21話 襲撃
「文を奪われた鷹がまもなく到着します」
部屋に現れたミリヤの第一声はそれだった。
「文はシーバート様の弟子のレーベが書いたものです……盗賊たちが向かっていると……」
ミリヤはクシャクシャになった便箋を差し出した。ディアナは目を見張り、受け取ろうとはしない。
「どういうことなの?」
「盗賊たちがやって来ます! わたしは一度逃げてから、こっそり尾行していました。彼らに奪われた文を拾ったのです」
ディアナは青ざめて、ユゼフに倒れかかった。まさか、安全だと思っていたこの場所まで襲撃されるとは、思ってもみなかったのだろう。
そこで初めて、ミリヤは不作法に気づいたようだ。ドアを閉め、ひざまずいた。
「ディアナ様、ご無事でよかった……」
そのままディアナの足元に泣き崩れる。
ミリヤは色気もへったくれもない男装姿である。それなのに美しさが際立っていた。鉄製の防具とブーツがいやに似合っている。
「お話ししたいことは山ほどあるのですが、今は時間がありません。ただちに、ここを離れなければ……」
ミリヤは涙を拭って立ち上がった。
時間がない──そのとおりだ。
ユゼフはディアナの肩をつかみ、起き上がらせた。
「気をしっかりとお持ちください。まだ連中は到着していません。ここは私に任せて、ディアナ様はミリヤと共にグリンデルへ向かってください。地下に隠し通路があります。そこから、虫食い穴に行けますので……道は今、お教えします」
上衣の内ポケットに手を差し入れ、メモを取り出す。シーバートから、もらったものだ。
「ミリヤ、よく聞いてくれ。城の地下には拷問部屋があり、隠し扉から地下通路へ出ることができる。隠し扉は部屋の右手奥、鉄の処女の中にある。装置が閉じると、仕込まれた釘に全身を貫かれてしまうので、気をつけてくれ。地下通路に出たら……」
「ごめんなさい。もっとゆっくり説明して」
ユゼフは説明をあきらめ、メモをミリヤに持たせた。
ミリヤの愚鈍な印象は変わらないが、泣き崩れていたのが嘘みたいに凛としている。茶色の瞳は強い光を放っていた。
怖れる様子はまったく見受けられない。宿営地を逃れた時と同じく、勇敢であった。
自ら囮となって身を捧げたミリヤになら、ディアナを任せられるとユゼフは判断した。
「ミリヤ、盗賊たちはあと、どれくらいで着く?」
「十分もかからないはずよ。わたしが城へ入るところ、彼らに見られてるかもしれない」
ディアナがユゼフとミリヤの間に割って入った。
「ねぇ、ミリヤだけでは不安だわ」
甘ったれた声を出すディアナには、現状が見えていないようだ。ユゼフが時間稼ぎをして、彼女には逃げてほしいのに、どう説得するか悩ましいところだった。しかし、思考しようとすると、廊下を走る音が聞こえてきた。
──まさか?? 早い、早すぎる!
不安を煽る足音に連動して、鼓動が速くなる。
今度はノックも何もなかった。
荒々しくドアを開け、現れたのはエリザだった。
「盗賊が攻めてきた! ユゼフ、応戦を頼む!」
一瞬、頭が真っ白になった。が、気を取り直し、ユゼフはディアナに向き直った。
「ディアナ様、援軍の件はナスターシャ女王に直接お話しください」
こんな時でも真っ先に心配するのは、与えられた指示のことだった。
「ユゼフ! 早くしてくれ! もう城壁の真下にいるんだ!」
エリザが足踏みする。
「人数は?」
「百人はいそうだ」
「シーバート様は?」
「城に残されていた弓で応戦されている」
「では、俺がシーバート様と交代する……ディアナ様、シーバート様も一緒であれば、大丈夫ですね?」
ディアナは首を横に振った。
「いや。行きたくない……あなたが一緒でなければ……」
ディアナはユゼフの腕を離そうとしなかった。
気持ちが昂った時、ユゼフは思考するまえに行動する。こういった時の行動というのは、極めて素朴で何の思惑も孕んでいない。
ユゼフは首から下げていた真鍮のお守りをディアナに渡した。
太陽の周りをシャリンバイの葉と花が囲んでいる。ヴァルタン家に行くまえ、実母がくれた大切な物だ。
特別な物だと直感的に理解したのだろう。古びたお守りを受け取ったディアナは、ギュッと両手で握り締めた。
次の瞬間、ユゼフは冷酷にならねばならなかった。
「……とにかく、お逃げください」
くるりと背を向け、エリザと共に部屋の外へ出る。その後は情を捨てた。「行かないで」と泣き叫ぶ声を無視し、回廊を走り、階段を駆け上がる。ユゼフは一度も振り返らなかった。
「早く! こっちだ!」
エリザの案内で東の塔へ向かう。
もう、ユゼフの意識は別方向へ向いていた。盗賊側の装備は? 使えそうな武器は? 陣形は?……
考えているうちに目的地へ到着した。
城の東側、主殿と一体化した小さな塔の屋上に弓を構えたシーバートがいた。外側に突き出た塔は外壁を一望することができる。見下ろすと、盗賊たちの姿が見えた。
石積みの城壁を松明目指して、続々とよじ登ってくる。暗くてもわかる。かなりの人数だ。
「私が代わります。シーバート様はディアナ様とお逃げください」
「そういうわけには、いきませぬ」
ユゼフは強く目で訴えた。
「お願いいたします! ディアナ様を誰かがお守りせねばなりません。ここは私に任せてください! 死ぬつもりはありません」
固い決心が伝わり、シーバートは頭を振りながら降参した。懐から札を数枚出してユゼフに渡す。
「これはフォスという光の魔法を封じた札です。貼ると魔術が発動し、発光するしくみになっています。ランタンの代わりにお使いください」
夜目の利くユゼフには不要な物だが、一応受け取った。
「絶対に死んではいけませんぞ? 命乞いをしてでも!」
心配しつつも、腹を決めたのだろう。老人は重い一言だけ残して去っていった。
残された言葉に感じ入る余裕も、真の意味を考える時間もユゼフにはない。
老人を見送ることなく、エリザと射始めた。狩りで役立ったことはなくとも、弓は得意だ。
気持ち良いくらいよく当たった。上から狙い撃ちするので当てやすい。
剣で初めて人を刺した時の気持ち悪さはなかった。慣れてしまったのか、遠隔攻撃だからなのか。
松明の灯りは崖の下まで届かず、登ってくる盗賊たちの顔形はボヤけている。人間に当てるというよりか、動く的に当てる感覚だ。
狙うのは頭。打ち抜かれた者は大きな口を開けた闇へと吸い込まれていく。
ユゼフは何矢も放った。
恐ろしいのは十割的中し、疲労がほとんどないことだ。緊張が疲労を上回っている。
問題は矢の数だけだった。
「あと三本だ。そっちは?」
「……これで最後だ」
エリザは弓を引き絞りながら、舌打ちした。ユゼフは弓を下ろした。
「南側の胸壁に射石砲があっただろう?」
「あるにはあるけど、使えるかわかんないし、南側から撃って届くのか?」
「やってみないことには、わからない。火薬や石弾は残ってなかったか?」
「知るかっての!」
射石砲はイアンの住むローズ城で遊んでいる時、砲兵に使い方を教えてもらった。実際に飛ばしたこともあるので、難なく操作できるはずだ。ユゼフたちは塔を下り、主殿の屋上へと移動した。




