7話 五首城へ(アキラ視点)
(アキラ)
ただ逃げることしかできない自分に、アキラは腹を立てていた。ぼんやりしていたわけではない。アスターは戦っているし、ケガを負ったユゼフは動けない。自分にできることはないか、探していたのである。
眉間から右頬へ斜めに走った古傷がズキズキ痛む。この傷を付けたバルバソフが怒っているように思えた。彼も今は亡き人だ。
顔の筋肉を固くしていたところ、先に行けとアスターに怒られた。リーダー格のアキラがすべきことは、弱い者たちの安全を確保することだ。アキラは否応なしに虫食い穴へ飛び込んだ。
光の渦を抜けて、モズのソラン山脈へは瞬きする間に着いた。まばゆい光の中から別の洞窟に出ると、目の前がインクで塗り潰されたみたいになる。何も見えない。
アキラは目を瞬かせ、声を張り上げた。
「みんな、とりあえずそこを動くな! 全員いるか安否を確認する!」
闇に目が慣れるまで、しばし……
レーベが気を利かせて、光の札を岩壁に貼ってくれた。柔らかな魔法の光は、強い光を見たあとの眼球に優しい。
──よかった。みんないる
イザベラ、エリザ、レーベ、ラセルタ、ダーラ……あと、サチを背負ったクリープ。
──あれ?
アキラは再度、視線を巡らせて確認した。みんないるのだが、足りない……そうだ! 宿屋で出会った得体の知れない奴……ウィレムと言ったか。どさくさに紛れて、逃げやがった。
顔をジロジロ見てきた変な奴……とはいっても、アキラは顔を見られるのには慣れている。大きな傷があるし、女みたいな顔だとよく言われる。男色家が好色な視線を浴びせてくることもある。ウィレムの視線はそういう類のものではなかった。知り合いに会ったかのような、どこか親しみのある──
──ユゼフとアスターだけが目的だと言っていたが
移動中、馬に同乗するユゼフとウィレムは親しげに話していた。同じ学校に通っていたとかなんとか……馬蹄が腐葉土をタップする音に混じり、ときおり流れてくる声には、ほがらかな印象を持った。
殺してしまった無精髭とは違う。無精髭からは血の匂いがした。あっちは何人も殺したことのある男だ。盗賊をやっていれば、それぐらいのことはわかる。しかし、ウィレムはどこかあっけらかんとして、悪い奴には思えないのだった。
──なんか、ヘンな感じだな? それがなにかは、わかんねぇけど
そんなことより、今はユゼフとアスターの無事だ。弱い者たちの安否を確認できたので、アキラは助けに行こうと思った。「おまえらはそこで待っていろ」と口を開きかけた時──
絶え間なく螺旋を描く光の渦──虫食い穴から、ユゼフを抱えたアスターが飛び出した。
薄闇に慣れないのだろう。ユゼフを地面に置いたアスターは目をパチパチさせた。
「イザベラ!! イザベラは近くにいるか!?」
ユゼフの胸を押さえるアスターの手は血まみれだ。光の札の淡い光源でもわかる。仰向けで寝かせられた彼の服は、出血のせいなのか炎のせいなのか、胸元を中心に黒ずんでいた。
ユゼフの血を与えろ──こんなことを口走りそうになり、アキラはハッとする。死にかけているのは当の本人ではないか。魔法の血を持つ本人が死にかけている。それを忘れるぐらい動揺していた。
──どうすれば、いいんだ!?
