49話 仮面を取る
ユゼフたちは長い回廊を歩いた。
二の腕に温かい胸の感触が伝わってくる。
最後に女と寝たのはいつだったか……
ミリヤとのことが思い出され、ユゼフは唇を噛んだ。あれはほんの数週間前のことだ。ディアナと別れたのもそう……
そして今、ディアナによく似た女と交わろうとしている。罪悪感と期待感が混ざり、胸の鼓動は抑えられなかった。
「ねえ、なにかしゃべってよ……」
冷たい回廊に人はいなくなり、窓から差し込む天灯の灯りだけが揺れている。狂騒や優雅な音楽も微かに聞こえるだけだ。
「名前を聞いてもいい?」
ユゼフが尋ねると、女は鼻で笑った。
「じゃあ、あなたの名前を聞いてもいい?」
ユゼフは躊躇った。得体の知れない女に名乗っていいものか……答えられずにいたら、女は腕から離れた。
「愛し合うのに名前なんか必要ある?」
目の前のドアに鍵を差し入れる。カチリ……鍵の回る音が小気味良く耳に響いた。
ドアを開ければ、あらかじめ用意されていたランタンの光が目を刺激する。部屋は明るいオレンジ色で満たされていた。
部屋へ入った女は天蓋付きのベッドに腰掛けた。青い瞳は誘うようにこちらを見ている。女を知らぬ二ヶ月前であれば、どうすればいいかわからなかっただろうが……
ユゼフは女の隣に座り、肩に手を回した。
「ちょっと待って。仮面を外して顔を見せてちょうだい」
ユゼフは女の言うとおり、仮面を取った。
しばし、沈黙に支配される。
青い瞳を凝らして、女はユゼフの顔を見つめる。ユゼフも視線を返す。息づかいだけが耳を打ち、頭の中は空っぽになる。柔らかな時が過ぎていく。
ただ、ただ、見つめ合っていた。
「君も……」
ユゼフが女の仮面に手を伸ばしたとたん、女は逃げた。
「まだよ。でも……がっかりさせたくないもの……」
高飛車な態度を取っていた女が初めて弱気になった。
顔半分はディアナにそっくりだが、仮面の下はたいして美人ではないのかもしれない。あるいは目の周りに傷や痣があるとか……
美人だったとしても彼女がディアナでないのなら、ディアナそっくりなこの状態で交わったほうが高揚したままでいられるだろう。
「付けたままで構わない」
ユゼフは女を抱き寄せて口づけした。彼女がディアナ様だったら……
体が熱くなってきて、ユゼフは女の胸に手を伸ばした…………避けられる。こなれた感じは男と何度となく交わった証でもあった。
──やっぱり、ディアナ様じゃない……
五首城でディアナの額にキスした時は、こんなに肉感的ではなかった。
男を知らぬ強張った体だ。清らかな肉体はちょっとでも力を入れれば崩れ落ちてしまう。まだ少女のようだった彼女を思い出すと心が痛んだ。
唇が額に軽く触れた時、彼女の全身の力は抜け、脈だけが激しくのたうっていた。まっすぐにユゼフだけを見つめる深緑の瞳……絡まる指の感触……彼女の指は柔らかく冷たかった──
ユゼフはディアナの幻影を追い払った。キスに集中する振りをしてごまかす。快楽に溺れている間は葛藤を忘れられる。
大胆になってきたユゼフが下腹部に手を這わすと、女は急に甲高い声を上げた。
「やめて! 私は娼婦じゃないのよ!」
それはディアナの声そのもので、ユゼフは反射的に彼女から離れた。青い瞳は溢れんばかりの涙で潤んでいる。
「すまない……そういうつもりでは……」
そもそも女のほうから誘ってきたのだから、寸前になって拒否するのはおかしな話だ。だが、ディアナに怒られたような感じがしてユゼフは混乱し始めた。
──まさか、ディアナ様?……
ディアナ様ですか? という一言が喉の所まで出かかっている。発すればすべてが終わってしまう……そんな気がして、言えないでいた。
女は立ち上がり、ベッド脇のチェストから指先ほどの小瓶を出した。
「これを飲んで」
怪しげな……
小瓶の中の液体をユゼフは注意深くのぞき込んだ。液体は淡い青色だ。
「媚薬のようなものよ。これを飲めば長持ちするの」
女はたった今、目を潤ませていたのが嘘のようにケロッとした調子で言った。
「必要ない」
眉間に皺を寄せ、ユゼフは女の手を払った。誰だかわからない女に勧められて、謎の液体を飲めるか。
「やーね。毒なんかじゃないわよ。ほら?」
女は小瓶に口をつけ、くいっと流し込んだ。口に含んだ状態で、すかさずユゼフに口づけする。
口腔内を通り抜けて、ヒンヤリした液体が喉を流れ落ちていった。
ユゼフは女の唇から逃れ、吐き戻そうとした。しかし……
柔らかな手が足の付け根に下りてくるのを感じ、ふたたび唇を奪われてしまった。
──娼婦じゃないって?
とんだ尻軽じゃないか。こんな女がディアナ様であるはずない。そう思いながら、身を任せる。
だんだん、頭が痺れるようにぼんやりしてきた。
女が胸当ての紐を外すと、夏宵の幕が落ちる。黄昏時のグラデーションが美しいドレスは肩から落ち、真っ白な乳房が露わになった……




