138話 国境警備騎兵隊
塔の屋上に着くまでの沈黙は長かった。だが、沈黙は金なり。その間、口下手なユゼフはセリフを考えることができた。そのセリフというのは──
「君たちに特技があるように、俺にもちょっとした能力がある。予定より時間がかかってしまったので、特別な方法で約束の場所へ向かっても構わないだろうか?」
クリープは反応なし。イザベラは眉間にしわを寄せ、目を細めている。二人とも返事をしてくれなかったので、ユゼフは実行に移した。懐から魔瓶を二つ取り出し、
「出でよ!!」
と、グリフォンを出した。ささやかな塔の屋上で二頭出すと、狭く感じられる。
「よく馴らしてるから、短距離なら俺以外が乗っても大丈夫。古代語で指示すれば、言うことを聞くよ」
魔国での体験で感覚が麻痺していたのだ。言い終わり、振り返ってイザベラを見るまでユゼフはわかっていなかった。グリフォンを操れるというのは度を越している。瞬きもせず、硬直するイザベラを見て、やってしまったと思った。
咆哮に驚いたのもあるだろう。イザベラは口をあんぐり開け、目をグリフォンに固定したまま動かなくなった。蝋人形のようである。いつも通り、塩対応なクリープに多少救われた。
──時間がないし、乗ってもらわないことには……ん?
奥深い森の向こう。ユゼフは目的地のほうで人の気配を感じた。何人もいる。そして……戦っている!
「まずいぞ! アスターさんたちが襲われている! 国境警備の騎兵隊だろうか? とにかく、助けに行かねば!」
血の匂いと猛々しい精気。たいした装備もせず、ディアナをかかえ……それだけではない。同行者のほとんどが女、子供ではないか。エリザとレーベにはディアナを守らせるだろう。すると、戦えるのはアスターとアキラ、ラセルタ、ダーラの四人だけだ。馬に乗った騎兵隊は数十人いる。
グリフォンには装具とロープを完備させてある。ユゼフは手綱を手に取った。
「待ってください」
ユゼフを止めたのは、クリープだ。
「敵襲を受けているなら、機動力のあるユゼフさんが即座に戦えたほうがよいでしょう。僕がサチさんと騎乗します」
「任せていいのか?」
うなずくクリープからは、やはり感情が読み取れない。猜疑心は拭えぬが、今は一刻を争う事態だ。クリープが自在にグリフォンを操って、サチをさらうとも思えないし、任せることにした。
サチを背負わせ、クリープの身体に手早くロープで固定する。ユゼフは昔から結ぶのが得意だ。
騎乗を手伝った後、グリフォンによく言い聞かせた。先導するから従えと。
「よし! 行こう!」
イザベラを後ろに乗せ、ユゼフはグリフォンに合図した。乱暴な騎手みたいに腹を蹴ったり、鞭を当てたりはしない。賢い動物は音や軽いスキンシップで察してくれる。強風を巻き起こし、グリフォンは浮上した。
「そんなに高くなくていい! もう少し高度を下げろ!」
ユゼフは古代語でグリフォンに指示した。顔に当たる風が気持ちいい。グリフォンだったら、国境までひとっ飛びだ。
雲より下の低空飛行は、わりと難しい。首だけ動かして、クリープがついてきていることを確認する。
腰に巻き付けられた細い腕に力が入り、ユゼフはイザベラの存在を思い出した。致し方なく、彼女には抱き付くような形で騎乗してもらっている。よって、背中に温かい乳房やら、耳に吐きたての湿った呼気やらが当たるのである。
──あああ……女の子って柔らかいな
甘い香りもしてくるし、危機が迫っているというのに、変な気持ちになってくる。これがイザベラでなければ、最高なのだが。
──うしろに乗っているのが、ディアナ様だったらなぁ
乳房がユゼフの背中に潰され、やや硬い突起の感触もわかる。触れられるだけで感じる女の弱点が……乳房の下には肋骨がある。さらにその下にはくびれた腰があり──女の腰というのは、どうしてこうも絶妙な曲線を描いているのだ──体の線をいちいち背中で感じ取れてしまう。同乗しているのが男だったら、敏感にならないのだが。むしろ、考えたくもない。
乳房、へそを通った下には恥骨……イザベラはグリフォンに跨がっているわけだから、秘部が無防備に開かれた状態でユゼフの腰に密着しており……
──想像するとヤバいな……それどころじゃないというのに。
しかし、卑猥なイメージは耳をくすぐる囁きによって打ち消された。
「何者よ、あなた?」
