41話 サチとクリープ(サチ視点)
(登場人物)
ユゼフ……主人公。魔王エゼキエルの生まれ変わり。
アスター……長髭のおじさん。
サチ……ユゼフの親友。グリンデル王家の落胤。
クリープ……表情を顔に出さない謎の眼鏡。
忠兵衛……暁城の剣術指南役。真面目なちょんまげ。
ダーラ……狐の亜人。アホ。
ラセルタ……トカゲの亜人。ユゼフの従者。
アスターはニヤニヤしていた。
約束の時間に遅れて、激怒しているはずのアスターが上機嫌なのは不気味だ。嫌な予感がして、サチは身構えた。
「遅れて申しわけありません」
暁城の兵士もいるから、丁寧な言葉使いで頭を下げる。
「兄弟か?」
「え?」
「おまえらは兄弟なのかと聞いている」
質問の意図がつかめず、困惑するサチを尻目にアスターはクリープへ視線を移した。
「得体の知れぬところがそっくりではないか? 兄弟なのか?」
「……違います」
クリープは下がった眼鏡を押し上げる。そこで、アスターの隣にいた暁城の剣術指南役、阿鳥忠兵衛が口を挟んだ。
「アスター様、差し出がましいようですが、この二人は私の目から見ても向いておりません。無理強いしたところで、物にはならないかと……」
忠兵衛はエデン人らしく小柄ではあるが、骨太のがっちりした体格の剣士だ。藍縞の木綿を使ったエデンの着物に髷。いつでも綺麗に月代を剃っている。エデンのルーツ、日の本のスタイルである。彼は幼いころのカオルやアキラに剣を教えていたという。
忠兵衛に対し、アスターは声を和らげた。
「そんなことは、わかっている」
「でしたら、今日ぐらいは城の兵士にご指南いただけないでしょうか? 皆、アスター様に憧れております。このような機会は滅多にないでしょうから、不躾な願いですが……」
忠兵衛の申し出を断るわけにもいかず、アスターは渋い顔をした。忠兵衛は丁寧な物腰でズイズイ物を言う。アスターが暁城の兵士に人気なものだから、特別講師として教えてもらいたいのだ。サチはその流れになってくれることを願った。
「我々はよくわからぬ連中に命を狙われている身。いくら、こいつらが向いてないといっても、多少は使えるようにしておきたいのだ。いつまでも、この城でゆっくりするわけにはいかぬし……」
「では、代わりに私がこの二人を指導しましょう。その間、アスター様は城の者たちの相手を……」
忠兵衛の提案に、サチは内心歓喜した。教えてもらうなら、極悪髭オヤジより、清潔感溢れる忠兵衛のほうが断然いい。アスターの答えは……
「いいだろう。一時間程度であれば時間を作ろう。だが、サチとクリープには私が教える。ダーラとラセルタも。彼らは特殊なのだ……」
サチは肩を落とした。サチもクリープもド素人だ。柄の握り方、構え方、抜刀の仕方から教わっている。誰が教えても同じだと思うのだが。
話し終えると、アスターはサッと切り替えた。
「では、腰の物を置け! 私の攻撃を身だけでかわすのだ!」
サチが何か言おうと口を開きかけたとたん、アスターの木剣が頭上に振り下ろされた。
スレスレで避けるサチにアスターは、
「三秒以内に剣を地面に置け!」
と命じる。サチとクリープは抗う余地もなく、剣を置いた。
木剣と言えども凶器である。アスターの腕力で力一杯に打ち込まれれば、骨が砕ける。パッド入りジャケットは「切る・刺す」には強いが「鈍打」には弱い。動きやすい簡易な防具は完全に守ってくれるわけではないのだ。
しかも、アスターは手加減しているようには見えなかった。木剣は風を切り、鋭く襲いかかってくる。サチとクリープは必死に逃げ回った。
丸腰で木剣を避け続ける、それは純粋に動物的な運動能力を試していた。おかしなことに、剣を持って戦うときとは比べ物にならないほど、早く動くことができる。
