30話 守人ティモール(ユゼフ視点)
アマルがトーナメントの再開を告げる。整った低音が冴えた青空を震わせた時、ヴィナス王女と太后が戻ってきた。成熟した女性特有の甘い香りがユゼフの所まで漂ってくる。
ヴィナスの頬はほんのり赤らんでいた。その可憐な美しさは、キリリとしたディアナとはまた違うものだ。姉妹とは言っても、腹違いのせいかあまり似ていない。
「申しわけありません、陛下。また、少し気持ち悪くなってしまって……」
「気にしなくていい。女には刺激が強いからな。無理して見る必要はない。腹の子のほうが大事なんだから」
いじらしいヴィナスをシーマはいたわった。さり気なく手を伸ばして彼女の腹に触れようとする。ヴィナスの腹は膨らみ始めていた。腹だけでなく全体的に肉付きがよくなっている。特に胸はゆったりとした妊婦用ドレスでも、その豊満さがうかがえるほどであった。
「いけません、陛下」
ユゼフは低い声を出した。人の口に戸は立てられぬとは、よく言ったもので、シーマとヴィナスの関係は城下にまで知れ渡っていた。それでも、このような公の場で睦まじい姿を披露するのは非常識過ぎる。行方知れずとはいえ、ディアナはまだ王妃だ。
「人目があります」
「わかってるよ。口うるさい小舅め」
憎まれ口を叩いてシーマは手を引っ込めた。瞳はヴィナスへ向けたままだ。いつもの、何を考えているかわからない目つきではない。愛情深いまなざしだ。
ユゼフは目を細めるだけに留めた。シーマの相手がディアナではないことに、甘い愉悦を感じている。
「戦禍を生き延びたカワウの戦士。ロングソードの魔術師! 伸びる長剣! バジル・テナール!!」
次の剣士を仰々しく紹介するアマルの声が鼓膜を弾いた。
──バジル・テナール……聞いたこともない名だ。剣士の間では有名なのだろうか
ユゼフが知らないだけで有名人なのかもしれない。しかしながら、一撃で倒されそうな脇役臭をプンプンさせていた。小物というのは、名前だけでもわかってしまうものである。
胴体だけ甲冑をまとった毛深い男が登場した。肘までの手甲と膝当、脛当は着けているが、上腕と大腿部は剥き出し。分厚い筋肉を見せつけるような装いだ。奇抜なファッションで自己主張するタイプは見掛け倒しの場合が多い。
ユゼフは冷笑した。が、笑いの型のまま、顔の筋肉は固まった。
「対するは主国騎士団の異端児! 双剣の使い手、ティモール・ムストロ!!」
背後でラセルタがクスリと笑っている。ティモールは交差させた双剣を翳し、大股で闘技場の中心へ歩いていった。トサカ頭はいつにも増して尖っている。
「なんだ、あれは?」
「変わった方ですわね……」
横でシーマとヴィナスが話しているのを聞いて、ユゼフは顔から火が出そうになった。自分のことを言われているようで恥ずかしい。
観客も突然珍妙な男が出てきたので白けている。しかも、空気を読まないティモールは大声でなにやら言い始めた。
「我が名はティモール・ムストロ!! アニュラスを統べる真の王のため、全身全霊をこの戦いに捧げる!」
ラセルタがプッと吹き出した。ユゼフの背中に呼気が当たる。
「こら! ラセルタ!」
叱ってから、怒りがふつふつと沸いてきた。
──まったく、なにを考えてるんだ、あいつは?
意気込みを述べた後、ティモールはユゼフの方を向いてひざまずいた。しばらく、その姿勢のままうなだれる。
進行役のアマルも困っているようだ。口を台形にして、ティモールの顔をのぞき込んでいる。
「むぐ……むぐぐぐ……」
苦しそうな声が聞こえ、ユゼフが振り向くと、ラセルタがうつむいて肩を震わせていた。必死に笑いを堪えている。
「ん、もういいかな? 満足した? じゃ、立とうか。試合がもう始まるからね?」
アマルに促され、ようやく立ち上がったティモールと目が合ったので、ユゼフは思いっきりにらんでやった。ティムはヘラヘラ笑っているだけだ。怒りが届いたかはわからなかった。
隣からは、忌ま忌ましげにつぶやく声が聞こえた。
「無礼な男だ」
「どうされました?」
「こちらを向いていても、俺とは目も合わせなかった」
「試合場から二階の桟敷席まではだいぶ距離があります。目が合わぬのは当然ですよ」
ユゼフの答えにシーマは無言で返した。
空を裂く二剣はもはや腕の一部。離れた位置からだと、長大な腕を動かしているように見える。
人の心配をよそにティムは嬉々と双剣を振り続けた。舞っているかのごとく軽い。
一戦目はあっという間に終了し、勝利するティムに観客は唖然とした。
二戦目、ブーイングの嵐。
三戦目、騒然とする。
四戦目、ちらほらとティムを応援する声が……
そして五戦目、闘技場は水を打ったように静まり返った。
