49話 ファロフの話(サチ視点)
入ってきたのはファロフだった。
元盗賊のファロフ。亜人ということでリンチされ、騎士団から姿を消したファロフだ。原形をとどめないほどボコボコにされた顔は、すっかり綺麗に治っている。治癒力が高いのは亜人ならではだろう。
ファロフはアスターの推薦で騎士団に入った。実家はモズの本屋だ。非行少年のファロフは、窃盗で捕縛されたのが原因で勘当された。盗賊になったのは不良仲間に誘われたからだ。
あの一件以来、誰にも何も告げず、ファロフは姿を消していた。
「どこにいた? ジャメルも心配して……」
ファロフが唇に指を当てたので、サチは黙った。奥にいるジャメルの妻のマルタをチラチラ気にしているようだ。
盆を持った職人が近寄ってきた。
「休憩早めに入っていいぞ。おかみさんには、おれから言っとく」
気を利かせてくれたようだ。サチはうなずいて、ファロフと共に店を出た。
昼時になると、近くの肉屋が屋台を出す。売れ残った肉を鉄串に刺して焼いてくれる。
いつもだと並ぶのが、まだ早い時間なので列はできていなかった。煙が立ち上り、香ばしい匂いが充満する。
「シシキャバブとクビデ二つずつ」
羊肉のキャバブと、挽き肉を鉄串にまとわせたクビデを焼いてもらう。焼けるまでの間、サチはファロフと話した。
「ごめんな。仕事中に」
「俺は構わないが……どうした?」
「ジャメルは絶対戻れって言うだろうから、知られたくなかった。ごめん」
マルタを気にしていたのは、そういうことか。
ジャメルは少々説教臭いというか、お節介過ぎるところがある。正論を押しつけられるのは、今のファロフには耐え難いのかもしれなかった。
「そりゃあさ、せっかく平民から騎士になったのに逃げるなんてダセェよ? ジャメルの言うこともわかるし、取り立ててくれたアスター様にも申しわけなく思う。でもオレ、ずっと引っ掛かってることがあって……」
真剣に相談したいらしい。騎士団を辞めるにあたり、アスターとジャメル、あと直属の上官のグラニエとの間を取り持ってほしいのだろう。
「五年前、夜の国でのことだよ。頭領が殺されて……」
あまり聞きたくない話が始まったところで、肉が焼き上がった。
「お、うまそう!」
話を遮り、サチは代金を払った。屋台から数十歩の距離にジャメルの家はある。忙しく動き回る縫い子や職人の姿がガラス張りの壁を通して見えた。おかみさん(マルタ)は、奥で帳簿と睨めっこしている。
サチとファロフは家の外階段に並んで腰掛けた。
焼きたては串が熱くなっているから気をつけないと……サチは鉄串に触れないよう、唇を器用に動かして肉を外した。
隣でファロフが失敗した声を出す。
「あふっ!」
「気をつけろ。でも、うまいな!」
焼きたての肉は最高に美味い。
──気の毒だな、ユゼフは。こんなうまい物が食えないんだから
肉嫌いのユゼフをサチは思い出した。肉を口の中で転がして冷ましながら思う。最後、ユゼフと話したのはいつだったか。
「頭領とオーランが死んだ時、思ったんだ」
気分良く食べていたのに、ファロフの話が再開した。
「オレには殺し合いは向いてねぇって。アスター様にも言ったし、できれば実家に帰るつもりだった。けど……」
そこで、ファロフは言葉を切った。道の向こうを見やる。
向かいの家の玄関あたりを見ているのだろうか。鉢植えのクレマティスが風に揺れている。舞う蝶を黒猫が狙っていた。
「親父は死んでた」
沈黙するしかない。こういう話の時は……サチとファロフの間を生ぬるい時間が流れていった。
煙が流れてくる。僅差で屋台の前には行列ができていた。
サチとファロフは、向かいの家をぼんやりと眺め続けた。クレマティスと猫、それと蝶……
黒猫に凝視された蝶は、おかしいぐらいに動きが不安定だった。まるで酔っ払っているみたいだ。自然界ではこういった現象がよく見られる。補食者に睨まれるだけで、獲物は見えない縄に搦め捕られてしまう。
両前脚でバチンと叩いた蝶を、黒猫はわざと逃がす。ふたたびバチン!……何度もそれを繰り返し、蝶の動きはますます鈍くなっていった。
