71話 誰しも王の前では跪く
玉座の前まで来ると、四人の大臣たちは左右に分かれた。通路を挟んで向かい合い跪く。ユゼフたちは玉座壇の下からシーマを見上げる形になった。
先頭のユゼフ、アスターが跪き、後ろのダーラ、ラセルタ、エリザ、レーベ、サチ、クリープがそれに倣った。カオルたちの気配は背後の貴族たちに混ざってしまい、どこにいるかわからない。
ハンスだけが立ったまま微笑み、シーマと向かい合っていた。
「アオバズクの王よ。よく来てくれた!」
シーマの言葉に諸侯たちはどよめいた。アオバズクの王が客人として王城へ迎え入れられるのは前代未聞である。
そもそも亜人を主国内、内陸部で見かけること自体少ない。王の居城に入るなど、もってのほかだ。諸侯のなかには嫌悪感を露骨に出し、怒号を浴びせる者もいた。
「アオバズクの王はここにいるユゼフ・ヴァルタンが時間の壁を越え、帰国するための手助けをしてくれた。ユゼフ・ヴァルタンは諸君も存じているとおり、我が妃を謀反人から救った英雄である。ゆえにユゼフを助けたアオバズクの王は亜人であろうとも、城内に入ることを許した」
諸侯たちは、おとなしくなった。
俄かにシーマは立ち上がり、ハンスのほうへ歩いていった。そして、いきなりハンスの手を両手で握り締めたのである。
「アオバズクの王よ。ユゼフを連れてきてくれたこと、心より感謝する」
シーマが台詞を言い終わるまえにハンスは脱力し、膝を床についた。
──力を使ったのだな
同じ光景をユゼフは以前にも見たことがあった。
学生のころ、欠席したサチをシーマとイアンのグループが冷やかしに行こうとした時のことだ。
ユゼフの道案内が間違っていたため、貧民窟へ迷い込み暴漢どもに襲われた。その時、シーマに触れられただけで、魂を抜かれたかのごとく暴漢どもは跪いたのである。
──ちがいます。心を支配されたからではありません。触れられたことにより、互いの内面を窺い知ることができました。ボクを遥かに上回る強い力を感じたから跪いたのです
ユゼフの心にハンスの声が響く。
「シーマ様、あなたこそ真の王です。アオバズクの民は皆、あなたに従います……」
ハンスはシーマの手を握り返し、涙を流した。その光景は諸侯たちをふたたび、ざわつかせた。
「静かに! お静かに!」
大臣の一人が怒鳴る。
喧騒のなか、シーマはハンスから離れ、隣にいるユゼフの前に来た。
「顔を上げよ」
ユゼフはゆっくり顔を上げた。
シーマと対面するのは三ヶ月半ぶりくらいだろうか。頭上に輝く王冠よりシーマの顔色のほうが気になった。久しぶりに見るシーマは少々痩せたように見える。黒髪に混ざる銀髪も増えていた。
ユゼフがそうだったように、シーマにとってもこの三カ月半は大変だったのだろう。いや、故郷の村を焼かれ、無謀な計画を実行しようと心に決めてから、ずっと苦しんできたに違いない。
「ユゼフ、御苦労だった。よくぞ我が妃を救い、壁の向こうに送り届けてくれた。そして、謀反人を討ち取ってくれたことに感謝する。貴公がいなければ、国内の内戦は収拾つかなかった。本当に心から礼を言う」
シーマが口を開くと、広間はまた水を打ったように静まり返った。
だが、ここまで大々的に謀反人を倒したと強調するとは……。これでアスターの言うとおり、ユゼフはあとに引けなくなった。
「勿体なきお言葉、痛み入ります。私は自分のできることをしたまでです。陛下のご功績に比べれば、たいしたことではございません」
自分でも驚くぐらい他人行儀な言葉が口をついて出る。その時初めてユゼフは、玉座の隣の椅子が空であることに気づいた。
シーマは敏感にユゼフの視線を感じ取り、背後にチラリと目を向けた。
「ディアナか? 今日は体調が優れず部屋で休んでいる。本来であれば、恩人であるおまえに一声かけるべきだろうが……」
「いえ。ご無事で帰国されたことに心から安堵しております」
むしろ、ディアナがいないことにユゼフはホッとしている。王妃となった彼女を前にして、動揺しないでいられる自信がなかった。
つぎにシーマが立ったのは、アスターの前だった。
「ダリアン・アスター、ご高名はかねてから存じている。騎士団のグラニエからの文で貴公の存在を知ったのが二日前のことなので、少々混乱はしているが……ディアナの救助と謀反人の討伐にご尽力いただいたと聞いている」
