55話 ユゼフとティム
ダン! ダダン、ダダン! ダン!
最初は太鼓を力強く打つ音に聞こえた。バチの数がどんどん増えていき、耳が痛いくらいになる。それがバチではなくて細かい砂利の音に思えてきたころ、ユゼフは自分が目を開けているのだとわかった。
目の前を墨で塗り潰されたかのようだ。何も見えない。覆い被さっている誰かの存在を確認し、凄まじい叩音が雨音なのだとやっと納得する。
“誰か”は横たわるユゼフの傍らに手を付き、反対側の手で二人を覆うマントが飛ばされないよう押さえている。そのおかげでユゼフは濡れずに済んでいた。
体中が痛くて重い、何があったのか……ここはどこなのか……記憶をたどる……
鉄の城に向かっている途中だった。アスターとダーラが様子を見に離れた直後、ユゼフたちはカオル率いる刺客に襲われたのである。そこで、よせばいいのにレーベがバースト系魔術で傭兵を吹き飛ばしてしまう。
煙の中、ユゼフに向かって来たのはトサカ頭、ティモール・ムストロだった。
そのあとは……
思い出している間に雨音が鎮まってきた。覆っていた布が取り払われ、急に視界は明るくなる。
ユゼフは赤い月とその隣のティモールの顔を交互に見ながら、すべてを思い出していた。
「気づかれましたか?」
ティモールが尋ねた。びしょ濡れになったマントをギュゥと絞り、にんまり笑う。ヤンチャないたずら坊主みたいな笑顔だ。どこかで見たような……なんだか少し、イアンに似ている。
こちらへ向かってくる何頭もの蹄音が緩んだ気持ちを引き締めた。
「どうやら、あなたを抱えて逃げずに済みそうだ」
「どういうことだ?」
「聞くより、見たほうが早いでしょう」
そう言うと、ティモールはユゼフを助け起こした。
「俺が台になります。連中に気づかれないよう、様子を窺ってください。安全が確保できるまで、絶対に上がってはいけません」
ティモールは岩壁の前で四つん這いになった。
そばには絞り切れていないマントが、雑巾のように投げ置かれている。この男は大雨からユゼフを守り、膝が濡れることも厭わず台になろうとしている。
どうしてそこまで尽くそうとするのか、ユゼフには理解し難かった。
「どうしたんですか? 早くお乗りください。遠慮はいらないです」
ティモールはしゃがれ声で急かしてくる。ユゼフは腹を決めて、ティモールの上に立った。
ここは断崖の下の棚道。下からひょっこり顔をのぞかせれば、ゴツゴツした岩だらけの荒地を背景に、先ほどまでいた道が見える。意識を失っている間に運ばれたのか、進行方向からだいぶ遠ざかっていた。おまけに道が緩やかに傾いている。ユゼフがいるのは坂の上のほうで、こっそり俯瞰することができた。
黒地に白抜きの船のマストには赤々とした月が描かれる。鉄の城の城主バルツァー伯爵の紋だ。
進行方向の一番奥にバルツァー騎兵。狭い道を二列でふさぎ、岩の荒地の方にまで紋の描かれた旗を点々とはためかせている。
いくつもの旗の先頭にいた壮齢の男が名乗りを上げた。
「我はバルツァー伯爵の家臣、ユリウス・ブランケと申す者。バルツァー領の治安を守るため、巡回している。ここカワラヒワは法治国家である。貴公ら、私闘が禁じられていることは存じておるな? 正統な手続きを踏まぬ戦闘は、すべて私闘とみなされる。剣を収めよ! 抵抗した場合は全員捕らえる!」
ユリウス・ブランケの隣にいる傷顔の美男子を見て、ユゼフは息を呑んだ。
暁城を去る時、座敷に監禁されていたアキラだ。アキラはユゼフたちのことを忘れていなかった。城を抜け出し、先回りしてバルツァー卿に兵を手配してもらっていたのである。思いがけない救世主の登場に、ユゼフは胸を熱くした。
バルツァー兵が向いている方向にはカオルたち、盗賊含む傭兵、それにいつ合流したのか、不気味な集団……ヘリオーティスがいた。
ヘリオーティスは皆、両目の部分に穴のあいた麻袋を頭からすっぽり被っている。それは、彼等が何者であるかの証明でもあった。騎乗しているのが数名ほど。あとは馬を降りて、岩場に広がっている。
リーダーと思われる男が、馬上からキンキンした声で抗議していた。
「納得できませぇん! ワタシたちはぁ、被害者なんですよ、もぉーっっ! 突然、向こうから襲いかかってきたんですよ!? 亜人のガキとヒゲオヤジのコンビですっ! ヒゲはカワウで指名手配されてる極悪人、ダリアン・アスターですよぉ!!」
「ならば、詳細は後ほどうかがおう。城までご同行願えるか?」
「はああああ?? ワタシたちのことを捕らえるつもりじゃないでしょーね? 大ケガしてるのに! 釘を投げつけられたんですっ! ワタシは目に刺さりましたっ。失明してるかもしれませんっ!!」