「結婚した兄貴が店を継いでたよ。兄貴はオレとちがって出来が良かったから。家族想いのいい奴で優等生でさ、みんなに好かれてたよ。それにオレとちがって……髪も……」
そこまで言うと、ファロフは手で口を抑えた。吐き出したい気持ちはわかる。サチは無言でファロフの肩に手を置いた。
「結局、戻ったところでオレの居場所なんか、どこにもなかったのさ」
ファロフは自嘲した。
道の向こうでは、ピクリとも動かなくなった蝶を黒猫が弄んでいる。肉はちょうどいい温度になったが、先ほどより美味しく感じられなかった。
サチは黙々と口を動かした。戻る場所がないのは、サチもファロフと同じだ。だが、傷の舐め合いはしたくない。
「サチ、オレはおまえが羨ましいよ。なんでも器用にこなして……頭もいいし」
「へ? なに言ってる? 俺の剣のレベルを知っているだろ?」
「うん、たしかにヒドいな」
少し笑みが戻ってくる。ファロフは大きな口で肉にかぶりついた。最後の一切れを咀嚼し終わると、鉄串を階段に立てかける。
猫が喉を鳴らし、サチの足元にやってきた。温もりが心地良い。
「サチが食堂で料理を作った時、ほんとに感動したんだ」
「あー、料理主任と喧嘩した時な」
「余り物の材料でも、工夫次第でごちそうになるんだって。たったひと手間で魔法みたいに変身するんだって……」
「誉めすぎだよ」
サチは照れ笑いしてから、猫の顎を撫でた。人懐っこい猫だ。目を閉じ、うっとりした顔で顎を突き出してくる。
「マルタは良かったよな。アジトにいたころと全然雰囲気が違う。さっきチラッと見たけど、立派な経営者になってた。働いてる人もさ、みんな生き生きして楽しそうに見えたよ。どこも行き場がなかったら、ここで雇ってもらうのもアリかなって思ったけど……オレは機転が利かないし、不器用で、すぐに自己主張しちまう。自慢もするし、自分をつねに見てもらいたい。だから、接客業は向いてねぇと思うんだ」
「よくわからんが、仕事には向き不向きがあるよな。騎士は特殊な職業だよ。嫌なら辞めてもいいと思う……俺も命のやり取りは好きじゃない」
サチは自分の行く末と重ねてしまった。騎士団を追い出されたあと、学匠の学校へ行けるといいのだが……シーマと交渉し、願いを聞き届けてもらえるかが問題だ。
サチは黒猫を抱き上げ、膝の上に載せた。
「話は戻るけど、料理の手伝いをした時、物凄く楽しかったんだ。その、なんつうか、食材が次々に変化していくさまが……」
精彩を欠いていたファロフの顔が俄然、熱を帯びてくる。瞳は光を取り戻し、希望に満ち始めた。
「オレも作りたい! やってみたいって思った。それまで料理なんか、したことなかったのに」
「本気か」
「王城の厨房で働きたい。やるからには、一流の料理人になりてぇんだ」
ファロフは大真面目だった。熱意にサチは圧倒された。
騎士団を辞めるため仲介してほしいという相談だと思っていたのに、まさか、その先まで見ていたとは……
「なにかをやりたい、こんなふうに強く思うのは生まれて初めてなんだ。だから……」
「王城内で働くとなると、知り合いに会うと思うし、嫌な目にも合うかもしれない。いいのか?」
「覚悟はできてる」
「……わかった。俺のほうからダメ元でチーフに相談してみる」
「マジか!!」
ファロフが突然立ち上がったので、猫が驚いて膝を降りてしまった。
「喜ぶのはまだ早い。受け入れてもらえるかは、わからないからな? とりあえず聞いてみるだけだ」
「ありがとう!」
まもなく休憩時間も終わりだ。階段に立てかけた鉄串を猫がペロペロ舐めていた。先の鋭く尖った鉄串はメシア教の教会を思い起こさせる。
五年前のトラウマは消えずに残っていた。サチの教会恐怖症は当分治りそうもない。
──嫌いだ。剣も騎士団も
ファロフと次に会う約束をして、拳をぶつけ合う。
「またな、サチ! 互いにいい道が開けるといいな!」
「ああ、聖霊の祝福を」
猫は尻尾を立て、次の獲物を探しに向かった。向かいの家のクレマティスが揺れる。その下には、蝶の残骸らしきものが落ちていた。




