表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(後編)三章 眠り王子は目覚める
177/914

27話 サチの心情(サチ視点)

後で追加した話です。

 サチは存分に吐いた。

 温泉から宿屋の裏手まで、なんとか持ったのはラッキーだった。下手すれば、整然と敷き詰められた石畳や、湯気を立ち昇らせる温泉を汚していた可能性だってある。

 庭木の根元に、サチは思いっきりぶちまけた。吐瀉物は臭いし汚い。

 

 幹を背に嘔吐を繰り返す。肩を上下させ、胴体をひくつかせる。胃の中身をすべて吐いてしまうまで、それは続いた。

 昼も夜も賑やかなこの町では、酔っ払いが吐いていたとしても、足を止める人はいない。


 「うわぁ……」と引く、または「嫌なもの見ちゃったな」と顔をしかめる程度である。誰もが足早に去っていく。都会の人間は冷たい。「大丈夫ですか?」と親切心から声をかける人がいないのは、せめてもの救いであった。


 なぜなら、こう見えてサチは自尊心が高い。それに加えて超潔癖。

 嘔吐するという恥ずべき行為を見られるだけでも屈辱なのに、声までかけられた日には悲惨過ぎて死にたくなる。

 最悪な状況を引き起こした原因はわかっている。悪いのは自分自身だ。


 卑しくも大食してしまった。絶食の直後は適度な水分、重湯、粥から始めるべきだった。胃がびっくりしてしまったのだ。

 考えなくてもわかることだった。普段のサチならこんな愚かなことはしない。体も脳もちゃんと動いてはいなかった。


 情けない──

 控え目にするつもりが、結局平常運転になってしまった。表面上はなんでもないようにしていても、本当は入ってくる膨大な情報に対処できず、てんやわんやしている。水面下で懸命に足を動かす水鳥と同じだ。

 サチが平静を装うのは見栄である。誰かに甘えたり、情けないことを言って助けを求めたりすることができない。


 しばらくしたら、宿を発つのだろう。聞いた話では、休む余裕はないようだし。足手まといにはなりたくない──サチは思った。

 移動中、誰かが自分を運んでくれていた。これまでさんざん迷惑をかけている。

 思ってみると、なんと親切な人たちであろうか。あの傲岸不遜なアスターにしても、何を考えているかわからないクリープにしても、普通なら見捨ててもおかしくない状況下で助けてくれた。

 意識のないサチを介護したところで、なんの価値もない。これがどこかの国の王子様だったら、話は別だが。今ここにいるサチ・ジーンニアはただの平民。何も持たず、言葉で感謝することしかできない。


 ──俺が役に立つとしたら、知恵を働かせることぐらいか


 ユゼフはこのまま一緒に主国へ帰ろうと、言ってくれている。


 ──戻れば謀反人の家来だ。投獄されるのは間違いない


 彼らが無価値のサチを助けたのは、純粋な善心からと思われた。ならば、それに応えなくてはならないだろう。


 ──あと、イザベラ


 離れる時、一人でブツブツ言っていたが……

 ユゼフの話だと、瀕死のサチの傷を癒やしてくれた。目覚めるまでの間、体を定期的に清めてくれたり、付き添って寝てくれたりもしたらしい。


 ──うぅ……恥ずかしい


 吐瀉物に土をかけながら、サチは顔をほてらせた。彼女の父親を殺したのは自分だというのに、なぜそこまでしてくれたのだろう。魔国にいる時から、妙に馴れ馴れしかった……もしかして──

 

 胸が疼き、呼吸が早くなる。気の高ぶりは体温と血圧を上昇させた。が、女性に縁がなかったため、芽生えた臆病心が浮ついた気持ちを戒める。

 そんなわけないじゃないか、と。気位高く上昇志向も強い。美人で家柄も良い彼女がそんなわけ──

 

 何も持たぬサチは思う。自分には好かれる要素はこれっぽっちもない。背だって低いし、顔立ちも異国人のように平べったい。長所は普通よりちょっとだけ賢いところだが、それも強気な性格に邪魔され、生かされていない。

 サチは(かぶり)を振って、甘い妄念を振り払った。色恋は今、考えるべき課題ではない。

 とにかく、彼らに感謝しなければ。恩を返さなくては──律儀なサチは動かぬ頭で必死に考えた。どうすれば恩返しできるか。

 とくにユゼフ。ユゼフが求めるなら旅にも同行しよう。


 汚物に土をかけ終わった。土が吐瀉物の酸っぱい臭いを隠すと、温泉地特有の腐臭が鼻をついた。腐った卵に似た腐臭は不快ではない。


 ──あとで温泉に入るのもいいかもしれない。いや……


 温められた血流は、激流となって体内を駆け巡るだろう。また、血管や臓器に負担をかけることになる。


 ──たった今、過ちを犯したばかりだ。温泉は足だけにしよう。起きている状態に身体が慣れるまでは我慢だ。俺は同じ失敗を繰り返さないぞ? なに、夜の国にいる間なら、温泉に入る機会はいくらでもある


 土まみれの手を見て、サチは後悔する。いつも正義を人に押しつけてしまう。自身の性格はよくわかっているのに。それで何度も失敗したというのに。

 完璧だったはずが負けた。身の毛もよだつ機械兵士(オートマトン)に追い立てられ、魔国まで逃げることになった。

 学生時代のいじめ、イアンの家臣たちとうまくやっていけなかったこと──これらはサチの身上だけでなく、性格も起因している。


 カオルやウィレムがイアンを裏切らなければ、形勢は持ち直した。彼らが裏切った原因の一つはサチにある。

 身分差など気にもしない。正しい意見を述べるサチにイアンは耳を傾けた。それは嫉心や劣等感を刺激し、彼の家来たちを卑屈にさせたのである。サチは家来たちの声にも耳を傾け、もっと歩み寄るべきだった。


 そう、サチに足りないのは寛容さだ。

 助けてくれたユゼフやアスターに対して、もっと殊勝に振る舞うべきである。


 ──わかっているのに、どうしてできないんだろうな?


 (マリィ)を恩師に預け、ローズ城へ向かう途中、あれだけ悔いたではないか。暗闇のなか、一人ぼっちで走り、同じく一人になったイアンのもとへ向かった。

 その時、こう思ったのだ。素直で優しく、おおらかな人になろうと。否定すれば反発を招く。


 ユゼフも言っていた。皆、(すね)に傷を持っている。正しい道を貫こうとしても、悪心が邪魔をする。至らないところを指摘して、責めるのはもうやめだ。攻撃ではなく受け入れよう。それが最大の防御となる。


 赤い月光は優しい。太陽ほど刺激的ではない。太陽は闇に絡みつく雲すら蹴散らしてしまう。届く範囲に余すところなく、光のシャワーを浴びせてくる。無情に闇を追い払う。

 闇を内包し、共存する月のほうが美しい。

 

 この先、何が待っているかわからない。ユゼフもサチも、未来から来たカオルたちに命を狙われている。ユゼフが間違っている可能性もある。


 だが、これだけは言える。彼らはサチを助けてくれた。


 協力しよう。国へ帰るために、自分ができることの全部を出し切ろう。

 サチは左腕の傷痕を触った。イアンは生きている。お互い、悪運強過ぎるだろと苦笑する。このしぶとさは生きていくのに必要なスキルだ。


 ──まだ、終わりじゃないぞ? イアン、君も彼らに助けられたんだろう? 


 傷に問いかければ、ズキズキと答える。今にも癇癪を起こしそうなイアンの赤い顔が浮かび、サチは微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不明な点がありましたら、設定集をご確認ください↓

ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