28話 カワウ
峻厳な山を下り、深い森と土漠を抜け、にぎやかな王都へと──一週間後、ユゼフはカワウの王城にいた。
文を持ったユゼフは謁見室に通された。王の間ほど豪華ではないが、楽団が演奏しても違和感がないくらい広々としている。壁一面に吊るされた絵画やガラス製のシャンデリアは、権力の象徴ともいえるだろう。
フェルナンド王子は神経質そうな顔をした背の低い男だった。上から下まで値踏みするかのように、じろじろとユゼフは見られた。
登城するまえに身綺麗にしたつもりだったが、長旅による上衣の汚れは隠せない。不安と緊張でユゼフはカチコチになっていた。同じ王族でもディアナは幼なじみのようなもので、慣らされている。他国の王太子はユゼフにとっては雲の上の存在だった。
「このような身なりでのご無礼をお許しください」
「いいから早く、ディアナ姫からの文を渡せ」
ユゼフは跪いた状態で頭を垂れ、うやうやしく文を差し出した。
王子は素早く封を切り、文に目を通した。
読み終えるまでには一分とかからなかった。王子は少し下がった所にいた丸坊主の男へ文を渡した。
丸坊主が読んでいる間、自分の薄い頭髪を撫でてみたり、生やし途中の髭を引っ張ったり、落ち着きのない様子を見せる。ユゼフとほとんど変わらぬ年齢だが、唯一生き残った後継者としての重圧のせいだろうか……髪は薄くなっており、目元や口元がくすんでいて、だいぶ老けて見えた。
「どう思うか? コルモラン」
王子は傍らにいる坊主頭の顔色を窺う。
「しばらく殿下と話をする。そなたは下がっておれ」
コルモランは鋭い一瞥をユゼフに投げた。
「かしこまりました」
ユゼフは広すぎる謁見室を縦断し、扉まで歩かねばならなかった。
邪魔者が部屋を出てから、小声での相談が始まる。扉の隙間からわずかに声が漏れていた。
こんな時は生まれ持った能力が役に立つ。ユゼフは並外れた聴力を駆使した。
「……盗賊たちから、前金は回収できたか?」
「いえ。ですが、こちらが先に王女を捕らえれば、連中の面子は丸つぶれです。言うことを聞くでしょう」
「……しかし、姫のほうから、こちらに助けを求めて来るとはな?」
王子は嬉しそうに押し殺した声で笑った。
文はディアナからフェルナンド王子へ助けを求める内容になっている。
モズの遺跡に身を隠しており、周囲を盗賊がうろついているため身動きが取れない。王子自ら助けに来てほしい……そのようにユゼフは書いた。
「モズまで行くのは面倒だが、あの美しい花嫁に恩を売っておいても損はなかろう」
「モズの遺跡までは、三日ほどで到着致します」
「兵は何人用意したほうがいいだろうか?」
「百人もいれば充分かと」
「よし!」
相談が終わると、ユゼフは部屋に戻らされた。
「ユゼフ・ヴァルタンと言ったな? 長旅、ご苦労であった。明朝、王女を助けに向かう。そなたは風呂にでも入って、旅の疲れを癒やすがよい」
「労いのお言葉、ありがたく存じます」
「面を上げよ」
「……?」
話が終わったにもかかわらず、王子はユゼフから視線を外さなかった。冷たい汗がユゼフの背中を濡らす。
「ダニエル・ヴァルタンの弟なのか? 全然似てないのだが? ヴァルタン兄弟には戦時中、我がカワウ軍は痛い目に合わされた」
ユゼフは返答に困り、黙っていた。
王子からしたら、ユゼフは大勢いる従僕の一人だ。顔は知っていても、雑談をするのは初めてである。
「……まあいい。剣を差しているが、使えるのか?」
王子はユゼフが腰に差している盗品の剣を顎でシャクった。この剣は貴族から盗んだのか、物は悪くないのだが、紋と銘が削り取られていて明らかに不自然だった。
「あのダニエル・ヴァルタンの弟ならば、かなりの使い手なのでは?」
横に居たコルモランが煽った。剣を見せろと言われたら、まずいことになる。
「剣はほとんど使ったことはありません。この剣は天幕が襲われ、逃げる時に倒れていた盗賊から奪い取った物です」
コルモランが首をかしげ、訝しむ。ユゼフは目をそらし、付け加えた。
「着の身着のまま、侍女と学匠と数人で逃げたものですから、武器が必要でした」
言い訳じみてなかっただろうか、嘘っぽくなかっただろうか?……冷たい汗がこめかみから頬を伝い、ポタリと床に落ちた。
王子を見ると憐れみの視線を送りながら、二回軽くうなずいただけだった。
「さぞ、大変だったであろう? そちの忠義心と勇気に敬意を表する」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
しかし、王子はまだユゼフを解放してくれなかった。目つきがどことなく気持ち悪い。男色家と影で言われていたのを、ユゼフはぼんやり思い出した。それとも……
──勘づかれたか?
