20―1話 グリンデルに援軍を頼む①
一時間後──
ユゼフはディアナの前に跪いていた。
顔をわずかに上げて、チラッとのぞき見ぐらいはできる。ディアナは、ゾッとするほど冷たい顔で見下ろしていた。
目が合ってしまい、慌てて下を見る。
──どうしよう? 怒りは鎮まりそうにない
ディアナは五首城のなかで一番綺麗な部屋をエリザと使っていた。
運良く盗難されなかったのだろう。汚れて使えないベッドの代わりに、タペストリーは綺麗な状態で残されていた。
太陽の下、巨木の周りを神獣たちが駆け回っている。一角獣、不死鳥、龍、獅子女、智天使……生き生きした様子が毛の光沢や躍動する筋肉の陰影によって表現されていた。アニュラスの穴の奥地、エデンを緻密に描いた織物だ。
今、エリザは見張りに出ている。二人きりになれたのは幸か不幸か。
部屋を訪ねるまえに、ユゼフはできるだけ身だしなみを整えた。
取って付けたみたいな笑みを顔に貼りつけたって、内から滲み出る自信のなさは、ごまかしようがない。ユゼフを動かすのは強い使命感だけだった。
自分がやらねば、シーマは死ぬかもしれない。友達……というか、主を死なせたくない──その一心で部屋を訪ねた。
シーマには時間がなかったのだろう。
まわりくどい伝え方をしなくても、援軍を要請してほしいとヴィナス王女に書かせれば済む話だ。おそらく説得できなかった。
現在は安定しているものの、何年かまえまで主国とグリンデルは敵対していたし、腹違いの姉に依頼するのを王女が嫌がったのかもしれない。勝ち目がないのなら、降伏を選ぼうとする可能性もあった。
何より、ヴィナス王女と謀反人のイアンは従兄妹である。
幼い時分、王女がイアンを慕っていたのをユゼフは知っている。イアンとは争いたくないはずだ。
どもり防止に効果があるかわからないが、ユゼフは言う台詞を口の中で何度も復唱した。
シーマならこういう時、うまいこと切り抜けるのだろう。優雅な貴公子は女性の心をつかむのも得意だった。
あいにく、シーマの完璧な所作やしゃべり方を思い浮かべようとしても、ガサツで乱暴なイアンの姿ばかり浮かび上がる。
「先ほどは考え事をしていたために無礼な態度を取ってしまい、申しわけありませんでした」
「おまえを許す気はない」
ディアナはユゼフの右胸の辺りを蹴飛ばした。
ケガの箇所を外されたのは幸運だった。思っていたより痛くない。
「う、う、う、」
「なんなの??」
「う、う、美しいディアナ様……」
やっとのことで言うことができた。
貴族は女性に対して形容詞を付けることが多いので、真似てみたのである。女性の容姿を褒めたり、おべっかを使うことにユゼフは慣れていなかった。
「おまえが侯爵になるなんて、ほーんと笑っちゃうわ」
ディアナはふんと鼻を鳴らした。
「……どうしても、お許しいただけないでしょうか?」
今の一言でディアナの態度は、気持ち和らいだかに見える。とはいえ、願い事を聞き入れてもらうには道のりが長そうだった。
「お許しいただけるのなら、ディアナ様の望むことを、なんでも致します」
ユゼフは賭けにでた。友人の、いや主君の命がかかっている。
馬になれとか犬になれとか、飛び降りろとか、火に飛び込めとか……今までもやったことはあるし、主君の命に比べたら容易いことだ。
「……本当に何でもしてくれるの?」
「はい」
何を考えているのか、ディアナはふたたび黙りこんでしまった。どうせ、碌でもないことを考えているに違いない──ユゼフは戦々恐々として待った。まあ、我が身に降りかかる災難なら、多少のことは耐えられる……
「じゃあ、キスして」
耳を疑った。
「顔を上げて、私のことを見てちょうだい。キスしてくれたら、おまえのことを許してあげるわ」
顔を上げると、すぐ近くにディアナの顔があった。しゃがんで、こちらを覗きこんでいる。高熱に浮かされた時と同様、ユゼフの顔は熱くなった。
「で、では、お手を……」
手にキスをするなんて、義母にしかしたことがなかった。
「ちがう。手ではないわ」
ディアナは首を横に振った。
──じゃあ、どこにしろというのだ?
ユゼフは困惑した。自然とディアナの胸元に視線が注がれる。
──そこは絶対にありえない
次に視線は、ぷっくりと膨らんだ赤い唇へ移動する。
──まさか!?……いや、これは間違えると生死に関わる
正解はどこか……
紅潮した頬、小さく尖った鼻、きりりとした眉毛、細くなめらかな首……
こんなに間近でディアナの顔を吟味する日がこようとは。その間も、ディアナはユゼフを見つめ続けていた。
時間が止まったかのような奇妙な感覚があり、永遠に終わらない時を過ごしている気もしていた。
にわか、ユゼフはディアナの首に手を回し、額に唇をつけた。触れた時間は一秒にも満たない。すぐさま彼女から離れた。
それは一瞬の出来事で、終わったあとのディアナは呆然としていた。
「お許しいただけますでしょうか?」
ディアナは夢から覚めたみたいにハッとしてから、うなずいた。正解……なのか?──とにもかくにも、ユゼフは死なずに済んだ。
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