠の証であるダガーを握りしめ、無垢な娘にありったけの殺気を浴びせた。


 それから、炎は元通り広間を照らし出した。

 音がなくなる。驚愕、戦慄、混乱、衝撃……

 混沌のなか、リリエは声を失った。呆然と宙を見つめる瞳から愛しい人の姿は消える。優しい夢は悪夢へと変わる。恋人との甘い再会は血色に染められた。

 瞳が半転する。グルリ、白目を剥いたリリエは転倒しそうになった。ユゼフはダガーを引っ込め、片手で彼女を支え、仰向けに寝かせた。


 耳をつんざく悲鳴により、時はまた動き始める。

 悲鳴を上げたのはヴィナス王女だ。過呼吸に陥った彼女をアスターが助けに走った。

 ヴィナスを助けるはずのシーマは何をしていたか? さっきまで恋人が立っていた場所を見続けている。シーマの時は止まったままだった。

 ユゼフは顔を正面に戻した。視線を感じたからである。そこで、リリエの隣にいたディアナと目が合った。


 恐怖……


 怒りや悲しみは消え、純粋な恐怖だけがディアナの見開いた目に宿っていた。

 立ち上がり、後ずさったあと、バランスを崩してディアナは床に尻をついた。

 反射的に、そう反射的だった。ユゼフは彼女に手を伸ばした。


「いや……こないで」


 拒絶され、ダガーを握ったままだったことに気づいた。

 ミリヤがディアナを助け起こそうとしている。完全に腰が抜けてしまったディアナは立ち上がれない。もがけば、もがくほど……

 その様子はユゼフにとって、遠い舞台上の出来事のように思えた。自分を捉えるディアナの目を見て、我に返った。


 化け物を見る目だ。


 ──構わない。俺は化け物に違いないのだから……


 突き放されたことで冷静に戻れる。ユゼフは広間の端から端までを震わすほどの大声で宣言した。


「この娘は国王陛下を侮辱したため捕らえる! これ以上、陛下を辱めるのであれば何者であろうと許さない! 会談はこれにて終了する!」


 ミリヤとクリムトがやっとのことで、ディアナを助け起こす。

 三十人もいた護衛は直立不動で、誰一人として助けには来なかった。

 ユゼフの気迫に怖じ気づいたのだ。

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