喉から飛び出さんばかりに心臓が暴れている。手足は強張り、まるで木偶にでもなったかのようだ。暑いのか寒いのかすらわからず、火照った体に冷たい汗だけが流れ落ちる。
これまでか、とユゼフが思った時だった。ようやく王子が口を開いた。
「そちは宦官なのか?」
ユゼフが戸惑っていると、横からコルモランが口を挟んだ。
「当然でございましょう。でなければ、王女様のお側には置けません」
「宦官のアソコはどうなっておるのだろうな?」
ユゼフは流れる冷や汗を拭うこともできず、思いついたままに答えた。
「根元から切られて何もございません……」
間は数秒だったろうか。
まとわりつく視線は艶を帯びており、それが好奇心なのか憐れみ由来なのかは判別できない。
パチンと弾けるように一瞬で空気が変わる。不意打ちだった。
王子が膝を叩いて笑い出した。強面のコルモランも歯を見せ、声を立てて笑っている。
「聞いたか? コルモラン。これなら王女も安心だ……まあ、よかろう。今日はゆっくりと休息するがよい」
ユゼフは止めていた息を一気に吐いた。
「ありがとうございます……」
安堵しているのを気づかれたくはない。一緒に笑うべきか、屈辱的な顔をすべきか、ユゼフにはわからなかった。
※※※※※※※※
二日後、ユゼフは王子に付き添って土漠を西北へ進んでいた。
カワウとモズの国境に横たわる土漠は、どちらの所領かはっきりしない場所である。ユゼフたちが盗賊に襲われた辺りは通り過ぎた。モズの古代遺跡は土漠の西北に位置し、「魔法使いの森」の手前にある。
遺跡は入り組んだ迷路だ。
この大陸が一つの国だった昔、王城があった場所だと伝えられている。外海からやって来た侵略者たちは城と城下町を完全に破壊しようと試みたが、天災が立て続けに起こり叶わなかったのだという。
天災は魔の国に落とされた王の呪いだと怖れられた。また、この場所を通りかかった旅人が数々の怪異を見たことで、怪談話はさらに広まった。
要は曰くつきの場所なのだ。ここには誰も近寄らない。
先の戦争では、迷い込んだ兵士が出られなくなって、白骨化しているという噂まで流れる始末だった。ユゼフにとっては好都合だ。
こういった噂のせいか、一行は日が暮れるまえに天幕を張って休息を取ろうとした。
「王女様は首を長くして殿下をお待ちです。あのような場所で何日も……夜までには到着致します。すぐ目と鼻の先ですから何卒足を止めることのなきよう、お願い申し上げます」
遺跡の中へ誘い込むのは夜のほうが都合いい。ユゼフはなるべく控えめに申し出た。
「たかだか、宦官の従僕風情が意見するか? 夜で視界が悪いのだから、待ち伏せなどされたら危険だ」
コルモランが恫喝した。すると、
「まあ、いいではないか?」
と王子。王子はユゼフに優しい。色を帯びた目つきにユゼフはゾッとした。
「目と鼻の先と言うのなら、兵の半分に陣営を張らせ、残りの半分で向かえばよい」
「けれども……」
「早く美しい姫に会いたいのだ。四方を遠眼鏡で確認したが、敵はどこにもいない」
王子はコルモランに耳打ちした。
「構わぬだろう? どうせ王女の周りには数人しかいないのだし、何かしようにも何もできまい」
「用心するに越したことはありません」
コルモランは疑り深い目でユゼフを見る。
ユゼフはコルモランが折れるまで、しばしの間、下を向いて待った。
「この鈍臭い、剣も扱えないような宦官が何かできると申すのか?」
「私の申し上げているのは可能性です。例え低い確率であっても危険は避けるべきかと……それに、この者は盗賊から逃れることができたのですぞ?」
「たまたまに決まっておろう。そんなことより、王女を怖ろしげな場所で一晩も待たせる気か? これから、長い付き合いになるであろう伴侶の不興を買いたくはない……」
数分話し合った結果、コルモランはしぶしぶ王子に従うこととなった。
その間に日は大きく傾き、地平線は紅く染まってしまった。東の空には大きな月が早々に顔を見せている。
──だまし討ちか……
だまして、ひとけのない道へ誘い込み襲う。標的は金持ちで有名な貴族の馬車だった。ユゼフはイアンたちと少年時代にやったゲームを思い出した……。