アスターの名を聞いて、周囲が騒がしくなった。
出番を与えられ嬉々としているアスターが目の端に見え、ユゼフは気が気ではない。例によってこういう時は嫌な予感しかしない。
「陛下……お会いできて至極光栄にございます」
アスターの低く太い声が轟くと、おしゃべりは聞こえなくなった。
「妃殿下の救助と謀反人の討伐とは大げさな……私のしたことと言えば、ユゼフの旅に同行したことと剣の指導や助言をしたくらいでして……」
「いや、貴公の存在が大きかったのはユゼフから聞かなくてもわかる。深謝する」
「お言葉、光栄ですが、ユゼフの力になったのは私だけではありませぬ。私の背後にいる者たち全員でございます」
アスターは立ち上がり、振り返った。それから、手で示しながら一人一人の名前を言い始めたのである。
「ラセルタ・ディアンサス、ダーラ・オーテンシア、レーベ・イルハム、エリザベート・ライラス、名無しのクリープ、そして、サチ・ジーンニア……」
サチの名前を言ったところでシーマの目がギラリと光ったが、アスターは動じず続けた。
「ここにいない者たちもいます。壁の向こうで陛下の沙汰を心待ちにしている者たち……それに、この世を去った者たちもおります」
「よくわかった。その者たちの話はおいおい聞くとしよう」
シーマは話を終わらせ、アスターから離れた。
ラセルタ、ダーラの横を通り過ぎ、エリザ、レーベに一瞥もくれずシーマが一直線に向かったのは……サチ・ジーンニアの前だった。
ユゼフの全身に緊張が走った。シーマが腰の剣を抜いたからである。
喫驚と恐怖の入り混じった声が上がるなか、シーマはサチの肩に刃を載せた。
「陛下!」
ユゼフは堪えきれずに立ち上がった。アスターがユゼフを制止する。
『大丈夫だ。殺気は感じられぬ』
シーマは広間の隅々まで響き渡るよう、声を張り上げた。
「この者の名はサチ・ジーンニアという。謀反人イアン・ローズに仕えていた」
ざわめきがさらに大きくなる。シーマはそれが自然に収まるまで待った。
サチは澄んだ瞳でまっすぐに視線を送り返している。怖れはまったく感じられない。
ただならぬ緊張感が場を支配し、静かになるとシーマは口を開いた。
「ユゼフを助けたことには礼を言おう。貴公が味方になったことの証明として、今ここでこのシーマに臣従の誓いをたてよ」
サチはしばらく黙っていた。嫌な汗がユゼフの背中を伝っていく。もし、サチが拒否すれば確実に殺されるだろう。しかし、サチの性格から素直に従うかわからなかった。
張り詰めた空気。咳払いさえも白い目で見られる。
誰もが黙って、サチ・ジーンニアに注目していた。
そんなに長い時間ではなかったかもしれない。その間、シーマもサチもお互いピクリとも動かなかった。
突如として沈黙を破ったのはサチのほうだった。
「聖霊の御名において、私サチ・ジーンニアは……」
背中しか見えなくても、ユゼフにはシーマがほくそ笑むのがわかった。
「闇に覆われし時も光の満ちる時も、国王陛下にお仕えしこの命を捧げることを誓います」
サチはしっかりとした口調で誓いの言葉を述べた。シーマは満足そうにうなずく。
「聖霊の御名において、サチ・ジーンニアを我が家臣として認めよう」
剣をしまい、サチを立ち上がらせ抱擁した。
パチパチと誰かが手を叩き、音はさざ波のように広がる。いつしか、王の間は拍手の渦に呑まれていた。
「それにしても、またおまえに会えるとは思わなかった。最後に会った時のことを覚えているか? サチ・ジーンニア?」
拍手が疎らになったところでシーマは声のトーンを落とし、サチに語りかけた。抱擁から解放しても、まだ手はサチの肩をつかんでいる。その手が離れるのを見計らい、サチは跪いた。
「はい、陛下。この決着の先には、どちらかが必ず死んでいると陛下はおっしゃいました」
サチは落ち着いた声で答える。二人の声はかろうじて、ユゼフのところまで届いた。
シーマはウンウンとうなずき、言葉を返す。
「そうだ。そして、おまえは最後まで絶対に跪こうとしなかった……だが、今こうして跪いている」
「誰しも王には跪く……そう、おっしゃったのは陛下です……」
勝ち誇るシーマに対し、サチは極めて冷静に返した。




