31話 今のユゼフを信じてる(アキラ視点)
八年戦争で負傷したエンゾ・テイラーは一時、ローズ城で剣術指南をしていた。カオルの正体を知らぬまま、知り合っていたのだ。
エンゾはイアンが学院を卒業するころ、エデンに帰った。父レオンが亡くなったので、爵位と領地を継ぐためである。
「エンゾ・テイラーがおれの父だ。そして、おまえの父リュカ・アナンの双子の弟でもある。だから、おれたちは腹違いにもかかわらず、顔が似ているんだ」
「……どういうことだ? よくわからない……」
カオルの告白にアキラは混乱した。
「アナン家はテイラー家の分家。百年前にアナン家はこのカワラヒワに移り住んだ。アナン家に男子が恵まれなかったため、本家のテイラー家からおまえの父が養子に入ったんだ」
エンゾはシーマを支持していた。エンゾだけではない。内海の領主の多くが、謀反の直後はイアンについたにもかかわらず、内乱が終わるとシーマを支持するようになった。
それまで大陸中心に動いていた権力をシーマが握ったことで、変わるのではないかという期待に満ちていた。
ディアナに遺言書の存在を聞かれても、エンゾは否定し続けた。説得のため、ディアナはひと月近くエデンで生活することになる。
ようやく遺言書を手に入れ、王都スイマーへ帰ったころにはカオルを身籠っていた。
「遺言書の内容はこうだ」
もしも、国内に反乱が起こり、ガーデンブルグ家の成人男子が一人もいなくなってしまった時は、第一王女ディアナに王位を継承する。預言者によるとディアナはアフロディーテ女王の生まれ変わりであり、正当な後継者である。ローズ、ヴァルタン、シャルドンに王位は継承しない……
「母上はシーマ政権に不満を持つ諸侯たちを味方につけ、立ち向かうことにした。廃城となっていたローズ城に居を構え、女王としての権利を主張したんだ。国内は真っ二つに割れた」
カオルはふたたび、血色の月を見上げた。柔らかな風が頬を撫でれば、葉擦れの音が訪れる。共にやって来るのは、柊の花の甘い香りだ。
「アニュラスが赤く染まる時、黒き壁現れ世界を分断す……愛しき人よ、魔の軍団が地を埋め尽くさぬように……」
首をかしげるアキラにカオルは微笑んだ。
「エゼキエル王の残した言葉だ。戦争の前後に必ず壁は現れる」
女王となったディアナにとって、一番の懸念は腹の中のカオルだった。地位を確立していない状況で、不義密通を告発されれば、勝ち目はない。
追放されてテイラーの情婦となってエデンで暮らすか、赤子を殺すか……
「母上は時間の壁を越えて、おれを産み育てることを選んだ」
壁が出現している間だけ、時間移動者は意のままに時を移動することができる。ディアナは時間移動者のリゲルを味方につけ、二十五年前へタイムワープしたのである。
テイラーからの手紙を携え、この暁城へ……
「あとは知っての通りだ。母上はおまえの父との間におまえとロリエを儲け、十二年後、壁が現れた時、もとの王立歴三二八年に戻ったのさ。リゲルと約束した通り」
アキラは長く息を吐いた。父であるアナンとカオルの父が双子だった話から、混乱状態に陥っている。カオルは辛抱強く説明を繰り返した。
「いいか? 今が三二三年だろ? おれたちは五年後の未来、三二八年から壁を越えて来た。リゲルがいれば、壁の現れている時間帯を移動することができる。で、母上は三二八年から三〇二年の終わりに移動したんだ。そこでおれたちをこの暁城で産み、十二年間一緒に暮らした。そして三一五年、おまえが十歳のころ、おれたちが離れ離れになった年に元の三二八年に戻った」
「ややこしいのは苦手だ」
アキラは眉間の傷痕を掻いた。はっきりしているのはシーマが王になったこと。数週間前、仲間と共に命懸けで助けた母のディアナが、シーマと結婚して不幸になったこと……