とうとう、ここまでティムは勝ち抜いてしまった。五戦目、ブロック最終戦である。
対するはステファーヌ・クリムト。騎士団の副団長だ。
双剣の半倍はあるロングソードを振り回す。一撃でも打ち込まれたら、痩せ型のティムは吹き飛ばされそうだ。
身長差はないが、骨格はクリムトのほうが大きい。分厚い筋肉が余すところなく太い骨を覆っている。甲冑の上から刃引きした剣を叩きつけたところで、ビクともしないだろう。倒れなくても、ヒットを三度当てられれば勝利となるが……
怖いのは打ち込んだ直後のカウンターである。ダメージを受けにくいクリムトは、反射的に斬りかかってくる可能性があった。
先の戦争からの長い付き合いで、クリムトとアスターは親しい仲である。というか、クリムトはアスターに盲従している。間違いなくティムを殺そうとするだろう。
ユゼフはこのクリムトという男が苦手だった。
アスターに対する憧れが人一倍強く、強者ゆえの傲慢さがある。それはユゼフの父エステル・ヴァルタンや、英雄である兄たちを思い出させた。彼らにとっては、強さだけが正義で弱さは悪なのだ。
クリムトは試合直前、ゴミ虫でも見るような冷ややかな目でティムをにらんだ。アスターの邪魔者は、クリムトにとっても排除すべき害虫なのだろう。
さらに、トサカ頭を意識してか、ティムは兜をかぶらなかった。審判がいくら促しても、首を縦に振ろうとはしなかったのだ。
五戦目というのに珍妙なヘアスタイルは乱れていなかった。夜の国の暁城で出会ったエデン人、忠兵衛のちょんまげ頭を彷彿とさせる。
忠兵衛も調練中、髪を乱れさせなかった。同様にティムにも強いこだわりがあるのかもしれない。
それにしても、暗殺されるかもしれないのに兜をかぶらないとは愚かである。試合中、ユゼフは生きた心地がしなかった。幾度となく肝を冷やし、怒るエネルギーは削り取られていった。
平べったい双剣が動くたび、低い擦過音が発生する。言葉通り空を斬る音が観客席にまで聞こえてきた。
擦過音のあと、金属の触れ合う高音が短く鳴る。不快な音だ。擦過音、金属音、擦過音、金属音、擦過音、金属音……その間隔は短くなり、最後、金属音だけになった。
火花が飛び散る。主に捧げる舞のつもりか。
「踊るカマキリ……」
後ろからラセルタの独り言が聞こえ、ユゼフは肘打ちを食らわした。長くそばにいるラセルタと同じことを思ってしまうのは、よくあることだ。
シーマが咳払いした。
「失礼いたしました」
ユゼフがラセルタの代わりに謝る。王の御前でふざけるのは良くない。
ドオッと歓声が湧き起こった。視線を戻すと、クリムトが仰向けに倒れている。
得意気に双剣を振り上げ、ティムがこちらに顔を向けた。
──ごめん。見てなかった
クリムトはカウンター攻撃をするどころか、一撃で地べたに転がったのだと思われる。ティムが死なずに済んだので、ユゼフはため息をもらしそうになった。
──いやいやいや……勝ち残ったってことは……
「なんということでしょう。準決勝まで勝ち残った三名とも主国の騎士であります!!」
考えるまえに、試合場からアマルの興奮した声が聞こえてきた。と、使いの少年がアマルに耳打ちし、足早に去っていく。
「αブロック、ジェフリー・バンディ……今、連絡を受けたところによると、ジェフリー・バンディは棄権するそうです」
──そうか。ジェフリーが棄権を……感づいたのだな? 昔から頭は良かった。爆発騒ぎでピンときたのかもしれない。そのあとで、ジャメルがわざと負けたしな。隣から大きな舌打ちが聞こえてきそうだ……なんてことを考えてる場合じゃない!
「今、勝者となったγブロック、ティモール・ムストロ……」
アマルは続けた。
「そして、我らが英雄、主国騎士団長、ダリアン=レオニール=アスター=フォン=ティベリア閣下!! 異名、断天剣聖!! 決勝戦はこの二人の一騎打ちとなります!!」
胸を張るティムを、ユゼフは目を点にして眺めるしかなかった。アスターはティムを殺すつもりだ。カオルの時のようにはいかぬだろう。
「ユゼフ様」
声をかけたのはラセルタだ。なにを言わんとしているかは、わかっていた。
「ユゼフ様、試合の区切りがついたのでジャメルの所へ行ってもいいでしょうか? 本当は試合前に励ましたかったのですが、負けてしまって……たぶん、落ち込んでいると思うのです」
「構わない。行って労え」
ラセルタはあどけない笑顔を見せ、一礼してテントを離れた。
シーマが眉根を寄せ尋ねる。
「どこへ行かせたのだ?」
「先ほどの試合で負けたジャメルのもとです。私の従者の友達でして……」
すらすら言葉が出る。嘘のほうがユゼフはどもらない。




