132話 サチ・ジーンニアの正体
それから一時間後、女王の使いが宿営地にやってきた。
ユゼフは心ここにあらずの状態のまま、登城せねばならなかった。
足に神経を集中させ、内へ向かおうとする心をなんとか追い出そうとする。ひんやりする大理石の床を踏みしめた。冷気は靴底を介して足裏を通り、体内に侵入する。荒れた気持ちは落ち着かせようがなかった。
侍従に案内され、長い回廊を過ぎ、ユゼフは玉座の間に通された。がらんとした広間を横切った一番奥、数段上がった所に玉座は据えられている。
ここに来るのは初めてではない。三日前、着いてすぐにユゼフは女王との謁見を許された。
グリンデル女王ナスターシャは噂にたがわず、四十代とは思えないほど若々しく美しかったが、眉間には深いしわが刻まれ、高すぎる鼻とつり上がった眉が尊大な性格を現していた。
「そのほうがユゼフ・ヴァルタンか。謀反人に奪われた我が姪ディアナを取り戻したこと、感謝いたす。ディアナは時間の壁が消えるまでの十ヶ月間、この城にとどまらせる。当然のことだが、侍従であるそちや生き残りの家来に関しては、一緒にとどまることを許可しよう。だが、城のそばで宿営しておるそちが雇った傭兵たちは、三日以内に立ち去らせよ。話は以上だ。下がるがよい」
有無を言わせぬ空気だった。女王は一方的にしゃべった後、ユゼフを下がらせた。こちらから口を挟める余地はない。冷厳な態度は義母を彷彿とさせた。
しかし今、ユゼフは玉座を前にしても力まなかった。千々に乱れた心に回復の兆しは見られない。初めての恋、初めての失恋──こんな状態で、女王を前にうまく話せる自信は皆無だ。
カツカツ、回廊を歩く足音と氷のような気配がこちらへ近づいて来る。女王と侍女たちだ。
ユゼフはひざまずいて女王が来るのを待った。
ピタリ、足音は止まる。心を平静に保たなくては……ユゼフは自分に言い聞かせる。
息を吸って吐くほんの短い間。両開きの重い扉が音を立てず、開け放たれた。
黒いドレスが女王の細いシルエットをはっきり浮かび上がらせている。金髪に近い栗毛は艶があり、長身によく合っていた。
一瞬だけ女王の姿を確認し、ユゼフは首を垂れた。
「イザベラ・クレマンティから聞いている。あの子の件で話がしたいとか……」
女王の発した第一声はそれだった。
──あの子?
あの子というのはディアナのことだろうか? イザベラが? どういうことだ?──ユゼフは困惑した。
「突然引き取りに行ったから、昨晩は驚かせてしまったようだな? あの子のいる部屋まで案内しよう。イザベラの話だと、そちはあの子と親しかったそうだから、歩きながら話を聞きたい。なんでも、同じ学院の同級生だったとか?」
そこまで聞いて、初めてユゼフは理解した。「あの子」というのはサチのことだ。ディアナの代わりにイザベラがサチのことを伝えてくれたようだ。それにしても、「あの子」というのは……
冷え切った回廊に出ると、女王は話し始めた。ユゼフはやや下がった位置に並ぶ。
「どういう運命のいたずらか、病気がちだった妾の一人息子、アンリが二ヶ月前……時間の壁が現れる数日前に亡くなった。本当はアンリとディアナを結婚させるつもりで、クロノス国王と縁談を進めていたのだが……」
──そうか……やはり、カワウの王子との婚約は、反故にするつもりだったんだ……
女王はユゼフの心を見透かし、わずかに目尻を下げた。
「縁談話が先に出たのはカワウのほうと聞いている。カワウは婚約までなんとか取り付けたが、ディアナが王妃になるなら、裕福なグリンデルのほうがいいに決まっている。男色家の王子に難癖つけて、婚約を反古にするのは容易かったはずであろう」
男色家か……ユゼフには思い当たらないこともない。かの王子と直接対面した時、生理的な嫌悪感が沸いた。
「……あの王子、何者かに暗殺されて大騒ぎになっているが……そんなことより、そちの話が聞きたい……親しいのだろう? あの子と……名前はなんと言ったか?」
「サチ・ジーンニアです。陛下」
「そんな名前だったか……で、学院での様子はどうだったか?」
「とても優秀でした」
「後ろ盾のない者が貴族の学院に行って、いじめられたりは?」
「……それも少しありました」
ユゼフの返答に対し、女王は背筋を凍らせるような笑みを浮かべた。
「どんなふうにいじめられていた? 使用人のような扱いを受けていたか? 惨めで哀れな様子ではなかったか?」
質問を矢継ぎ早にしてくる。なぜか嬉しそうだ。
