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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(後編)五章 ハッピーエンディング
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76話 母と妹

 ユゼフの胸には、言葉にできぬ思いが渦巻いていた。どのように答えればよかったのか、義母と今後どのように関わっていけばいいのか……わからない。


 修道院を出て、市井(しせい)へと馬を走らせる。

 義母が本心を吐露したせいで、罪悪感に囚われてしまう。今まで通り、あの人は厳格なままでよかったのだ。そうすれば気分は落ち込まず、ディアナのことや自分の前世のことなど考えずに済んだのに……

 しかし、どのみち残酷な現実を突きつけられることになった。


 実家は三ヶ月半前と同じだった。

 屋根の煉瓦は剥げたままだったし、土壁から藁がぽよぽよ出ているのも変わらない。雨漏りはまだ直していないと思われた。

 ふたたび曇り始めた空をユゼフは見上げる。雨が頬を打った。砂粒みたいな雨は、粗末な土壁にたくさんの染みを残した。



 ユゼフの実母、ルツは二ヶ月前に亡くなっていた。

 肺炎をこじらせての病死だった。病弱で寝ていることが多かった母……

 思い返せば、いつ死んでもおかしくなかった。せめて、そばに付き添ってやることができたら……

 継父は母が亡くなった翌日、酔っ払って川に身を投げたという。

 家にいたのは長女のナオミだけだった。数日前、二番目の妹のオルパは嫁に行ってしまった。


 ユゼフの妹たちは二人とも器量良しだ。特に長女のナオミは母似で人目を引く。豊かな黒髪と瞳の漆黒に、血のつながったユゼフでも見入ってしまうほどだった。だが今、美々しい目は冷ややかにユゼフを捉え、花弁の唇は淡々と動いていた。

 

 母が亡くなって、しばらくして内戦は終結した。その直後に王城から使いが来て、縁談の話を持ってきたそうだ。嫁ぎ先は、貧しいこの家からは想像もつかないほど大きな商家。同様にナオミも一週間後、嫁ぐ予定だという。


 ──シーマだな


 ユゼフはすぐにピンときた。勝手なことをしてくれた。腹が立ったが、表には出さないようにした。

 ナオミとの再会を純粋に喜びたかったのである。ところが……


「お兄ちゃん、オルパの所へ会いに行ったりしないでね。私の嫁ぎ先へもよ? 私たちに兄はいないことになっているから」


 ナオミは冷淡だった。押し売りと相対する時のような顔をしている。大好きな兄が来たと、はしゃぐ無邪気な妹の面影はどこかへ行ってしまった。たったの数ヶ月でここまで変わるものなのか……。


「私たち、これからすべて忘れて新しい人生を歩みたいの。お兄ちゃんだってそうでしょ? 会えば、お互い困ることになるわ。会うのはこれきりにしましょう」

「なんで……」

「お母さんから手紙を預かってる。確認したら、さっさと帰って」


 ユゼフの言葉を遮り、ナオミは封蝋の押された巻き紙を押しつけるように渡した。


 なぜ、妹がこんなにもよそよそしいのか、ユゼフにはわからなかった。

 末のオルパをユゼフが背負い、一緒に荷車を引いて魚を売っていた。お兄ちゃん、お兄ちゃんといつでも慕ってきた妹……ユゼフがこの家を出て行く時には、しがみついて離れなかった妹が……今はまるで他人のようだ。

 ユゼフは納得できぬまま、手紙の封を開けた。




※※※※※※※


 愛するユゼフヘ


 あなたが王女様に付き添って、カワウへ行ってしまった翌日にこの手紙を書いています。

 というのも、もう私は長くないから。最後に会った時、黙っていてごめんなさいね。


 でも、これが別れだと、あなたを悲しませたくなかった。最後くらいは笑顔でお別れしたかったの。


 旅先でシーバートから聞いたかしら? あなたの本当の正体を。三百年間、私たち一族は預言を口承で密かに伝えながら、ずっと命をつないできました。


 古い歴史書はあなたに渡すよう、私がシーバートに託した物です。

 旧歴三四五四年、王立歴三○三年に王が長き眠りから覚める……私たちがずっと伝えてきた預言の内容です。


 そう、それはあなたのこと。ユゼフ、あなたの本当の名前はアニュラスただ一人の王、エゼキエル。私たちの希望なのです。

 まだ、前世の記憶が蘇ってないから、すぐには信じられないでしょうけど。


 国に帰ってきたらお逃げなさい。あなたは宦官にはならない。私たちのことは気にしなくていい。あなたを守るため、生まれたのだから。

 シーバートは転生したあなたの、王の忠臣です。あともう一人、ティモールがいます。二人とも、あなたの力になってくれるでしょう。

 もう、あなたは一人ではないわ。(しもべ)たちと共に世界を取り戻して。


 あなたの母、そして忠実なる僕ルツより。




※※※※※※※


 手紙を読み終えると、家の外に気配を感じた。

 