「おまえは昔から頭を使うのが苦手だったからな……」
カオルは呆れている。
「でも、ちゃんと理解してもらわないと……おれたちが生きている意味を……」
ナスターシャ女王の甥であるニーケ王子は、グリンデル王室の養子として迎え入れられた。
他にガーデンブルグの血を継ぐのは……ヴィナス王女が身ごもった子供とカオル、アキラ、ロリエ……ディアナが産んだ三人の私生児だけだ。
さすがにアキラも、この事実が何を意味するのかはわかった。母に何か起こった時は、自分たちが母の代わりにシーマの対抗馬として祭り上げられる。
「元の時代に戻り、女王となった母上はおれに奴らの暗殺を命じた……おれたちはリゲルの力で壁を越え、五年前の三二三年……この時代に来たってわけだ」
奴らというのは、ユゼフ、アスター、サチのことである。
気配でアキラは顔を覗き込まれているのに気づいた。アキラは兄の顔を直視できなかった。
「ここまで聞いても、まだユゼフ側につくか? あいつらはおれたちの敵だ。おれたちが離れ離れになったのも、王族であるにもかかわらず惨めな生活をしてきたのも、すべてシーマのせい。その手下どものせいだ」
アキラは顔を上げ、なにか言い返そうと思った。だが、適当な言葉が出てこない。柄にもなく、どもった。
「でも、ユゼフは……母上のことを……」
「なんだよ?」
「……いや、なんでもない……」
壁の向こうへディアナが連れ去られた時、半狂乱になって追おうとしたユゼフのことをアキラは思い出していた。あの時、クリープが押さえつけなければ、そのまま時間の壁に飛び込んでいただろう。
ユゼフは本気だった……
飛び込めば、時空の彼方へ飛ばされ二度と戻れない。そうまでして母を守ろうと……
「ユゼフは母上を命懸けで救った。魔国でオレたちは魔人と戦ったんだ。仲間が何人も死んだ。恐ろしいことも悲しいことも……共に支え合い、ここまで来たんだ……」
ユゼフの気持ちは純粋なものだ。汚れた欲望のためにディアナを助けたのではない。そう確信すると、アキラは吹っ切れた。
カオルは肩を落とし嘆息した。
「まだわからないか? ユゼフが母上を助けたのは、母上のためじゃない。シーマのためだ。シーマに母上を物のように差し出すためだ……」
アキラは首を振った。
「ちがう。ちがうんだ。ユゼフはそんな奴じゃない……兄上も子供のころ、遊んでたんなら知ってるだろう? ユゼフはイアンのことも救おうとしてた……シーマが悪い奴だというのはわかった。でも、ユゼフはちがう」
カオルはしばらく口を閉じ、少年時代の記憶を手繰り寄せているようだった。
「……ユゼフは……子供のころからおとなしくて、イアンの言いなりだった……おまえの言う通り、確かに悪い奴ではなかったよ。イアンが謀反を起こすように仕向けたのはシーマだが、ユゼフがすべて知っていたかはわからない。シーマの言いなりになっていただけかもしれない……」
真正直な感想にアキラはホッとした。自分の目は間違っていなかった。
「だけどなアキラ、あいつは……ユゼフは変わったんだ。主国に戻ってから出世して宰相になる。権力を手に入れ、まるで別人のように……傲慢で冷酷な人間に変わった……」
二人はいつの間にか森を出ていた。広々とした平原に、昔よく遊んだ小さな湖が見える。その向こうには全世界を拒絶するかのごとく、深い闇色の壁が立ちふさがっていた。
「オレが知ってるのは、今のユゼフだけだ」
アキラは言った。最初から心は決まっている。
「五年後、どうなるかはわからない。ユゼフがたとえ変わったとしても、今のユゼフをオレは信じてる」
平原を照らす赤い月は、誰かの涙みたいに草の上へ光の粒を落とす。優しい風が吹き、赤い光に濡らされた草はキラキラ煌めいた。




