29話 カオルとアキラ(アキラ視点)
陽に当たらなくても枯れぬ森。
マリクを連れたアキラは、ティモールとウィレムのあとについて、暗い森を無言で歩いた。三人と一匹が呼吸する音、地面を踏む音、葉擦れの音の他は何も聞こえない。
数百年前、アンデッドが主国ローズ領に押し寄せたことがあった。この時、世界規模で魔物たちの活動が活発化したと言われている。魔の国から遠く離れたカワラヒワにも、魔物が出現するようになった。柊の森は魔防のために作られたと聞いている。
現在、木々は白い花をたくさん咲かせ、辺りは甘い香りに満ちている。アキラは母にこの花を毎年プレゼントしていた。
目を閉じれば、瞼の裏で花を髪に差し込む母の姿が蘇る。母は尖った葉で、傷だらけになったアキラの手に薬を塗ってくれた。
──なんでこんなことを思い出す? だから、ここには戻りたくなかったんだ……
「ここだ」
ティモールの声で顔を上げると、暗緑の天蓋が割れて月光が差し込んでいた。林間の広場に数十人の兵士が控えている。彼らは座ったり立ったり、自由な姿勢で休んでおり、装備はいい加減だった。
その兵士たちに混じってカオルの姿が見えた。暁城の裏手門から数キュビットしか離れていない位置である。
傭兵は二十人くらい。表門にも配置しているだろうから、もっとか。半分は見知った顔だった。
モズの盗賊たちだ。あろうことか、カオルはアキラのかつての仲間を雇ったのである。大部分が魔国に行かなかった連中だが、なかには先日、共に戦った者たちもいる。
盗賊たちはアキラを見て、ざわついた。カオルが不審顔で盗賊たちの視線の先を見やり、ティモールの背後で見え隠れするアキラに気づいた。
笑顔を見せるカオルは、母によく似ている。アキラは幼いころから、兄や母に似ていると言われるのが嫌だった。
「アキラ! 来てくれたんだな! 信じてた!」
駆け寄るカオルに対して、アキラは下を向いた。カオルは構わずに尋ねる。
「傭兵たちが騒いでいる。知っているのか?」
「傭兵じゃない。あいつらは盗賊だ。オレはこの間まで盗賊だった」
カオルは目を丸くしてから破顔した。
「信じられない。おまえが盗賊なんて……でも、よかった。来てくれて……」
「兄上、オレは……」
カオルの視線はアキラの顔、人懐っこく舌を出すマリク、そして腰に差した粗末な拵えの剣へと移った。
「剣はどうした? 連中に奪われたのか?」
「いや、預けてきた。兄上、オレはユゼフたちのもとに戻る。今は話をするだけだ」
アキラは顔を上げ、はっきり伝えた。待っていたのは唖然としたカオルの顔だ。
「……あの剣は母上の形見だ……それをユゼフに預けただと!?」
アキラがうなずくと、カオルは怒りで顔を赤くした。
「ここを離れる時、幼いおまえが心許ないだろうと思ったから、一番大切な物をあげたんだ。それをよりによって、あいつらに渡すとは……母上がどんな思いで……」
「オレたちを捨てた母だ」
「捨ててなんかいない!……母上が去ったのは仕方のないことだった。おまえも、もう気づいているだろう?」
「兄上、二人だけで話したい」
アキラはこちらをチラチラうかがう以前の仲間や、ティモールの視線を感じて小声で言った。
「わかった」
カオルが答えたので、アキラはマリクにそこで待つよう指示を出した。
二人は東、城壁がある方向へと歩き出した。適度な間隔を空けて木々が立ち並ぶ。濃い青を塗りたくったような薄暗い森だ。
子供のころ、昼間でも暗鬱な道は当たり前だった。沈黙に支配された今は、より淋しげに思える。
森の中を通る一本だけの舗装された道は国境のほうへ続いている。八年前、アキラがカオルを追って通った道だ。道まで出て、初めてカオルは口を開いた。
「奴らと一緒に魔国まで行ったってことは……もう会ったんだろう? 母上に……」
アキラは黙っている。カオルは続けた。
「おれはおまえを迎えに行こうと、学校を卒業してから暁城を訪ねたんだ。その後も何度か探しに……おまえが家出したと聞いて、ずっと心配してた。会ったら、すべてを話すつもりだったんだ」
アキラは首から下げていたロケットを外し、カオルに渡した。
「マリクが……エデン犬が兄上の懐中時計を持っていた。兄上が持ってる母の形見はあれだけだ……無理やり奪われたのだろう? アスターたちはヴィナス王女の物だと思って預かっている……だから、代わりにこれを……」
カオルはロケットの蓋を開けて、母の肖像画を確認した。
「これはおまえが母の顔を忘れないためにあげた物だ。だからおまえが持っていていい」
アキラは首を振った。
「兄上が持っていてくれ。オレには剣がある」
カオルは躊躇っていたが、ロケットを上衣の内側にしまった。
「さて、何から話そう?」
「母上が……ディアナ王女が、壁の向こうに連れ去られてからのことが聞きたい」
「……そうだな。そこから話したほうが、今のおまえにはわかりやすいかもしれない」
カオルは道を照らす赤い月を仰ぎ見た。
「母上は利用され、尊厳を踏みにじられ、命を絶とうとまでした……すべてはシーマが王になるために……」
アキラに似た兄は囁くように語りだした。