ユゼフが死んでしまう。アキラは傍らにしゃがみ、アスターと共にユゼフの胸を押さえた。すぐさま手が血に染まる。押さえると、血をたっぷり吸い込んだ服から、にじみ出てくるのだ。噴き出るほどの勢いはないから、心臓は無事……せめて、そう願いたかった。
祈ることしかできないアキラと違い、アスターは他のことにも注意を払っていた。イザベラに指示を出している。
「いいか? レガトゥスが追ってくる。しばらくしたら、他のオートマトンたちも来るだろう。虫食い穴を閉じることはできるか?」
「……やったことはない。でも、試してみる」
「よし、やれ!!」
イザベラは無愛想にうなずき、虫食い穴の前に立った。
薄闇に慣れてきたアスターは冷徹な目で洞窟内を見回し、一人足りないことに気づいた。
「あいつは? 宿屋で捕らえた奴……」
「逃げられた」
アスターは舌打ちした。アキラは自分の無能さが改めて嫌になった。冷静なように見えて、アスターもイラついているのだろう。声の調子から感じ取れる。
「それにしても、血が止まらぬ。レーベ、手伝え!……ん? なんだ? ユゼフ……」
薄目のユゼフが口をパクパクさせている。血の気を失った唇は死人のように白い。
アスターがユゼフの口元に耳を寄せた。その髭面がみるみるうちに険しくなっていく。
ユゼフは何を言ったのか──
アスターはうつむき、沈黙した。こういう姿は初めて見る。いつも人を食った顔で髭をいじりながら、悪だくみをしているクソオヤジだ。それが真剣に悩んでいる。
やがて、顔を上げたアスターは、
「わかった。アキラとダーラとラセルタを行かせる」
感情を除去した声でユゼフに伝えた。眉間に深いしわを刻み、、唇を噛んでいる。そんなアスターを見て、ユゼフは微笑し瞼を閉じた。
アスターは休む間なく切り換え、怒鳴った。
「アキラ!……ダーラとラセルタ、おまえらもこっちこい! レーベはアキラと代われ!」
アスターの話ではこうだった。
宿屋で会った追っ手の他にあと四人おり、シーマの文を狙っている。文を持つ伝書犬マリクは、最初にユゼフが送り出した五首城にいるはずだ。だから、アキラたちには五首城へ先回りして、マリクと文を手に入れてほしいと。
「ユゼフのグリフォンで行けば、ひとっ飛びだ。ここから見えるし、まっすぐだから行けるだろう。古代語で指示すればいい。簡単な指示語は教えておこう。アキラは、まえに乗ったことがあるから大丈夫だな? ラセルタとダーラは魔力が高いし、言い聞かせられるだろう。なに、ユゼフがよく調教しているグリフォンだから大丈夫だ……」
直前に悩んでいた様子が見間違いかと思われるほど、テキパキとアスターは指示を出した。
彼らがなぜシーマの文を狙うのか? 文の内容は? 疑問が湧いても、尋ねる余裕はなく、アキラたちは飛び立つ準備に入った。
ユゼフの上衣の衣嚢(ポケット)から魔瓶を取り出し、叩き割る。煙と咆哮が洞窟内を満たした。初めてだったら畏縮するが、今のアキラは役に立ちたい気持ちが勝っている。アスターの凛とした態度に、触発されたのもある。
ラセルタがユゼフのブーツと靴下を脱がした。犬を警戒させないため、ユゼフの匂いの染み付いた靴下を持っていく。
アキラを先頭にして、ダーラとラセルタは相乗りすることになった。
五首城は切り立った崖の上に建ち、周りに障害物がなく、空の上からならよく見える。歩きで数時間かかっても、グリフォンであれば数分で着くだろう。
「気をつけてな」
出発前、アスターは自信なさげなダーラに一声かけた。血で汚れた両手はユゼフの胸をずっと押さえたままだ。
アスターはたまに優しさを発露させる。ユゼフの言葉を受けて悩んでいたのも、苦渋の決断をしたのも、案じてのことだ。幼いダーラとラセルタを危地へ向かわせることに、良心が痛んだのだろう。こういうところがアスターの本質なのだと、アキラはなんとなく思った。
微かに首を振ったダーラの肩を抱き、ラセルタに目配せする。アキラは洞窟の外へと向かった。