「さあ、早く出て行ってよ! お母さんが死ぬ時に、外国へ行っていた人なんか兄ではないわ。そして、もう二度と顔を見せないで!」


 ナオミがせき立てる。外の気配も気になるが、ユゼフはなんとかナオミと和解したかった。


「ま、ま、待てよ。おまえが怒るのはわかる。でも……」

「出て行って!」


 例によって、ユゼフは言葉が出なくなる。大人になったからといって、どもりは完全には治らないのだ。


「もうちがうのよ、私たち。お兄ちゃんは貴族様。私たちは平民。剣を差して上等な服を着て……お兄ちゃんのような人が家に来れば、あらぬ噂を立てられるわ。迷惑だから、私たちに会おうとするのはやめて」

「わかった。会いに来るときの服装は気をつけることにする……」

「そういう問題じゃない」


 三十分くらいユゼフとナオミは押し問答を繰り返した。

 しだいにナオミが泣きそうな顔になってきたので、ユゼフは何も言えなくなってしまった。


「……出て行って」


 目を潤ませ、声を絞り出すナオミを前にユゼフは背を向けるしかなかった。

 こんな別れ方はしたくなかった。


「また、会いに来るから……」

「会いに来ないで」


 最後にそれだけ言葉を交わし、ユゼフは粗末な土壁で囲われた家をあとにした。

 

 


 家を出て、少し歩いてから立ち止まる。雨は止んでいる。

 ユゼフは地面に視線を落として、彼を待った。砂状の土に落ちた雨は、点々と黒い跡を残している。

 

 姿を現したのはトサカ頭、ティモール・ムストロだった。

 ティモールは現れると、即座にユゼフの足下に(ひざまず)いた。


 今となっては、ユゼフは驚かなかった。壁の向こうで、未来から来たティモールとは会っている。ユゼフが動じなかったので、


「シーバートから聞いているのですね?」


 と、ティモールは安堵したようだった。


「ティモール……」

「ティムでいいです。前世でもそう呼ばれてました」

「……ティム、おまえに頼みがある」

「なんなりとお申し付けください」


 ラセルタとは違う。眼光の鋭さは数多(あまた)の修羅を知っている。何人も斬っている盗賊や傭兵以上に凄みがある。ユゼフの比にならないほど、戦歴を重ねているのだろう。自分より、経験も実力もある男を見下ろし、ユゼフの思考は停止した。

 言い淀んでいたところ、ティモールは勝手に語りだした。


「じつは、幼いころから王を守るのがおまえの宿命なのだと、厳しく躾けられまして……結果、親に反抗し、家出しておりました。そのせいで、おそばにお仕えするのが遅くなってしまったのです。前世の記憶が少しずつ蘇ってきたのは、ごく最近のことなんすよね」


 ただならぬオーラに気圧(けお)されていたというのに、当の本人の口調はあっけらかんとしていた。町の不良がしゃべっているのと変わらない。拍子抜けしたユゼフは、尖ったとさか頭に注目した。


「それで、そんな頭なの?」

「……う。えぇ、まぁ」

「家出してどこにいた?」

「騎士団の偵察部隊、旧霧蛇(むじゃ)隊に」

「それは都合がいい」


 霧蛇隊といえば、シーマの間者、幼い王子たちを皆殺しにしたガラク・サーシズと同じ隊だ。戦後、解体され、偵察部隊に吸収されたと思われる。


「では、騎士団にいるカオル・ヴァレリアン、ウィレム・ゲイン、ジェフリー・バンディに近づき、探れ」


 ティモールは返事をしなかった。非難がましい目で、ユゼフを見てくる。


「返事は?」

「……あの、俺は陛下のおそばでお護りするために、出てきたんですが……」

「そばには、ラセルタがいるから大丈夫だ」

「え!? あのガキですか? 役に立たないでしょうがよ!?」


 夜明けの城で、ラセルタと歩いていたのをどこからか見ていたのか。ティモールは荒々しい口調で反発してきた。


「つべこべ言うな! これはティム、おまえにしかできない大事な役目だ。ひいては、俺の命を守ることにもつながる」


 不満そうなティモールを、ユゼフは見据える。


「当面は俺とのつながりを誰にも知られないようにしろ。おまえは敵側についてもらう」


 家族を失ったユゼフには、かつてのような迷いがなかった。あるのは強い思いと固い決意だけだ。

 ティモールはしぶしぶうなずいた。


「かしこまりました。陛下のお望み通りに……」


 王の威厳をなんとか示すことができた。ユゼフはため息を我慢し、胸を反らした。

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