31話 ドリカム(ユゼフ視点)
言葉が跳ねる。踊る。魂の鼓動だ。死んでいった者たちへ送る鎮魂歌。愛。絆。慈しみ。悲しみ。怒り。
ついさっきまで血を欲していた観客は涙し、詩に聞き入っている。鼻を啜る音の他に雑音はない。
ユゼフの心は別のところにあった。
ラセルタはサチをうまいこと逃がしただろうか? アスターの席は試合場を挟んで向かいにある。さきほどまで、アスターの従者のダーラは外していた。ダーラと接触できたなら、監禁されているサチを見つけているはずだ。亜人であるダーラには地磁感応がある。地下の空洞や隠し通路を見つけ出すことができるのだ。
──あとはもう、運に任せるしか
サチに暴れてもらう。しがらみに囚われているユゼフと違い、サチは自由だ。それにユゼフより賢い。
ユゼフはふざけた茶番劇をさっさと終わらせたかった。こんなことで、黒幕が出てくるとは思えない。お祭り騒ぎに乗じた質の悪いジョーク。憂さ晴らしも兼ねている。敵の正体がわからない不安感からくる心労を解消したいだけだ。
──卑怯だろうか? 自分の手をくださずに、誰かがそうしてくれるよう仕向ける。親友まで利用して
ユゼフは心のなかで自嘲した。隣に座るシーマはいつも通り仮面の薄笑いだ。詩人の朗詠を聞いて、なにを思っているのやら……。
闘技場の中心で詩を聞くティムはご機嫌だ。手拍子に合わせて、指を動かしている。
──哀れな狂戦士よ。戦いは終わりだ
アマルの歌声が鼓膜をノックする。鼓動にリズムが共鳴する。エンディングには、おあつらえむきだ。アマルは観客の心に問いかける。
「朝、起きて気づいた。いつもと同じ。生きていく価値とは?」
神は罠を仕掛けき
物を崇むなと縛りつつ
われらに兵を与へたり
かたみに殺し合ふを見たり
君と我とは同じなり
天魔にぐしゆかせはせず
今こそ立ち上がらめ
はらからよ、思へり
されど、いまだ足らぬなり
なほ歩み寄れ
うつろひにける世に流されて
いや、変はるぞ
それこそ、むべなり──
ドッと湧いた歓声が終末の高揚感を膨らませる。詩の朗詠が終わった。ユゼフは焦り始める。
──ラセルタ、まだか
ティムに対峙するアスターは、ギラギラした殺気を立ち上らせた。長い髭に結んだ青リボンが揺れる。分厚い胸板、巨岩のごとき肉体をアスターは燃えたぎらせていた。野獣の目はティムを完全にロックオンする。
ティムは……不敵に笑っている。アホだ。
「こら! アホのティモールよ。なぜ、兜をかぶらぬのだ?」
アスターが突っ込まなくていいことに触れてしまった。詩の余韻に浸る場内では、声がよく響く。
「アスター様、光栄です! こんなふうに対戦させていただけるなんて! ずっと憧れてたんすよ? ここに立っているだけで、もう胸がいっぱいで……」
「は!?」
「千の軍勢をたった数人で蹴散らし、カワウの王子の首を討ち取った……その時、俺はまだ少年でしたが、おとぎ話のような英雄の出現に涙しました。あなたのようになりたくて騎士団に入ったのです。ずっと、ずっと目標でした。アスター様……」
言うなり、ティムはひざまずいた。アスターは困惑している。観客席から嘲笑が聞こえてきて、ユゼフは顔を覆いたくなった。
「アスター様、我が君の御前で憧れのあなたと剣を交えるのが夢でした。今、感極まっております!」
「……トサカ頭よ、私は今、言葉を失っている」
「光栄でございます」
「ちがう! ちがうのだ! 人の話を聞け! 阿呆めが!」
「……なんでしょう?」
「兜だ! なにゆえ、貴様は兜を被ろうとしないのだ?」
アスターはズカズカと歩み寄り、手に抱えた兜を指した。
「ああ、これっすか? 頭のここに輪廻って彫ってありますでしょう?」
ティムは顔を上げると、右側の頭部に彫られた古代語を指した。
「これは俺の存在理由なんです。死んでもまた蘇り……」
「んなこたぁ、どうでもいい!!」
アスターは怒鳴った。ティムは黙っても萎縮はしない。この、人を食ったような態度がアスターからすると、いっそうムカつくのだろう。
「あのな、その変な髪型と刺青がよほど大切なのかもしれんが、試合にはルールというものがある。刃引きしてあるとはいえ、剣を交えるのだ。誤れば死ぬ場合だってある」
「はぁ」
「おまえが兜をかぶらなければ、私もかぶらない。おまえにだけリスクを負わせるわけには、いかないからだ。フェアでない戦いは騎士の名を汚す。貴様は格上の私になにも言わず、自分の流儀に合わせろと言うのか?」
「……申しわけございません。そこまで気が回りませんでした」
今まで、兜のことをティムに指摘したのは審判だけだった。それで決勝まで来てしまったのだから、驚きを通り越して呆れかえる。
「さすがアスター様!! まさに騎士の鑑!! ほんと、カッケェ!!」
ティムは反省もせず、アスターをべた褒めした。これは火に油を注いだ。
アスターはティムの腕をむんずとつかみ、立ち上がらせた。恫喝するかと思いきや……ユゼフの視力はどんな細かいことも見逃さなかった。
──あれ? 今?
一瞬、アスターがティムの耳に口を寄せて、なにか囁いたように見えた。ティムはアスターの髭面を凝視している。
「あっ、あの、アスター様?」
アスターは微かにうなずいた。
──ティムめ、なにか言われたのだな? ダメだ。受けてはならない
不穏な空気をユゼフは肌で感じた。嵐のまえの静けさだ。観客は人気者のアスターと熱烈な支持者との交流を温かく見守っている。彼は健闘するだろうが、アスターには到底及ばないだろうと。誰もがアスターの圧倒的勝利を期待していた。目前には、筋書き通りの安心できる結末が横たわっている。
ところが、ティムは大きく息を吸い込んで宣言した。
「我が名はティモール・ムストロ!! 我が君の御前にて、この世で一番尊敬するアスター様に真剣勝負を申し込む!!」
ユゼフの悲痛な願いはあえなく散った。
詩、現代語訳↓
神は罠を仕掛けた
「偶像を崇めるな」と言いながら
武器を与え
人が人を殺し合うのを見ていた
君も 私も 同じ人間
悪魔に魂を渡してはならない
今こそ立ち上がろう
兄弟たちよ 思い出してほしい
それでもまだ足りない
もっと近づこう
移ろいゆく世に流されながら
いや、変わっていくのだ
それが きっと正しい──