低い声は男に近い。ユゼフはゾクッとした。いやらしい想像を霧散させるだけの威力がある。
「魔獣を魔瓶から出し入れできるのは、かなり高位な魔獣使いだけ。詠唱には時間もかかる。それをああも容易く……」
「お互いさまだろう? 君だってハイレベルな魔術を使える」
「ふ……じゃあ、わたしたち、敵同士かもしれないわね」
短いやり取りの間に国境が見えてきた。魔国と隔てるための石垣と、主国との国境に横たわる時間の壁。この二つがかち合う場所。
木々の密集が途切れた所で、剣を打ち合う人たちが見えた。察知した時より全然人数が少ない。
とはいえ、石垣に三人追いつめられていた。敵は倍の人数だ。二人は獣人。ラセルタ、ダーラ。あと一人は女……ミリヤ!? とにかく早く行かなくては──
ユゼフはグリフォンを急降下させた。豪快な羽ばたきが木々をなぎ倒していく。
「ユゼフ!」
アスターの声が聞こえる。アスターがどこにいるのか、ユゼフには見えなかった。いつでも飛び降りられるよう身構える。その一秒後にはもう飛び降りていた。
高所から見ると、意外に地上は近く感じられるものだ。気が急いてしようがなかったユゼフは、かなり高い所から飛び降りてしまったかもしれない。抜刀しつつ、敵陣へ無計画に突っ込んだ。
突然の襲撃に兵士たちは仰天した。グリフォンと美しい剣に圧倒されたのだろう。刃を向ける余裕は微塵も与えず、ユゼフは彼らの心臓を貫いていった。九割方、野生の勘だ。アルコはもはやユゼフの体の一部となっている。きらめき踊る刃は華麗だ。ユゼフは本能とアルコに従った。頬に跳ねる甘い水は赤い。
「お待ちください! もう抵抗はしません!」
その声でユゼフは我に返った。残った二人の兵が剣を捨て、手を上げている。顔面蒼白だ。
ユゼフはアルコの血を払い、鞘に収めた。石垣にダーラ、ラセルタ、ミリヤがへばりついているのはなぜか。皆が皆、敵の兵士と同じ顔だ。冷静になってようやく、着地が乱暴過ぎたのだと理解した。
いくつもの木々が倒され、枝や葉が散乱するさまは嵐のあとを思わせる。兵士が二人しか残っていないのは、ユゼフの奮闘のせいだけではない。突風のせいでバランスを崩し、時間の壁に吸い込まれたのだ。ラセルタたちが石垣にへばりついているのはそれでだと、合点がいった。石垣は時間の壁にぶつかったところで消えている。
ユゼフは失態をごまかそうとラセルタに命じた。
「兵士を縛れ」
アスターがうまいこと散らしてくれたおかげもあるだろう。離れた所で逃亡した兵士と馬の気配を感じる。ユゼフは辺りを見回し、ホッと一息ついた。
ここまで、ほんの数秒。
ふたたび強い風を吹きつけ、クリープとサチの乗ったグリフォンが着地した。
ユゼフと同乗していたイザベラは、いつの間にか降りている。澄まし顔でガウンに付いた塵を払っていた。
「我が僕よ、器へ戻れ」
ユゼフの一言で、二頭のグリフォンは魔瓶へ吸い込まれた。
「馬鹿者!! ここは時間の壁の近くだぞ!? ダーラとラセルタが吸い込まれてしまったら、どうするのだ!?」
アスターの怒声が森を震わせた。倒れた木々を踏み越えて現れたアスターは返り血を浴びており、戦闘直後の興奮状態から抜け出ていなかった。無事を喜び合う間もなく、ユゼフは頭ごなしに叱られた。
「すまない。時間がなかったのでグリフォンを使った。多勢に無勢と思い、慌てて着地して助けようとしたら思いのほか、風の力が強くて……」
言い訳している最中、ユゼフはミリヤに気づいた。ダーラの隣に立つミリヤの手には、剣が握られている。上から見えたのは、見間違いではなかったのだ。
ミリヤは飴色の目を大きく見開いていた。いつものふんわりした雰囲気とは違い、トゲトゲしさがある。それでいて、間抜けというか滑稽さもあり、かわいらしかった。ユゼフは素の彼女を見た気がした。
グリフォンの起こした風が、ミリヤを時間の壁に追い込んだ可能性もある。彼女の豊満な胸は忙しなく上下していた。くびれた腰や細い手足。じつは筋肉質であっても、しなやかな体は守られるべきものだ。女の身でありながら戦わされていたのかと思うと、ユゼフの心は痛んだ。
ミリヤに声をかけようとした時、背後から草を踏む音が聞こえた。
ザック、ザック、ザック、ザック……
木々の間から姿を見せたのは、エリザに支えられて歩くディアナだった。




