54話 シーマの過去①(ディアナ視点)
アズィーズ島はなくなっていた。厳密にいうと、無残な焼け跡は残っている。今やそれは巨大な土と岩の塊にすぎず、地図上からも抹消されていた。
ディアナの父クロノスとヘリオーティスが燃やしたのだ。貢納が遅れたこと、亜人の島と取引していたことを理由に焼き払ったのだった。この島はシャルドン家の所領だったので、シーマの父のジェラルドも焼き討ちに協力している。
ジェフリーから報告を受け、ディアナは落胆した。と同時にシーマの過去を清算するため、ジェラルドが謀ったのだと思った。
しかし、落胆のあとに待っていたのは、大きな期待だった。
ジェフリーは、アズィーズ島の生き残りだという娘を連れてきたのである。
リリエは素朴な娘だった。
籐の籠を担いで、田園を歩くのが似合う。麦わら帽子に付けた日除けで汗を拭き拭き、木筒の水を飲む。そんな情景が想起されるような……
笑うと控えめなエクボができ、はちきれんばかりの胸にはいつも汗をかいている。男たちの視線を嫌悪することなく、おびえながら受け流す。垂れた眉毛をさらに下げて、困り顔をする。
純粋、無垢。温かく、汚れを知らぬ娘。彼女には見えていなかった。嫉妬、憎悪、憤怒、羞恥、背信……捨てられた愛の置き場を……醜く歪んだ愛を。
リリエは少しも疑わず、聞かれたことになんでも答えた。
「シャルドンの殿様は十三年前、初めてアズィーズにいらしたのです。薬湯を求めて……たしか、息子さんが重い病だったとかで、それで、アズィーズを買い取ったと聞いています」
「五年前の事件は気の毒であった。ジェラルド・シャルドンはすでに亡くなっているから罪に問えぬが、必ずや報いようぞ」
精一杯微笑むディアナを前に、純朴な娘は涙をこぼしそうになる。
ローズ城の女王の間に、ディアナはリリエを迎え入れた。
アズィーズ近くの島で、女給をしていた彼女をジェフリーが見つけたのだ。ひざまずく彼女の両脇には、ジェフリーとヘリオーティスの眼帯エッカルトがいる。
五年前、アズィーズ島で起こったことに、ディアナは心を痛めた。
略奪の後、すべての住居は破壊され、島全域に火が放たれた。島民は皆殺し。幼子だろうが、赤子だろうが、容赦なかった。
むごたらしい事件が起こったのは、時間の壁が出現するほんのひと月前だ。この事件の直後、ディアナは王子と婚約するために、カワウへ向かったのである。
底知れぬ不安が影を落としつつも期待に胸を膨らませ、旅路についたことが思い出される。ディアナにとっても、節目の時だった。
「もっと楽にしてよい。内海からここまで来るのは大変だったであろう。信じて来てくれたことに感謝する」
「……そんな、アタシなんかに、もったいない言葉……」
リリエは言葉を詰まらせた。おとぎ話みたいな薔薇の城。優しい女王。誠実な騎士は二枚目──愚かな娘は完全に信じ切っている。
「そうだ。おまえと結婚の約束をした男の話だったな?」
「そうです。こちらの騎士様がシオンのことを知っているって。会わせてくれるって言うから……」
「もっと詳しく聞かせてくれぬか。そのシオンとやらのことを」
リリエの頬がパッと赤くなる。気持ちを静めようとしているのか、瞼を閉じた。
リリエの豊満な胸が上下するさまを、隣のエッカルトが横目で見ている。
ディアナは欲望を隠そうともしないエッカルトを軽蔑した。ミリヤが皆に気づかれないよう、そっと背中をさすってくる。これから聞く話には、覚悟が必要ということか。
──ふん。私はもう小娘ではないわ。この芋娘がシーマの女だろうが、なんにも感じない
黒い目をパッチリ開き、リリエの赤い唇が割れる。切ない恋物語が幕を開けた。
※※※※※※※※
シオンの髪は生まれつき銀色で肌も真っ白でした。オーティエ家の十人兄弟の末っ子で、いつもお婆に叱られていました。
……というのも、なかなかヤンチャだったから。
シオンは白い肌のせいで、外に出ることを禁じられていました。強い日光に当たると火傷をしてしまうとかで……それと、シオンの噂を聞きつけたならず者が、捕まえに来るかもしれなかったので。
あのような白い肌は特別で、錬金術師や魔術師が肝を薬の材料に使うらしいのです。だから、シオンが畑に出ることはありませんでした。
