70話 シーちゃん、帰って来たよ
夜明けの城は海と陸の境目にあった。背後にはアニュラスの穴、内海が広がる。
三百年前、ガーデンブルグ王家の始祖であるアフロディーテ女王が、アニュラス全土を見渡せるようにと南部の中心にこの城を建てた。
外側を囲う城壁は石を積んで作られており、そびえる塔の多くは赤茶色の焼煉瓦を使っている。朝日が昇る時、城が美しく染まることから夜明けの城と呼ばれるようになったという。あるいは未開の地をこれから切り拓いていく、始まりの意味が込められているという説もある。
馬車が王都へ入ったとたん、外から盛大な拍手と歓声が聞こえてきた。
ユゼフが驚いて馬車から顔を出すと、沿道に集まった民衆がこちらを見ている。ユゼフの顔を見るなり、歓声はよりいっそう大きくなった。
「シーマ国王陛下、万歳! ユゼフ・ヴァルタン、万歳!」
人々は歓呼しながらユゼフに手を伸ばす。ユゼフは民衆の熱気に圧倒されて顔を引っ込めた。
「あらかじめ王城から触れが出回り、民衆はお出迎えに来たってわけだ」
状況を説明するカオルから、さきほどまでの愛想良さは感じられない。叱られた子犬の顔で、カオルは解説した。
「謀反人イアン・ローズを倒し、ディアナ妃殿下を救った英雄として歓迎されている」
「本当のところは、わからないが……」
と、ハンスがカオルの心を読んだ。ギョッとするカオルにユゼフは苦笑した。
──なるほど。そういうことになっているのか……
どうやら先に帰国したディアナの話から、ユゼフがイアンを倒しディアナを救ったことになっているらしい。事実はアスターがイアンを倒し、ディアナを助け出したのはバルバソフ、エリザ、気球を操縦した盗賊のホスローなのだが……
御者台に乗っていたラセルタが仕切り窓を開けて、話しかけてきた。
「ユゼフ様、見てください! 女の子たちが花を投げていますよ! 聞こえますか? 拍手の音が、歓声が!……みんな歓迎してくれてる、オレたちを!」
少年は自由だ。呼んでもないのに、キャビンにいるユゼフに話しかけるとは不作法極まりなかった。おいおい、礼儀作法を学ばせる必要があるだろう。
ラセルタは観衆から受け取った花をユゼフに渡した。
「こういう歓迎はお嫌いですか?」
ハンスのオレンジ色の瞳は皮肉を含んでいる。
心が読めるのだから聞かなくてもわかるだろうに……。自分の手柄ではないことで歓迎されて、喜べるわけがないだろうが──ユゼフは視線でハンスに答えた。
「ディアナ王妃、万歳!」
シーマとユゼフへ対する称賛に交じって、わずかにディアナへ対する称賛も聞こえる。それはよく耳を澄まさなければ、聞き分けられないくらいの小さな叫びだった。
ユゼフが国を離れて、三ヶ月程度の間に町の様相は大きく変わっていた。
馬車窓からは三ヶ月前に見られなかった壊れた建物がいくつも見える。オートマトンにより破壊されたのだろう。短い間ながらも内戦の爪痕は確実に残っていた。
内戦を起こしたイアン・ローズは悪で、それを倒したシーマは正義だという勧善懲悪の物語はすんなり受け入れられたに違いない。町中に放った工作員が吹聴すれば、効果てきめんだ。
夜明けの城に着くまでが短く感じられた。城門を入ってしばらく庭園を進み、主殿の近くでユゼフたちは馬車を降ろされた。
早速、現れたのは国の大臣たちだ。主国の政治は国王を中心に各地の諸侯から選出された議員からなる王議会、宰相、それに法務大臣、国防大臣、財務大臣、外務大臣、四人の大臣が担っている。
その四人の大臣がうやうやしくユゼフにお辞儀をした。
三ヶ月前までは顔すら知らなかった「偉い人たち」を前にしても、緊張はしなかった。国外で過ごした経験がユゼフを図太くしている。
「ユゼフ・ヴァルタン殿、ダリアン・アスター殿、それとアオバズクの王よ、お待ちしていた……ささ、王の間までご案内いたそう……連れの方々も一緒に……全員連れて来るようにと陛下は下知された」
ユゼフ、アスター、ハンスを先頭にダーラ、ラセルタ、エリザ、レーベ、サチ、クリープと続く。少し離れて、カオルたちもついて来た。
「ユゼフよ、おまえがイアンを倒したことになっているみたいだが……」
アスターが耳打ちしてきた。ユゼフは眉根を寄せる。
「私はそれで構わない。もう、あとには退けぬし、否定すると逆に面倒臭いから、そういうことにしておこう……」
「陛下には本当のことを話す」
ユゼフが突っぱねるように答えると、アスターは含み笑いをした。
城中の使用人がユゼフたちに跪き、頭を垂れる。
幅広い回廊には壁を背に大勢の騎士が立っていた。王の間に繋がる回廊の壁である。両側とも、正装した騎士で埋め尽くされている。騎士たちはユゼフが近付くと、いっせいに跪いた。
「偉い人たち」より、なぜだかこちらのほうが数段緊張する。「偉い人たち」より身近だからなのかもしれない。
主国騎士団といえば戦士の頂点、花形だ。ユゼフは身を強ばらせて、騎士の間を通った。
途中、騎士たちが何やら囁き合っているのが聞こえた。アスターのことを言っているようだ。
──アスター様だ! アスター様がいる!
小さな囁きは、しだいに大きなさざめきへ変わっていった。なかには顔を上げ、目に涙を浮かべる者までいる。
泣きそうな顔をした若い騎士が、
「アスター様、よくぞ戻られました……」
と、声を絞り出した。アスターはその者の前で足を止めた。
「久しぶりだな。クリムト、ジェームス、アルベール、セドリック……」
そこにいた騎士、一人一人に呼びかける。アスターに声を掛けられ、こらえきれず泣き出す者までいた。
しかし、大臣の一人がせき立てるので再会を喜んでいる余裕はなかった。アスターは前を向き、歩みを進めた。
「お帰りなさい! アスター様!」
誰かが叫び、アスターは振り返る。
「おう! 地獄から舞い戻った!」
騎士たちは明るい笑い声を立てた。ユゼフはアスターが魔国で盗賊たちに慕われていたことを思い出した。
──結局、どこにいようが、人を惹きつける何かがあるんだな、この人には
おもしろくない気持ちが湧き起こるのは妬みか、焼きもちか……。
王の間の扉が開かれた時、ユゼフのちっぽけな感情は一気に吹き飛んだ。
玉座への細い通路を残して、広間は各地から来た諸侯で溢れ返っていた。知った顔はほとんどいないが、内海からも来ているのだろう。五百人か、それ以上……
華やかな装いに身を包んだ貴族たちが皆一様に跪いている。既視感を呼び起こし、激しい感情がユゼフを揺さぶった。その感情がいったいなんなのかは、わからない。
胸が一杯になり目頭は熱くなる。のぼせた状態でユゼフは貴族たちの中を歩いていった。厳かできらびやかな場所……まるで、いつも見る夢の世界に戻ってきたかのようだ。
広間の一番奥に玉座は置かれていた。そこには薄く笑みを浮かべるシーマの姿があった。