「承知した。では、けがの手当てもしよう。捕縛するつもりはない」
「とぉーぜんですよっっ!!」
鼻息荒く、キーキー抗議する男の声は不快だった。語尾を伸ばす話し方が気持ち悪い。顔の表情は麻袋に隠れて見えないが、けがをしたのは事実なのだろう。クルッと振り向いた時、麻袋に大きな血のシミが見えた。話の内容から、アスターとダーラが逃げたとわかり、ユゼフはホッとした。
エリザ、レーベ、ラセルタの三人はカオルたちに拘束されている。サチとクリープの姿は見えない。
「許可なしにバルツァー領で民を捕らえることは許されない。しかも、女、子供ではないか……すぐに解放せよ」
ブランケの口ぶりには侮蔑がこもっていた。ここにアスターやユゼフ、大人がいれば印象は変わっただろう。だが、拘束されている三人は見てのとおり、女子供だ。カオルは弱者を無理に連行しようとしている卑劣漢……見るからに男らしい武人のブランケが露骨に嫌悪感を出すので、カオルの立場はなくなった。この件に関してはヘリオーティスも黙っている。カオルはしぶしぶエリザたちの縄を切った。
「それでは、早急に立ち去られよ。つぎに、領内で顔を合わせた時は逮捕させてもらう」
冷たく言い放ったブランケにアキラが小声で何か伝えた。ブランケはうなずき、カオルに向き直る。
「こちらにおられるラール卿(アナン)の御子息が貴公とお話しされたいとおっしゃっている。しばし、時間を与える」
アキラは馬を降り、カオルの方へ歩いて行った。離れていても、並外れた聴力を持つユゼフには会話が聞こえる。
「兄上!」
「余計なことをしてくれたな!」
カオルはうつむいているのだろう。ユゼフの角度から見える背中は元気がない。
「兄上、これでよかったんだ。兄上はユゼフと戦うべきじゃない」
「アキラ、おまえは何もわかっちゃいない……」
アキラの視線は、カオルの背後で倒れる盗賊たちへと移った。
「シャーヤ、オーラン……ユゼフたちが殺ったのか?」
シャーヤというのは、傭兵として雇われた盗賊のリーダー格だったと思われる。レーベの魔術を眼前で浴び、両手は吹き飛ばされ、頭部も半分なくなっていた。
そして、シャーヤの隣に倒れていたのは、魔国で一緒に戦ったオーランだった。オーランの傍らで鼻をすすっているのは緑髪の……今は黒髪に染めているが、亜人のファロフだ。
「殺ったのはそこにいる魔法使いのガキだ。なにが仲間だ? サチ・ジーンニアと、あともう一人は逃げやがった。こいつらは自分が助かることしか、考えちゃいない」
アキラはショックを受けている。アキラの視線を察したレーベは横を向いた。
魔力を使い果たしたせいで、レーベは消耗していた。立つことすらままならず、濡れた地面に腰を下ろしている。
「……レーベ、なんで?」
アキラのつぶやきに、カオルが代わりに答える。
「おおかた、ユゼフかアスターに言われたんだろう。子供にしちゃ、大胆すぎる」
「ちがいます。ぼくが勝手にやったことです」
レーベは首を振って訂正した。カオルはせせら笑う。
「どちらにせよ、ユゼフのせいに変わりない。シーマとあいつらのせいで、おれたちは家族で一緒にいることも叶わず、分不相応な扱いを受け続ける。あいつらをこの世から抹消しない限り、不幸は続くんだ」
「兄上、それはちがうよ。兄上が不幸だと感じるのは自分が変われないからだ。それをユゼフたちのせいにして、逃げているだけなんだ」
アキラは以前の仲間が痛ましい姿になっていたことで動揺していた。にもかかわらず、数日前までの煮え切らない様子とは打って変わり、迷いや怒りがなかった。アキラに圧倒されてか、カオルは言い返せなかった。
誰もが自身の状況を把握するのに追われているか、下世話な好奇心からこの兄弟の会話に耳をそばだてているかのどちらかだった。悲劇は唐突に襲いかかるものだ。
ユゼフは聴力だけでなく、視力も優れている。傾斜と距離に助けられ、全貌が見えていた。しかし、兄弟の会話に集中していたのは他の者と同じ。気づくのがほんの数秒遅れた。
「あ」
ユゼフが声を上げた時、アキラがカオルを突き飛ばした。しぶき上げ、水たまりに倒れ込んだのはカオル。
──ウソだろ?? 誰かウソだと言ってくれ!
仰々しく飛び散る泥水が視界を曇らせた。目を凝らしても、ユゼフの所からはよく見えない。視界がクリアになった時にはもう、ことは終わっていた。
ユゼフは思わず崖から這い上がった。
「安全は確認できたんですか!?」
ティモールの掠れ声が追いかける。
バルツァー兵とヘリオーティス、傭兵に挟まれた中心で棒立ちになっている二人がいる。アキラと──
無惨にも貫かれたアキラの心臓から、剣を抜こうとしているのはウィレムだった。




