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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)三章 闇の集団ヘリオーティス
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36話 ジュートのシチュー、甘瓜の生ハム巻き、レモンチーズタルト(サチ視点)

 誰が呼んできたのか、香りに誘われたのか、食堂は大勢の人でごった返していた。兵士や騎士だけではない。城内で働く仕立て屋、散髪屋、庭師……その他、種々多様な職人も押しかけ、大賑わいとなった。

 意地悪な好奇心、野次馬根性から集まったのだろうか。それにしては、食べる気まんまんで鼻をひくつかせている。皆が皆、サチの作る料理を一目見ようと、押し合いへし合いしていた。

 


「さあっ、これで仕上げだ!」


 鮮やかな緑色のシチューに白いバターをポトリ。シュワッと溶けて、緑が柔らかくなる。次の瞬間、バターの芳しい香りが広がった。


 チーフは、カウンターの真ん前のテーブルを陣取っている。

 その隣にはサチの上官であるグラニエが……そう、いつもサチを気にかけてくれるグレーヘアーとツン髭の、保護者のようなあのジャン・ポール・グラニエが、(いか)めしい顔をして座っていた。サチが仕事をサボって何をしているのか聞きつけ、やってきたのだ。


 まずは、瓜の蜂蜜漬けを塩漬け肉で巻いた前菜を運ぶ。食堂の外にまで集まった野次馬が囁き合った。


「蜂蜜漬けに塩漬け肉だと?」

「ハムと果物の組み合わせは聞いたことがあるが……」


 木皿に載せられたそれは、宝石のごとくキラキラしていた。蜂蜜をまとう薄緑の瓜は艶やかで、塩漬け肉は目の覚めるようなピンクだ。鹿、鴨、兎の中からサチは敢えて鴨を選んだ。理由はこの色だ。薄緑に映える刺激的なピンク。


 まず、グラニエが一口。なにも言わず、二口目……

 それから、様子をうかがっていたチーフがおそるおそる口にした。

 その後は黙々と食べ続ける。無言でひたすら咀嚼する。見物人たちも息を呑んで見守った。


「……あの、感想は?」

「なにも言うことはない。次の料理を持ってきなさい」


 剣術大会の時のように険しい顔をしたグラニエが答えた。チーフの顔つきも同様に険しい。緊張感が増した。


 サチはシチュー鍋をワゴンに載せて運んだ。皿に注ぐ時、手が震える。


 ──なにやってんだ、俺は? こんな座興のような真似をして、注目を浴びて……愚か者そのものじゃないか……


 夏場は葉物が育ちにくい。どんなに暑くても青々と葉を茂らせるジュート(モロヘイヤ)は栄養価も高く、優秀な作物だ。

 ネバネバしたジュートとすり潰した里芋がシチューにとろみをつける。中にはきっちり下処理した鶏肉が入っている。ニンニク風味だ。

 香辛料を何種類か入れたが、なにか物足りなかった。フッとサチの頭に浮かんだのはバターだ。

 

 幼いころ、屋敷のシェフがよく隠し味に使っていたのを思い出した。高価だから食堂の厨房にはない。ゆで(だこ)に似たチーフがわざわざへ行って、もらってきたのである。


 ──これでマズいと言われたら、シャレになんないな


 また、二人はなにも言わずに黙々と食べる。……二口、三口、四口。四口目でグラニエが急に口を押さえた。


「グラニエさん、どうされました?」

「うぐっ、むぐぐぐぐ……」

「えっ!? 何事です!? 大丈夫ですか!?」

 

 苦しそうに呻くグラニエを見て、サチは狼狽した。野次馬がざわめく。


 ──まさか、毒が!? いったい、いつ!?


 調理の過程をサチは懸命に思い出した。

 調理中、ずっと厨房にいた。毒を混入するのは難しいはず……つねに見張っていたわけではないが……素材その物に入っていたとか?……


「私は……大丈夫……だ……」


 グラニエが声を絞り出した。


「グラニエさんっ!」


 グラニエの背中をさすろうとして、サチはハッとする。

 尊敬する上官は泣いていた。髭を震わせ涙を流し……


 騎士団の中で隠密的役割を果たす影の集団、偵察部。その親玉が大勢の前で泣いている。

 

 ──何事だ? いつも冷静沈着なグラニエ隊長が……

 ──刺激物でも入ってたのだろうか

 ──ものすごく苦いとか


 野次馬たちの心ないさざめきが不安感を増幅させる。少しまえにサチが味見した時は、なんともなかった。

 一人、静かに食べ続けていたチーフが不意に顔を上げた。


「うまいのだ……」

「へ!?」

「あまりにも、うまいのだ……言葉を失うほどに……そうでしょう、グラニエ様?」


 チーフの言葉にグラニエはうなずき、涙を拭った。


「さきほどの蜂蜜瓜と塩漬け肉もだが、素晴らしい。王の食卓にお出ししても、違和感ないほどだ」


 今度はサチが言葉を失った。


 ──そんなにも、おいしいって……王の食卓に出せるほど!? あり合わせの物で作った料理が!?

 

 予想以上の反応が信じられない。素直に感激していいものか躊躇していると……


 パチパチパチパチ……

 誰かが手を叩き始めた。料理を手伝ってくれたファロフとトッドだ。拍手は食堂中を満たし、外にまで広がった。

 サチは喝采を浴び、立ち尽くしていた。なにが起こったのかわからず、呆気にとられている。

 自分を目の敵にしていたあのチーフでさえ、優しい笑みを浮かべ祝福している。


 ──なんだ、これは? おかしな夢でも見てるような気分だ……騎士団を辞めて、料理人になれという神からの啓示か……


 そんななか、グラニエだけが拍手せず、悲しい顔をしていた。もう、泣いてはいないが、灰色の瞳は哀れみを湛えている。

 サチのなかで小さな疑念が湧いてくる。だが、ファロフの声で我に返った。


「みんなー! 食いたい奴、並べーっ! たくさんあるが、数に限りがあるぞ! グラニエ隊長を泣かせるほどの、うまい料理だ! こっち集まれーっ!」


 たちまち大行列ができ上がった。配膳と給仕に追われ、食堂は戦場と化す。


「さ、デザートを」


 サチがぼうっとしていると、トッドに急かされた。

 デザートはレモンチーズタルト。これもたまたま大厨房で余っていた大量のビスケットと、ヨーグルト壺の端にこびり付いていた脂肪分(チーズ)で作ったタルトである。

 

 貯蔵庫へ行った際、瓜の蜂蜜漬けの隣にレモンの砂糖漬けが置いてあるのを、サチは見つけた。

 ビスケットは軽く砕いて牛乳、バターと合わせて土台にする。濃厚な乳脂肪分を(にかわ)で固め、上にレモンを載せれば出来上がり。

 爽やかなレモン風味のチーズケーキだ。サクサクのタルト台がアクセントになる。

 これは、カオルが絶賛した。こんなにも美味いデザートは食べたことがないと。

 

 ──余り物だとは口が裂けても、言えないな


 やがて、兵士や騎士だけでなく城中の者にも料理を振る舞うため、サチは息つく暇もなくなった。


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