39話 招待状
外廊下は肌寒い。板の間の騒々しさや熱気から離れ、ほてった皮膚が急激に冷めていく。
ユゼフはラセルタを連れて、ひんやりした長廊下を歩いていた。
どうやら飲み過ぎたようだ。足がふらついている。ラセルタの持つランタンが、酔眼には刺激的すぎた。庭園の灯籠と月明かりで充分に明るい。
「大丈夫ですか? 完全に酔っ払ってますよね?」
ラセルタが案じる。
「おまえこそ、さっきから同じ所ばかりうろうろ歩いて、いつまで経っても部屋に着かないじゃないか?」
完全に迷っていた。同じような廊下、襖の連続……泊まるのがどの座敷なのか、まったくわからない。
「ちょっと待ってください。どこも同じようで、目印がないもんですから……」
「従者失格だな。おまえはなんにしても、いい加減すぎる」
酔っているせいか、ユゼフはいつもよりキツい物言いをしてしまった。ラセルタは頬を膨らませ、気まずい空気になる。
こういうところはまだ子供なのである。いろいろ、わかっている、気遣いできる……精神的に大人びているから、ときどき大人と同じように扱ってしまうのだが。子供特有の傷つきやすさや、強い承認欲求のことをユゼフはつい忘れてしまうのだった。
言い過ぎたと謝ろうとした時──背後に気配を感じ、ユゼフは振り返った。靴下の擦れる音が近くなる。
先ほど曲がった角から、若い娘が姿を現した。
小柄で色素が薄いカワラヒワ人の特徴を持つ。エデン人の血も入っているのだろう。どことなくエキゾチックな空気をまとう娘だ。
「ユゼフ・ヴァルタン様でいらっしゃいますね?」
娘はユゼフの前に来るなり、問いかけた。下女や給仕女にしては身なりがいい。晩餐会の時も御台所で飲んでいた時も見ていないが、誰かの侍女か奉公人だろうか……
うなずくユゼフを見届け、娘は手に持っていた封書を差し出した。
「わたくし、奥様の侍女のイリスと申します。この文を奥様からヴァルタン様へお渡しするようにと預かっておりました」
「奥様? エメリア夫人が?」
間の抜けた声を出すユゼフに対し、イリスは首を横に振った。
「いえ。まえの奥様からです。奥様が出て行かれてから八年間、ずっと大切に預かっておりました」
「……ま、まえの奥様?」
まえの……カオルとアキラの母親のことだろうか。
まるで心当たりがない。
なにかの間違いではないかと言おうとしてイリスの顔を見ると、娘は急に泣き始めた。
「どうしたんだ? いったい!?」
「……申しわけ……ございません……奥様のことを思い出してしまって……まえの奥様、セレーネ様はとても美しくて優しい方でした……」
ラセルタがハンケチを差し出す。イリスは涙を拭き、今度は凛とした表情でユゼフに向き直った。
「八年前、奥様は出て行かれるまえ、まだ幼かったわたくしにこれを託しました。そして、八年後、ユゼフ・ヴァルタン様がこの城を訪れた時に必ず渡しなさいと、そう仰ったのです」
ユゼフは混乱した。カオルとアキラの母親、アナンの愛人……彼女のことは何も知らない。
イリスはユゼフの顔色を無視し、話し続けた。
「奥様はこのことを誰にも言ってはいけない、絶対封を開けてはいけないと、何度もわたくしに言い聞かせられました。命懸けなんだと、そうおっしゃっておられました」
そこまで話すと、イリスは役目を果たした達成感からか、満足げに微笑んだ。
「でも、よかった! わたくし、二週間後にモズの商家へ嫁ぐところだったんです。お渡しできて、本当によかった……」
ユゼフは受け取ることができず、手を引っ込めた。
「なにかの間違いってことは? 少しも身に覚えがないんだが……」
イリスは何も言わず、封書の表に記された文字を指した。
──親愛なるユゼフ・ヴァルタンへ
たしかに女の字でそう記されている。見たことのある筆跡である。よく知っている字だ。しかし、そんなはずはない。彼女とはつい数日前、時間の壁の前で別れたばかりではないか。
封蝋に印は押されていない。怪しみながらも受け取るしかなかった。
結局、ユゼフは寝泊まりする座敷まで送ってもらうことになった。
着くまでの間、まえの奥方のセレーネという女性のことをイリスは詳しく話してくれた。
もともと高貴な家柄の女性だったが、事情があってこの城に預かられる身となったそうだ。輝く金髪と緑色の瞳を持つ美しい女性で、顔立ちはアキラによく似ているという。
ユゼフは首をかしげ続けた。
イリスが手紙を預かったという八年前、ユゼフはまだ十二歳だった。ヴァルタン家に来たばかりで右も左もわからない。正しい礼儀作法すら知らない時に、高貴な身分の美人と知り合えるわけがなかった。
座敷まで案内すると、イリスはさっさと引き上げてしまった。もっと話を聞きたかったのに、ユゼフは礼を言うだけが精一杯だった。彼女の居所も聞かず別れたのである。
目の前にはふかふかのベッドが待ち構えている。深く考えられぬ酔っ払いはこの誘惑に抗えなかった。
ゴロリ、ユゼフはベッドに倒れ込んだ。寝そべったところで早速、手紙の封を開ける。
──招待状──
拝啓 ユゼフ・ヴァルタン卿
クレセント城主アルフォンス・フリンギラと申します。突然の文にさぞ驚かれたことでありましょう。世間では、朱色に染まる山肌という意味のアーベントロットと呼ばれている者です。
詳しいことはご説明叶いませんが、ある方からの要請でペンを走らせております。
私がペンを握っている現在は王立歴三一五年、ひなげしの月でございます。我がクレセント城では年二回、薔薇の月と秋桜の月に仮面舞踏会を開催しておりまして、ある方が貴殿と密やかな邂逅を果たすために役立てたいそうなのです。
ですが、貴殿をご招待するのは八年後の未来となります。奇妙な話ですが、この招待状を書くように依頼された方のご意向でございます。
ユゼフ・ヴァルタン卿、貴殿を王立歴三二三年薔薇の月二十六日の仮面舞踏会にご招待いたします。
このような不自然な形でのご招待になってしまったこと、深くお詫び申し上げます。
何卒、御臨場くださいますことを心からお待ちしております。