兵士たちが奇妙な特訓を見ようと集まってきた。サチの目の端に、目をまん丸くして凝視する忠兵衛が映る。
無理もない。普段の鈍重なド素人ぶりからは想像もつかなかったのだろう。今のサチたちは、自分でも驚くくらい高速で動き回っていた。獅子に襲われる二頭の狼といったところか。
残念ながら、アスターは獅子ではなく、狡猾で意地悪な人間だ。
──一対二とはいえ、凶器を持った相手を丸腰でどう制すればいいのか……アスターがへばるまで避け続けるだけでいいのか……
上から、下から、斜めから襲ってくる木剣を避け続け、サチが考えていたのは先ほどのアスターの言葉だった。
「兄弟」と言ったのは二人で連携して戦えという意味なのではないか? 避けながら、サチはクリープのほうを見る。クリープも同じことを考えていたようだ。目が合い、微かだがうなずいたかに見えた。
夜の町で目覚めてからの数週間、サチはクリープのことを理解しようと努めてきた。クリープが感情を表に出さないのは悪意があるわけではなく、そのように育てられたせいだと思われる。
長い眠りから目覚めたサチを、クリープは気遣ってくれた。寝ている間のことを教えてくれたのは、ユゼフだけではない。思いのほかクリープは人物を観察していて、こと細かに教えてくれたのである。
邪魔にしかならないサチをずっと背負ってくれていたというから、元来優しい性格なのかもしれない。出会った当初、のっぺりしていた顔が、最近はやや色味を帯びてきたような気もする。
「その、ジーンニア様と言うのはやめてくれ。俺は貴族でもなんでもないんだから。敬語も使わなくていい」
暁城に着いてから、サチはクリープに言った。それ以来、クリープは卑屈な態度を少しだけ改めている──
気がそれたせいか、木剣はサチの頬の近くを通り過ぎた。焼けるような痛みが走る。痛みは一瞬だけで、意識はもう別のところへと移る。
アスターがクリープに襲いかかっている間、サチはアスターの足に視線を落とした。
これで伝わったかどうかはわからないが、クリープは避けながら確かに見ていた。
──やってみるしかない
サチは思い切って、アスターの脛を蹴ってみることにした。
足を攻撃して怯んだ隙に、クリープがアスターの胴に拳を打ち込むなり、突っ込むなりしてくれればいい……そう思ったが……
アスターはあらかじめ予測していたかのように足を上げ、蹴りを膝で受けた。そのままサチの足の間に踏み込み、内側から足を絡ませる。土埃が舞い、サチは派手に転倒した。
受け身を取ることすらできない。木剣が向かってくる。アスターは容赦なくサチを打った。
「おまえはいちいち小賢しいのだ!」
地面に伏して抵抗できないサチを滅多打ちにする。
これは稽古じゃなくシゴキだ──サチは思った。土埃の中、あまりのえげつなさに止めようとするダーラが見える。
先にアスターを背後から押さえたのはクリープだった。
アスターは難なく跳ね飛ばし、尻餅をついたクリープの首元に木剣を突き付けた。
「なんなら、貴様が代わりに打たれるか?」
クリープはオートマトンを思わせる無機質、かつ冷たい顔で答えた。
「構いません」と。
最終的に、木剣を振り上げるアスターを止めたのは忠兵衛だった。
「アスター様、いけません。兵士たちも見ているのですぞ?」
「でも、こいつらは多少打ちのめしても大丈夫なのだ」
言い訳しつつも、アスターは木剣を下ろした。忠兵衛のまえでは、横暴も引っ込む。
その隙にサチはむっくり起き上がった。遅れてやってきた怒りで、顔が熱くなっている。
地面に置いてあった剣を拾い上げ、鞘を付けたまま、サチはアスターに向かっていった。頭に血が上り、何がなんだかわからず剣を振り下ろす。