「……入学したばかりのころは、一部の学生に暴力を振るわれることがありました。ですが……」
思わずイアンの名前が出そうになり、ユゼフは言葉を切った。
「ですが、人に好かれる性格だったので、次第にいじめはなくなりました」
この返答は女王を不機嫌にさせた。邪悪な笑みは消え、険しい表情に戻る。
ツルツルに磨かれた石の床を硬質な足音が過ぎていった。女王、ユゼフ、侍女たちの順に異なる音を響かせる。入り組んだ回廊は足音がこだまするだけになった。
「ローズ家に仕えていたと聞いたが……どのように扱われていたのか?」
ふたたび、女王が沈黙を破った。やはり、サチとローズの関係を知っていたようだ。
「ローズ家では、下男の仕事をしていたと聞いています。巻き込まれ、イアン・ローズに付き従って魔の国まで行きましたが、謀反には関わっておりません」
ユゼフは「下男」という言葉を強調した。謀反と無関係ということをアピールしたい。サチから聞いた話では多種多様な雑用を任されていて、下男とは少し違うのだが……
魔国との国境付近の調査や警備の手伝い、貢納関係の帳簿の点検・整理、他にはローズ家の婿ハイリゲ卿の公務に関する書類を仕分けたり、城に人が集まるときなどは食材や花の買い付け、出す料理の指示まで……内容は多岐にわたり、兵士、秘書、執事の仕事を一挙に引き受けていた。
最初はイアンの従僕としての役割を与えられていたのだが、有能だったため、各方面からさまざまな仕事を任されるようになったのである。
回廊の突き当たりに地下へ続く階段があった。のぞき込んだ先は真っ暗闇だ。侍女が先頭に立ち、ランプをかざした。
女王はドレスの裾を軽く摘まみ、階段を下り始めた。
うんざりするほど長い階段は子供のころ、閉じ込められた地下室に似ていた。一段下りるたびに、憂鬱がユゼフを侵食していく。
「そういえば、そちの傭兵は今日中に立ち去るのだろうな?」
女王が尋ねた。
「はい。三日以内とうかがっておりましたので、天幕を片付けさせております。ただし、今から申し上げる者に関しては、留まらせていただきたく存じます。私の従者、学匠の弟子、旅の途中で出会ったエリザベートという女剣士、ダリアン・アスターという報奨目的でついてきた者、この四人でございます」
「その中に亜人はおるまいな? 妾は亜人が大嫌いなのだ」
「……おりません」
ラセルタはユゼフについて行きたいというので、残ることになった。
ラセルタのことはどうにかしないとまずい……トカゲの尻尾や角を隠さねば。
ユゼフが考えあぐねている間に、部屋にたどり着いた。木の扉は古く、ひどく黒ずんでいる。侍女が鍵を開け、燭台に火を灯した。
ふっと炎が揺らめき、室内にやわらかな明かりが広がると、ベッドに寝かされているサチが見えた。
狭い部屋にはベッドと燭台の他に家具はない。小さな灯し火だけで部屋は充分明るくなった。
女王は侍女を全員下がらせ、扉を閉めさせた。
部屋に残ったのはユゼフと女王だけになる。内緒話をするのは明白である。とたんに女王は邪悪な笑みを復活させた。
「この者の正体は……妾の息子、王子である」
からかわれているのか、悪い冗談のつもりなのかとユゼフは思った。
「冗談ではないぞ? 本当のことだ。体に王家の印もあったから間違いない。グリンデル王家の直系は赤子のうちに、グリンデル水晶を臀部に埋め込む。城の地下にある巨大な鉱石の塊を削り、体内へ入れるのだ。一族が離れ離れにならぬよう願いをこめるところまでは民と同じであるが、王族は祈祷し、罰印で封印する」
いかにも、サチの尻には葡萄の小粒ほどのバツ印があった。
「どうせ、城にとどまれば、わかることだから話した。亡くなったアンリの代わりにこの……本当の名はシャルルというのだが、シャルルとディアナを結婚させる。ディアナにはおまえから話してほしい」
肝を潰すユゼフを無視して、女王は話を続けた。
「こやつは病弱のアンリの保険として生かしておいた。私生児だ。だが普通の私生児ではない。グリンデルの血以外に、こやつには穢れた血が流れている……そちがまだ幼いころの話だが、八年前のグリンデル騒動を耳にしたことがあるだろう?」
八年前、時間の壁が現れた年……ユゼフがヴァルタン家に迎えられたのとほぼ同じころ……グリンデルでは王位を巡って一悶着があった。
王妃が処刑され、二人の幼い王子までもが命を絶たれたのである。この話はグリンデルの悲劇と語られ、アニュラス中に広まることとなった。
話は四十年前にさかのぼる……