アズィーズは養蚕が特産です。シオンは農作業の代わりに、家で蚕の世話をしたり、出荷前の繭を選別したりしていました。
お婆は普通と違うシオンを隠したかったんだろうけど、無理でした。村の子供で彼を知らない子はいなかったですから。
ガキ大将だったんです、彼は。体が大きいから、誰も喧嘩では勝てませんでした。
よく作業の合間に抜け出しては、村の子供を引き連れてイタズラしたり、洞窟や森を冒険していました。村の子供はみんな、彼の家来でした。
アタシとシオンの出会いは八歳か九歳くらいだったかと。
港から家に帰る時、アタシはいつもオーティエ家の納屋の前を通っていたんです。そしたら……歌声が聞こえてきて……クスッ……それがとっても下手くそで、思わず笑ってしまいました。
彼ってば、すごい音痴なんです。歌だけは何をしても上達しませんでしたね。
いつも会うのは納屋でしたけど。学校へ行けないシオンに、アタシは勉強を教えてあげました。学校は別の島にあります。行ってない子は結構いました。
シオンは乾燥させたヘチマみたいに教えたことを吸収しました。基本の読み書きや計算はすぐに習得しましたよ。やがて、アタシなんかが教えることはなくなって、聖堂書庫の本をシオンのために借りてくるようになりました。こんな天才をどうして、家族は納屋に閉じ込めておくのだろうとアタシは思っていました。
きっかけはシャルドンの殿様が薬湯を求めて、この島を訪れた時です。ちょっとした騒ぎになりました。
そりゃそうですよね。あんなど田舎の辺鄙な島に大陸のエラい殿様がいらっしゃるんですから。なんと、シオンはでしゃばって島の案内を申し出ました。
思えば、あれがすべての間違いだったんです。シオンはとても不思議な人でした。お婆はそれをわかっていたから、彼を必死に隠そうとしていたのです。
……なんというか、理由はわからないけれど……彼がいなくなったことと、島が燃やされたことは関係あるような気がしてならないのです。彼が、シオンが、島にいればあんなことにはならなかったと。
シャルドンの殿様は、シオンをたいそう気に入りました。見た目も、その……格好いいし……シオンは口も達者だったから……エラい方を前にしても、物怖じせず堂々としていました。遠くから見ただけですけど、殿様はシオンの話を楽しそうに聞いていました。
それで、シオンをご自分の城で召し抱えたいとおっしゃったのです。病弱だが、同じ年頃の息子がいるから遊び相手にちょうど良いと。息子の身の回りの世話をしてほしいと……
もちろん、お婆は大反対しましたよ。でも、他の家族が……シオンのおとうもおかあも……他の兄弟たちも……ごめんなさい……涙が……シオンはアタシにだけ話してくれました。
シオンは家族の誰にも似てませんでした。だから彼のおとうは自分の子でないと、言いふらしていましたし……信心深いおかあは「悪魔の子」だと言って、抱くことも乳をやることもなかったそうです。兄弟たちも親を見習い、シオンを遠ざけました。
お婆だけがシオンの味方でした。お婆が山羊の乳でシオンを育てたんです。シオンは家族と一緒に過ごすことはなく、一人薄暗い納屋で生活していました。
シオンがシャルドンの城へ行くと言うと、お婆はたいそう怒ってシオンを打ちました。それでも、シオンは島を出たいと、ここにはいたくない、大陸へ行って出世するんだと言って聞きませんでした。
他の家族が厄介払いできると大喜びするなか、お婆だけが首を縦に振ろうとはしなかったんです。
シオンとお婆の大喧嘩は納屋の外に筒抜けでした。二人とも、喉が切れんばかりの大声で怒鳴り合ってました。
「オメは特別なんじゃ! 島を出てはならん! 外へ出れば、災いをもたらす。人目に触れれば、皆がオメを喰らおうとするじゃろう。婆の言うことを聞くんじゃ、死にとうなかったら……」
とか何とか……シオンは、
「ババア、テメェが死にやがれ」
って……
お婆はシオンがいなくなってから、三日後に急死しました。
島を出て行く前日、納屋でシオンとアタシは結婚の約束をしました。シャルドンの城へ行っても、絶対に忘れないと。成長したら必ず迎えに来てくれるって……
だけど、出した手紙が返って来ることは、一度もありませんでした……




