67話 あの日、ローズ城で何があったか
ローズ川から助け出されたユゼフたちは、駐屯地へ案内されることになった。今日はもう日が沈む。天幕で一晩休んで、明日王都へ向かうことになった。
天幕に着くまでの間、サチとグラニエは仲良く並んで歩いた。気にはなるものの、ユゼフが入り込める余地は皆無だ。先を歩きながら、ユゼフは聞き耳を立てた。こういう時、動物並みの聴力が役立つ。人間モードからバチッと切り替えた。
話の大部分は身の上話だった。
五年前、グラニエはリンドバーグの秘書を辞め、王国騎士団に入団した。そして、鋭い観察眼を買われ、すぐに偵察部隊へ配属される。カワウとの戦争の真っ最中であった。偵察部の仕事の多くは情報収集と言われているが、ほとんどがヴェールに包まれている。
転機は一年前、戦地で大けがをしたグラニエはいったん戦線から退いた。任務については、ぼかして話している。だが、言えぬだけで功績をあげたのだろう。復帰後は隊長として抜擢されたのである。
ちなみにアスターの帰還後に入団していたため、対面したことはなかったようだ。帰還後のアスターは騎士団を退き、国の政治に携わっていた。
恩人であるリンドバーグを負け戦に巻き込んでしまった後ろめたさからか、サチの声はおとなしかった。「よかったです」「そうでしたか」などと、相槌を打つのが聞こえる。
草原は夕日を受けてオレンジに輝く。なにげない風景が懐かしかった。川の周囲は台地となっていて、ローズの深い森が見渡せる。森の奥にあるローズ城までは見えないが、きっと夕焼けに染まっているのだろう。この時間のローズ城は城壁中に張り巡らされた蔦が、濃い紋様を浮かび上がらせ、精巧に作られた金細工のように見える。
ユゼフは頬を緩めた。あの森でイアンやカオルと鬼ごっこをした。ところどころに、蜂の巣入りの落とし穴を用意したり、城に捕らえられていた魔獣を放ったり……。それこそ、恐怖の鬼ごっこだ。
ローズ城の地下にある装置をいじって、濠の水を抜いてしまったこともある。水は下水道を通って川に流れ、氾濫しそうになった。あの時も地下の出口がわからなくなって、命の縮まる思いをした。
──ろくな思い出がないな……
不思議と笑えてくる。当時は腹を立てたが、過去のことと思えば滑稽なのである。泣いて謝るイアンのグチャグチャな顔が浮かんできて、吹き出しそうになる。
──イアンはどうしているのだろう?
ふと、上がってきた問いは心を暗くした。イアンはユゼフを恨んでいるだろうし、生きていても劣悪な環境下にいるかもしれない。
暗い気持ちが伝染したのか、グラニエの話が終わると、サチたちも無言になった。柔らかい草を踏む音や巣に戻ろうとする鳥のギャァギャァ鳴く声が大きく聞こえる。草原に点在する大きな葉を揺らす木々は淋しげだ。吹き上げる風は湿気を含む。
しばらくして、落ちてきたグラニエの言葉は穏やかだった。
「どうか、卑屈にならないでほしい。君がしたことは間違いじゃなかった。ただ、運が悪かっただけだ。リンドバーグ様は多くの領地を手放すことになるだろうが、君のことを恨んではいないよ。むしろ、心配している」
「恩を仇で返すような真似を……」
「だから、お願いだから気にしないでほしい。そういうのは君らしくないと思うな。それより……」
言いかけて、グラニエは声を低くした。聞かれていることに勘づいたのかもしれない。ユゼフは彼らに背を向けているし、だいぶ先を進んではいるのだが。これ以上、離れたら聞こえなくなる。歩を止めることなく、距離が空きすぎないよう、ユゼフは気をつけた。
リンドバーグを調略した後、シーラズ城を包囲したとサチは以前言っていた。ユゼフが手配した援軍のせいで逆転されたと激怒していたのだ。協力したリンドバーグは、かなりの痛手を被っただろう。
サチとリンドバーグが知り合いだったのは驚きだった。サチは内海の小さな島の出身である。養育してくれた祖父母が亡くなったため、父親を頼って王都に来たとか。子供時代の詳しい話をユゼフは知らない。
