15話 来襲
人を食らい、肉体を再生させる魔人め!──この言葉はユゼフの心の中を何往復しただろうか。
アスターが去ったあと、窓を閉めるのも忘れ、寒々とした部屋でユゼフは固まっていた。アスターの前で余裕の笑みを浮かべていたのは、単なる見栄だ。人は触れられたくない弱い部分を突かれると、必死に隠そうとする。なんでもないふうを装う。
卑屈に見えても、ユゼフは自尊心が高いのである。教養があり頭も良い。普通とは違う。特別な力がある。本来の自分を隠すことで、そのプライドを守ってきた。
それが、あの一言でズタズタに引き裂かれた。
本当はなんとなくわかっていたのだ。自身がエゼキエル──魔王の生まれ変わりだということは。自分の血で、ケガ人が回復するのを目の当たりにしてきた。レーベの話だと、魔人の血が回復能力を持つのは稀だという。
エリザが言っていた記憶を再生させる綿毛の話。あれも、幻覚ではないだろう。とぼけていたのは、信じたくなかったからだ。
──俺が化け物だってことが、みんなにバレてしまったんだな
だから皆、腫れ物に触るように接してくるのだ。これに関しては理由がわかり、スッキリした。
無情な言葉が脳内で何度も繰り返されたあと、ユゼフを待っていたのはどうしようもないほどの寂寞感だった。
ヴァルタン家に来た時と同じ。誰にも理解されない。一人ぼっち。
ユゼフは雨戸を閉め、丸まっていたマリクの頭を撫でた。温かい被毛が心を慰める。これからも永遠に、自分は誰からも愛されないのだとユゼフは思った。
肉体から心が乖離する。
──ああ、この感じ。久しぶりだ
ユゼフはたまに肉体から離れることがある。こうすれば、痛みが和らぐのだ。苦しみから逃れられる。
体から離れて自分を俯瞰してみると、意外に愛おしい。なかなか美男子ではないか。鏡に映る男はいつだって、陰気で冴えないのに不思議だ。
本棚が連なる質素な書斎は、ただの平面となる。世界が丸ごと記号化する。冷気を吸った石壁や本、書机、簡易ベッドもすべて──
音が聞こえなければ、ユゼフは時を失くして呆けていただろう。空っぽになった心の上を過ぎていく音が、ユゼフを現実に連れ戻した。
角笛だ。
長く一回、二回……三回。
敵が来たとき、角笛の回数でその場所を知らせるよう取り決めてあった。三回は南側の城門だ。
ユゼフは即座に切り替えた。
剣を手に取り、部屋を飛び出す。出るなり、会ったのは青ざめたエリザだ。青灰色の瞳はユゼフに吸いついた。化け物を見る目ではない。
「レーベは?」
「それが……探索すると言って戻ってこないんだ」
「まあいい。レーベは来ないほうがいいだろう」
居館を出るまえにアキラとクリープ、ラセルタに会った。アキラの額に巻いた包帯が緩んでいる。にじんだ血が生々しかった。
ユゼフは眠たそうなアキラに尋ねた。
「これで全員か?」
「ダーラは見張りだからいねぇ。あ、あとアスターも」
「くそっ……」
ユゼフが人前で毒づくのは、めずらしい。いちいち驚かれないのは緊急事態だからだ。
「どーせ、どっかで酔いつぶれてんだろ? さっき、ワインを見つけたとか言って喜んでたから……」
どおりで酒臭かったわけだ。言動もおかしかったし、酔っ払っていたに違いない。
アスターに対する怒りが再沸騰するまえに、獣の啼く声が届いた。
「グリフォン? グリフォンだ! グリフォンが啼いてる……て、ことはまさか!?」
ユゼフはなりふり構わず、屋上を走り出していた。グリフォンの魔瓶をユゼフからくすねるのは、あのクソオヤジしかいない。
──まったく、なにを考えているんだ!? グリフォンを使って、地上に降りたのか!? 一人で!?
「クリープは足手まといだから、待機してろ」
指示するアキラの声を背中で聞きつつ、ユゼフの怒りは沸き上がっていた。南の端まで来て、鋸胸壁から下をうかがう。
──やっぱり
城門の近くでやり合っていた。白い霧?……煙が漂っていて見えにくいが、アスター一人だ。煙は目くらましの魔術を使ったのかもしれない。レーベか。しかし、レーベの姿は見えなかった。
敵の人数は十人ほど。思っていたより少ない。アスターは敵のど真ん中で、剣を振るい走っていた。
──バカか
ユゼフたちのことをいつも叱るくせに、無謀すぎる。馬鹿め、考えて行動しろ、冷静になれ──上からエラそうに指図するクソジジイが何を間違って一人、外へ出たのか。
ユゼフとケンカしたことで、イラついていたのかと思われる。判断力が鈍っている。
ゴチャゴチャ分析する間もなく、ユゼフは階段を駆け下りた。残るクリープに跳ね橋を下ろしてもらう。
ジャラジャラジャラジャラ……大げさな音は開戦の合図となっただろう。敵の意識がこちらへと向かう。
ユゼフが人数差のことを思い出したのは、跳ね橋を渡っている最中だった。
相手は十人。こちらは、ユゼフ、アキラ、ラセルタ、エリザ……アスター合わせて五人。
──俺も全然、冷静じゃなかった
もう後戻りはできない。身構える敵がこちらを見ている。