振り向きざま、アスターは木剣ですんなり受けた。一打、二打、三打……鍔迫り合いになる。
「おい、誰が勝手に打ってきていいと言った?」
「この宿無し! 無職の横領乞食ジジィが! その不潔な髭を引っこ抜いてやる!」
「ほら、言ったではないか? 多少痛めつけても、こんだけ憎まれ口叩ける」
アスターは忠兵衛のほうを見て笑った。この態度──サチは頭の血管が、どこか切れたのではないかと思うほど激昂した。
サチは感情のままに剣を振るった。打ち方など知りもしないから、めちゃくちゃだ。アスターは軽々と全部受けた。
「お二人ともおやめください! これは稽古ではありませぬ。ただの喧嘩です!」
忠兵衛が声を荒らげ、ようやくサチとアスターは打ち合いをやめた。
忠兵衛はサチのところに歩いてきた。
「サチ、先ほどの物言いは目上の人に対して無礼極まりなかった。アスター様に謝りなさい」
穏やかでも、強い口調だ。
「俺は謝らない」
これでも、サチは噴出しそうな怒りを抑えていた。これだけのことをされて、謝れだと!? 理不尽過ぎる!──言葉は喉まで出かかっている。
この忠兵衛という人は端正な髪型からわかる通り、規律を重んじる。真面目で厳しい正義漢だ。兵士たちの調練で激しく動くことがあっても、頭の丁髷は決して乱れない。
つまり、まともでちゃんとした人。アスターとは対極に位置する。そんな人に向かって、暴言を吐くのはためらわれた。
「子供みたいに意地を張るのは、おやめなさい。たしかにアスター様は傍目から見ても、やり過ぎではあった。しかし、なにか考えあってのこと。無礼を働いていい理由にはならない」
「……驚いた。あなたのような良識ある方が、そんなことをおっしゃるなんて……あれはただの暴力だった。権威の前では、理不尽な暴力でさえ肯定なさるのですね?」
ついにサチは言い返してしまった。忠兵衛は唖然として言葉を失う。まさか、どこの馬の骨ともわからぬ従者風情に反抗されるとは思わなかったのだろう。堰を切ったら、言葉は止められない。サチはまくし立てた。
「でも、その権威も過去のものだ。この男は国外追放されたただの犯罪者ですよ。爵位も剥奪されているから貴族でもない。平民である俺がこの人に何を言おうが、罰せられる法律はない」
「しかしね、法律云々じゃなくて倫理的に……」
ショックから戻ってきた忠兵衛が言い返そうとすると、アスターが遮った。
「構わん、構わん!……それにしても、まったく口の減らない奴だ。寝てる時のほうが、かわいげがあったぞ?」
たぶん、アスターからしたら猫に襲われた程度のことなのだ。気が緩み、サチは膝をついた。
怒りのせいで忘れていた。打たれた痛みが今頃になって襲ってくる。痛みに堪え、サチはアスターを睨みつけた。アスターは悪びれる様子もない。
「おまえが寝ている間、背負ってやったのだぞ? だらしなく口を開けてるときは閉じてもやったし……」
「ちょっと待て! その、いつも髭を触ってる手で、俺の口を触ったのか?」
ダーラとラセルタがクスクス笑っている。潔癖症のサチにとっては笑い事ではない。寝ている間、触れられただけでも嫌なのにゾッとする。
アスターはサチの問いには答えず、クリープに尋ねた。
「ところでクリープよ、おまえ、魔力を感じ取ることができると言っていたな?」
「はい……」
「では、ダーラと対戦してみろ。刃引きした剣で」
ダーラはきょとんとした。狐耳は聖水で隠しているから、代わりに人の耳をピコピコ動かしている。自分に振られるとは思わなかったのだろう。クリープも突然の提案に固まっている。
「ですが……」
「ただし、目隠しをして戦え」
有無を言わさず、アスターは近くにいた兵士から手拭いを奪い、クリープに渡した。




