23話 あの懐中時計
山を越え、運河に乗って夜の町まで──
赤い月に照らされた町は、夕暮れ時より明るい。なぜなら、天灯が飛ばされるからだ。天灯とは、中に光の呪符が入った紙風船である。
夜の町では、昼間のみ天灯を飛ばし、それで昼と夜を区別していた。
この幻想的な町の宿で一息。ユゼフたちはやっと旅の疲れを癒やすことができた。宿屋には広々した温泉も併設されており、自由に入ることができる。老若男女関係なく、裸でつかる人たちを見てユゼフはドキッとした。温泉の周りに囲いや目隠しはない。
侍従がつねに身の回りの世話をする王侯貴族に関しては、裸を見られても平気だ。しかし、庶民が開放的な場で堂々と裸になるのには、文化的な隔たりを感じた。
人前で肌を見せることを主国人は嫌う。ユゼフたちは馴染みのある蒸し風呂に入り、温泉は足だけつかった。
宿の食事もおいしいし、しばらく留まれたらと思った。追っ手の迫っている状態でなければ、ゆっくり観光を楽しんだかもしれない。
二泊した朝、クリープを除いて全員が宿屋の食堂に集まった。まあ、クリープはいても空気のようなものだし、いてもいなくても同じだ。
アスターは朝からエールを飲んで、くつろいでいる。
ユゼフの隣に座るアキラは相変わらず陰気で、一人黙々と食べていた。この状態は、グリンデルで再会してからずっと続いている。
魔力を使い果たし、回復魔法を使えなかったイザベラの自家製軟膏のおかげだろうか。額の傷は、運よくひどい痕にはならなかった。ほとんど治って、膨らみもない。
山を越え、運河を船で渡る三日間に険悪な雰囲気は、だいぶ改善されていた。
エリザとレーベはにこにこして食虫植物に餌を与えているし、ダーラは膝の上のマリクを撫でながら、ラセルタの話を聞いている。二人とも聖水の効果で、野生の耳や角、尻尾を引っ込めていた。
穏やかな時が流れていた。ユゼフは皆を観察しつつ、目玉焼きを頬張った。人に興味を持たなかった以前だったら、考えられないことだ。今は少しずつ馴染もうと思うし、皆の気持ちも考えようという気になってきた。旅がユゼフを前向きにしたのだ。
「そんでな、オレは言ってやったんだ。その腰を抜かしている貴族野郎にな? 金目の物を全部置いてくなら、命だけは助けてやるってな」
本当か嘘か、盛っているには違いないだろう。追い剥ぎをした時の武勇伝をラセルタは得意気に話している。
不良少年にありがちの個性だが、ユゼフはこういうのを好まない。第一おもしろくもないし、嘘だってすぐにわかる。
真面目に聞いているダーラはかわいそうだ。純真なダーラには正と悪、真と嘘の違いすら、わからないのだろう。ただ、すごいことなのだと感じ入って、素直に受け入れている。
──教育上、よろしくないな
ユゼフは眉をひそめた。彼らはもともと盗賊であるし、世の理を説いてみたところで無意味だ。だが今後、盗賊をやめて、まっとうな人生を送りたいのであれば、ちゃんと教えてやる必要がある。現にラセルタとダーラは、盗賊を抜けてユゼフについてきているのだし。これから、彼らの未来がどうなるかはわからない。
「あっ、そういえば……」
ダーラは何か思い出して、懐に手をやった。これ見よがしに取り出したのは金の懐中時計だ。
金色に輝く豪華な……丸みを帯びたフォルムはいかにも女性的である。どこで盗んだのか、かなり高価な物だ。ひるむラセルタは置いといて……
なぜか、その懐中時計にアキラが釘づけになっている。それまで会話にも入らず、陰の気を振りまいていたにもかかわらず、金目の物に目がないのは盗賊ならではだろう。
アキラの視線に気付き、ダーラは得意気に見せびらかした。
「これ、マリクが持ってたんです。蓋の所にほら、削れてるけど、グリンデルの石が埋まってる」
「ちょっと見せてくれないか?」
アキラが言うと、ダーラはすんなり渡した。ユゼフも好奇心からのぞき込む。
手の中にすっぽり収まる華奢な懐中時計の蓋に、グリンデル水晶が嵌め込まれてある。周りには星と月の幾何学模様が細かく描かれていた。そして裏には、三つ首のイヌワシの紋と「愛」を意味する古代語の文字が刻まれている。
──イヌワシの紋!? まさか、王家の物!? マリクが持っていたということは、シーマが持たせたのか? 時間の壁を越えさせるために、グリンデル水晶が必要だったから? それにしても、王家の物とは……
ユゼフは目を見張った。
「おお、それは王家の紋章ではないか? ちょっと見せてみろ」
向かいに座っていたアスターが感嘆の声を上げた。アキラがダーラへ返し、時計はアスターのもとへいく。
「おおお! 高価な物だぞ、これは!」
「そうなのか? でもおいら、時計読めないしな……」
「なんだと? それはよくない。教えてやるから、すぐに覚えなさい」
アスターは時計の蓋を開けてみたり、裏返したり、かざしてみたり……念入りに調べた。
「これは本物かもしれん。マリクが持っていたということはヴィナス王女の物かな?……しかし、高価な物をなぜマリクに持たせたのだろう……?」
「時間の壁を渡る時、グリンデル水晶が身体を守るんだ。イアンやサチたちもそうやって壁を渡ったかと……」
少し離れた所に座っていたイザベラをチラリ見て、ユゼフは説明した。
「……なるほど、しかし、これはヴィナス殿下にお返しせねばなるまいぞ?」
「ええー、そうなのか?」
ダーラはがっくり、肩を落とした。
結局、時計はアスターが預かることになった。クソオヤジのことだから、横領しないか心配だ。
食後、ユゼフたちは出発する準備をしに部屋へ戻った。四人か三人で一部屋を使っている。
アキラの実家までは一日、かからないだろう。アスターのくすねた香辛料も高値で売れたし、武器の手入れもした。ユゼフは焼け焦げた服を替えることもできた。カオルたちに追いつかれるまえに、早く出なくては──
そんなことをゴチャゴチャ考え、部屋のドアノブに手をかけたのである。
想像もしてなかった。
ドアを勢いよく開けた時、懐かしい声が自分の名を呼んでくれるなんてことは。
「ユゼフ!」
かすれていたが、それは間違いなく彼の声だった。
サチ・ジーンニア。
目覚めた親友はベッドに腰掛け、こちらを見ていた。