リンドバーグは有名な金持ち貴族だし、グラニエも騎士団の部隊長を務める男である。平民であるサチとの関連性が思い当たらなかった。
ユゼフの位置からは、グラニエの低声はとても聞き取りづらい。
「イアン・ローズは魔国へ逃げたというが、まさか君も一緒に行ってはいないよね?」
「行きました……」
仰天したのだろう。一呼吸、間を置いて、グラニエは質問する。
「魔国へ逃亡する寸前、ローズ城で一泊したはずだ。その時、人質と接触することはあったかい?」
「ええ。グリンデルからのお客様が二人、囚われてました……その二人がどうかしたんですか?」
「殺された」
「えっ!?」
「イアン・ローズがやったことになっている。でも、今の君の顔を見て確信した。イアンとずっと一緒にいた君が、知らぬはずはない。やはり、違うのだな?」
なんとか聞き取れたこの話には、ユゼフも戦慄した。サチは嘘をつかない。殺した犯人はシーマだ。シーマが口封じのため、グリンデルの外交官二人を殺し、イアンに罪をなすり付けたのである。
戦慄のあと、こみ上げてきた怒りをユゼフは抑え込んだ。怒りはあとで直接、シーマにぶつければいい。滅茶苦茶な計画や、なにも話してくれなかったこと、アダムや兄たち、王子たちの殺害に関してもユゼフは納得していない。
しかしながら、今のユゼフにとって重要なのは情報だ。状況分析のために情報がほしい。ユゼフは違和感のない程度に歩を緩め、耳に神経を集中させた。
「ひと月ほどまえのことだ。偵察部隊長として、私はイアン・ローズが逃亡した直後のローズ城を訪れた……」
グラニエの話ではこう。
クロノス国王はすでに亡くなっており、王子も全員他界している。となると、騎士団の最高指揮権を持つのはヴィナス王女。そのヴィナス王女も精神不安定のため、面会が叶わない。代わりに王女の意向を騎士団に伝えるのはシーマ・シャルドンだった。
ローズ家もヴァルタン家も誰も残っておらず、王家に準ずるシャルドン家が指導権を握るのは当然と言えばそれまでだが……グラニエはきな臭さを感じていた。
当事者から話を聞きたかったのはもちろん、イアン・ローズに個人的な興味もあった。見つけられるなり、イアンが殺される懸念もある。リンドバーグから聞いていたサチのことも気になっていた。
諸々の事情から、グラニエは独断で偵察隊を引き連れ、ローズ城を訪れたのである。
「正直、シーマ・シャルドンについては情報が少なすぎて、よくわからなかったんだ。シーマの父、シーラズ卿はクロノス国王の従兄弟に当たる。それにしては息子のシーマの存在感がなくてねぇ……病弱で十六歳まで、城の外にも出ていなかったそうじゃないか? 知り合いの教師の話だと、シーマは貴族の学院では人気者だったそうだが……そうそう、サチも同じ学院に通っていたのだろう? 調べさせてもらっているよ。何かシーマのことで、気になることはなかったかい?」
「……いえ。人気者だったのは確かですが、親しくはなかったものですから、わからないです……」
当然、サチは歯切れが悪い。現状が見えてこないなか、シーマのことを悪くは言えまい。
グラニエがローズ城に着いた時、シーマは兵を外に待機させたまま、どこかへ行っていた。兵士の話では数人だけ連れ、イアン・ローズを追っているとのことだった。
城内に入り、まずグラニエが気づいたのは、東の塔の鋸胸壁に飾られた首だ。これはあとでわかるのだが、シーラズ卿の首だった。イアンが報復としてシャルドンを殺したのはわかる。一方で、シーマが父の首を放置したまま、イアンを追っていたのは妙だった。
胸騒ぎを覚えつつも、グラニエは城の中心部へ向かう。
「城内には血の匂いが立ち込めていたよ。大慌てで現場となった大広間へ走ったんだ」
核心に近づき、焦燥感が募る。話に夢中で、途中から声のトーンが元に戻っていた。見ていなくとも、サチの動揺がユゼフには伝わってくる。
大広間でグラニエが見たのは、惨殺されたグリンデル人二人だった。




