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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)三章 闇の集団ヘリオーティス
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51話 見られてしまう(サチ視点)

 週末の昼、報告書をサチはクリープに渡す。これは毎週欠かさず行っている、行わなくてはならない……習慣だった。


 ──いつまで続くのかな、これ?


 内心、文句を言いつつ、サチは仕事をきっちりこなしていた。騎士団内部で起こったこと、日々の業務内容の詳細と変化、移動、噂話、誰と誰が仲が良くて悪いか、そんなことまで仔細に報告する。だが、今回は日常の報告と言うより、痴漢騒動の一部始終だ。主観が入らぬよう誰が何を言ったか、行動だけを細かく記し、当然ながら感情や予測は排除した。


 クリープに報告書を渡したら、サチはカオルの部屋へ行くつもりだった。カオルはサチと同じ寮に住んでいる。謹慎期間中、ヴァレリアン家に戻っていたようだが、除名が決まり荷物を取りにくると聞いていた。最後に会って話したいと、カオルのほうから言ってきたのである。


 クリープのいる財務部は主殿を出て、西へしばらく歩く。東にある軍営は対極に位置するから、帰りは城内を端から端へ移動することになる。

 パン屋、鍛冶屋、厩舎、畜舎、など……雑多なセクターが並ぶのは反対側。西側は庭園や果樹園が広がっている。こちらのほうが静かで、サチの性に合っていた。


 一つだけ問題が……

 財務部のある「知恵の館」の隣には尖った屋根の教会がある。サチは途中から下を向いて歩いた。それもこれも、尖った屋根恐怖症とかいう訳のわからん病気のせいだ。

 

 「知恵の館」では役人や学匠が集い、国の行政事務を執り行う。学匠になって、将来ここで働けたら……もしくは、知恵の島の学術庵で魔術の研究をするのも良い。錬金術を極めるなら、国内では禁止されているのでモズへ行くのもいいな──などとサチは妄想を膨らませた。


 知恵の館の一階に財務部はあった。体格のいい若者がワァワァ騒いでいる東側と違い、こちらはローブを着た学匠や文官たちが静かに行き来している。

 財務部の部屋はデスクが整然と並んでいる割に個々の机は書類が散らかり、雑然としていた。休憩時間はクリープ以外、全員出払っている。


 サチに気づいたクリープは挨拶代わりに眼鏡のつるを持ち上げ、眉毛を少しだけ動かした。

 たぶん、「待っていたよ。謹慎明けて、初めての報告だね。先日、話したことはちゃんと覚えているかい? これに反省して、おとなしくしていることだ。争いごとに首を突っ込むのはやめるんだよ」と言っている。サチは、反応のほとんどないクリープの心のうちを勝手に想像して、それに答えるようにしていた。



「まあね。俺は非力だから、権力の犬として地味に生きていくことにするよ。あ、料理人もいいかもな。さっき、厨房に寄ったんだけど……」


 サチは話しながら、クリープの机に腰掛けた。クリープはなにも答えないし、表情も変えない。なにか言うのは、文句を言いたい時だけだ。

 クリープはさして興味もないだろうが、サチは料理人になったファロフの話をした。一方的に話すのは常である。この五年、ずっとそうだからもう慣れた。


「結構、頑張ってるよ、ファロフは。この調子なら、続けられるんじゃないかなぁって思う。料理長の話だと、覚えも早いらしいし、仕込みや下ごしらえもキッチリやる。基本的なことは直接教えなくても、わかってるって言ってた……」


 話の途中、サチはさり気なく懐から取り出した報告書をクリープの膝に置いた。クリープは素早くそれを懐にしまう。いつもそうするように、一秒もかからなかった。


「さて、と。こんな所で油を売ってると、また怒られちゃうからな? そろそろ帰るわ。じゃな、クリープ」


 用事が済めば呆気ない。サチは立ち上がり、クリープに別れを告げた。クリープは微かにうなずき、微笑んだように見えた。五年もこのやり取りを続けているから、クリープのほうも慣れている。クリープがシーマのために働くのは、恩人だからだろう。シーマは、魔人の犬だったクリープに生きる場所を提供してやっている。味気ない財務部がクリープの居場所なのだ。


 知恵の館を出ると、甘い香りがサチの鼻をくすぐった。ナツメグとなにか……異国風な香りだ。


 ──ん? この匂い?


 知っている。この特徴的な香りはトサカ頭、ティモール・ムストロ。


 ──ティモールがここに来たのか!? なんのために?


 アホのティモールとお堅い知恵の館は結びつかない。サチは胸をざわつかせた。

 財務部の部屋があるほうへ外壁沿いに走る。財務部の窓の下には、足跡が二つ残されていた。それと、効力の消えた呪符。


 ──まさか、今のやり取りを見られていたのか?



 ティモールと()()に見られてしまった。サチがクリープに情報を渡している、間者だということが知られてしまったのだ。効力の消えた呪符はおそらく、気配を消すために使ったのだろう。


 嫌な予感を払拭したいがために、サチは寮へと走った。カオルは出て行くまえに話したいと言っていた。寮の部屋でサチのことを待っているはずだ。

 ひっきりなしにカンカン叩く音が聞こえる鍛冶屋を過ぎ、にぎやかなパン屋の横を走る。騎士団の演習場が見えてきた。


 もし、さっきのやり取りをカオルに見られていたとしたら……きっと、裏切られたと思うだろう。それこそ、冗談ではなくて権力の犬。サチ・ジーンニアはコソコソみんなのことを嗅ぎ回って、誰か偉い人(国王)に報告している。真面目で良い人間の皮を被った卑劣漢なのだと、思われるに違いない。

 騎士団でカオルと話すのは、サチの他はエリザとウィレムだけ。カオルの今現在の友達はサチだけだ。



 寮に着いて、サチを待っていたのは後悔だった。どうしてもっと早く話さなかったのかという後悔。疑心は誤解を招く。築き上げた信頼は脆く崩れ去った。


 カオルの寮の部屋は綺麗に片付いて、なにもなかった。書き置きすら残さず、カオルは姿を消したのである。


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