134話 サチが可愛そう
ナスターシャ側の話は世間で語られるのとは異なっている。彼女は自由奔放なクラウディアが断罪されたのはいい気味だったと嘲笑った。そして、聖女と崇められた姉を売女と罵った。
「騒動のことを知らぬとも、ザカリヤの名声は耳にしたことがあるだろう? そちの兄らと並ぶ英雄だからな?」
クラウディアの名を出した時と異なり、ザカリヤの話になると、ナスターシャの声は柔らかくなった。
彼女の話では、魔国へ落とされたザカリヤは、たびたび城内へ忍び込んでクラウディアと逢瀬を楽しんでいたという。
「眠れぬ夜、一人になりたくて……侍女を連れず、妾は城内の庭園を散歩していた。そうしたら、ザカリヤと遭遇した」
ザカリヤは有名人だ。くわえて、人目をひく美男子。城内で顔を知らぬ者はいない。そんなにも簡単に、何度も忍びこむなんてことが可能なのだろうか?……ユゼフは半ば信じられない気持ちで話を聞いていた。
「ザカリヤは口封じのために、妾を庭園の茂みの中で辱しめた。その時にできたのが、ここにいるシャルルである」
ナスターシャ女王は淡々と話した。
「このことは身の回りの世話をする数人しか知らぬ。妾に非がないとはいえ、不祥事には違いないからな」
言い訳する顔に恥じらいの色は見られなかった。結婚前であるし、彼女の言い分が正しければ、不義密通罪には当たらない。
「シャルルに穢れた血が入っていると言ったのは、ザカリヤの血だ。ザカリヤは魔の国へ追放されてから悪魔と契約を結び、魔族となったのだ」
ザカリヤが魔族に墜ちたという話は有名だから、ユゼフも知っている。サチには魔人の血が流れているということか。
「シャルルが主国にいたのはな、諸事情による。そばに置いておきたくなかったというのもある。貴族の学院へは、妾が手を回して入学させたのだ。もしもの時のために、上流階級と同じ教育を受けさせる必要があった。もちろん、身分は隠してもらったが……」
強姦の結果、できた子なのであれば、そばに置きたくないのは至極当然だろう。しかし、ユゼフはナスターシャとザカリヤに関する別の話も聞いていた。これも有名な話だ。ナスターシャはザカリヤに横恋慕していたと。
ナスターシャがサチに向ける視線は邪悪だった。
「こいつはただの保険。アンリが結婚して男児を授かれば、処分するつもりだった。だが、アンリは死んで、血が絶たれた。たまたま、帰ってきてくれて助かったのだ」
ナスターシャは両掌でサチの右手をすくった。ユゼフは、サチの親指の爪が剥がれているのに気づいた。
女王は燭台が載るテーブルに手を伸ばす。そこに置かれていた食事用ナイフを手に取った。
ユゼフは目を疑った……
女王は、サチの人差し指の爪の隙間にナイフを差し込み、一気に爪を剥がしたのである。指から血を滴らせ、サチは全身を痙攣させた。
戦慄と嫌悪感、それを見ていることしかできない罪悪感、一度に負の感情が押し寄せ、ユゼフは固まるしかなかった。
「おかしなものよ。意識はないのに痛みは感じるのか、痙攣するのだ。これは面白いので一日一回にしようと思っている。すぐに爪がなくなったら、つまらぬからな」
女王は冷酷な笑みを見せた。ユゼフはシーツに滲んだ赤い染みを見つめる。ギュッと結んだ口の中、強く奥歯を噛み締めた。
「そちの役割は今の話をディアナに伝えることだ。なるべくショックを受けさせぬようにな? 医者の話だと、脳はほとんど虫に食われてしまっているはずだと。一ヶ月も魔虫が体内にいたら、そうなる。もう二度と、目覚めることはないだろう。こいつはディアナに子種を授けるだけの道具だ……王子を授かれば処分する」
子種……脳がほとんど食われた状態で意識もない。こんな状態で女の体に子種を宿すことなどできるのだろうか……
ユゼフの心に浮かび上がった疑問は、即座に解消された。
「“アレ”のことなら心配ない。こんな状態であっても、刺激を与えればちゃんと機能する。侍女に確認させた」
茫然自失のあと、ユゼフが思い浮かべたのは義母と実母のことだった。母とはなんたるや……
義母のバルバラ・ヴァルタンは厳しかったが、意地悪ではなかった。躾のために折檻することはあっても、苦痛を与えるためだけに体を傷つけたり、それを見て喜んだりはしなかった。イアンのせいでユゼフがケガをした時も、激怒してローズ家に押しかけたし、いじめられていないか、学院での様子を気にかけてもくれた。
実母は望まぬ子だったというのに、ユゼフを深く愛してくれた。
恐ろしい父に追いすがってまで、ユゼフを手放したくないと泣いて拒否したし、宦官の話が出た時だって……ザラザラした石の上に何時間もひざまずいて、父に懇願した。
ユゼフの知る母親像とは、こういうものだ。絶対的な存在であると共に、子供のために献身する。だから、ナスターシャの行動は理解できなかった。
いくら望まぬ妊娠だったとしても、我が子に対してこんなにも酷い仕打ちをするものだろうか?
女王は辱められたことを他人事のように話していた。激しい気性なのにもかかわらず、怒りを爆発させることもなかった。なによりサチは、ナスターシャ女王に全然似ていない……
はっきりした根拠はないものの、女王は嘘をついている──ユゼフはそんな気がした。
「かしこまりました。陛下。ディアナ様には、明日までにお話しいたします」
ユゼフの機械的な返答を聞き、女王は満足そうに微笑した。
部屋をあとにし、階段を上り終わるころには、ユゼフの気持ちは固まっていた。明日は薔薇の月の八日だ。シーマとの約束の日である。
鳥の王国とグリンデル、魔国の国境が交わる場所へディアナを連れて行く……
──ディアナ様をこの城から連れ出す。サチも一緒に……
回廊に出てから女王と別れる。侍女に城の外まで案内された。その途中、偶然、サチを診た医者とすれ違った。
「あの……お待ちを!……女王陛下に話したのはあなたですね?」
目を合わせず、そのまま通り過ぎようとする医者をユゼフは呼び止めた。このヤブ医者はサチがまもなく目覚めると嘘をついて、まるで違う話を女王にしていたのだ。一言ぐらい文句を言ったっていいだろう。
「何のことかね?」
「我々の天幕にいた病人のことです。どうして陛下に話されたのですか? 顔をいやにジロジロご覧になってましたが……」
医者の顔色が変わった。不健康なシワシワの紙色が土気色になり、小刻みに震えだす。
「化けて出てきたのかと思ったのだ。自分を裏切った者たちに復讐するために……」
「……化けて?」
「クラウディア様が……」
ほとんど聞き取れぬ小声で言うと、医者は逃げるように走り去った。




