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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)七章 グリンデル王国の秘密
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131話 ディアナ様を愛してる

 ミリヤとの情事が終わった直後だった。

 ユゼフの天幕に、厳つい男たちがやってきた。ガチャガチャ甲冑の擦れ合う音がしたかと思ったら、十人ぐらいだろうか……押し入ってきたのである。


「女王陛下の命である」


 とか言って……

 強面の男たち、しかも騎士の正装をしている。彼らを前にユゼフができたことと言えば、全裸のミリヤを抱き寄せ、ブランケットで体を隠してやることぐらいだった。

 彼らの目的はユゼフでもミリヤでもなかった。唖然とするユゼフを尻目に、彼らは天幕の奥へと進んだ。

 奥にいるのは、童子のような無垢な寝顔をさらす清廉な人。真善美を授かった稀有(けう)な存在。世俗的な価値を持たずとも、強く人を惹きつける。


 サチ・ジーンニア。


 無骨な手は正義の人に伸びた。オートマトンのごとき無愛想面をした彼らが運び出したのは、サチだったのである。

 思いもしなかった出来事にユゼフは混乱した。彼らが去ったあと、天幕の布がめくれ上がったのを直しもせず、ぼうっと眺める。

 そんな状況下、ミリヤはサササッと服を着て、


「大変! わたし、もう戻らないと! ユゼフ、またね!」


 いやにさっぱりと別れを告げた。もっと睦み合うと思っていたユゼフは、拍子抜けしてしまった。あまりに淡白過ぎやしないかと。ことに及ぶまでの甘美で切ないやり取りは、いったいなんだったのか。あんなにも情熱的に求め合ったあとだというのに。

 冷静に考えてみれば、彼女は侍女としての勤務中に抜け出してきたわけで、だらだらイチャつく余裕はないのだろう。淋しいような、名残惜しいような……

 ミリヤとの甘い夜は不穏な夜へとすりかわる。情事の余韻を楽しむどころではなくなってしまった。

 どうしてサチは連れて行かれたのか?


 考えられる理由は一つ。ディアナが女王に、サチのことを謀反人の家来だと話した。そうとしか考えられなかった。

 理不尽だとユゼフは思った。サチは、なんの地位も持たぬただの奉公人だ。たまたま奉公先が謀反を起こしたというだけである。謀反と無関係だと証明できなければ、命すら危ぶまれる。


 ユゼフは悶々と一夜を過ごした。翌朝、憤りを抑えつつ、ディアナのもとへ向かったのである。ミリヤのことはすっかり忘れていた。

 気が立っているのを勘づかれぬよう部屋の前で、いったん深呼吸する。

 サチのこと以外にも、盗賊たちのこともある。アスターの小言には腹が立つが、彼らが不相応な扱いを受けているのは事実だ。アスターの言うとおり、顔ぐらい見せてほしい。ディアナには、命がけで戦った者たちを(ねぎら)う義務がある。

 事前に使いをやり、謁見は承諾されているから、ユゼフは遠慮なくノックした。トントンと乾いた音が緊張感に拍車をかける。いや、今日は緊張感より「言ってやるぞ」という意気込みのほうが強い。

 しかし、中へ入ってから即座にユゼフの気勢は削がれた。


 侍女たちが(おび)えた表情でこちらを見ている。部屋の中は冷え冷えとしていた。

 ディアナは昨日とは別人のように髪を振り乱し、鋭い目つきでユゼフを睨んでいた。眉は釣り上がり、顔は怒りで紅潮している。その横には澄まし顔のイザベラがいて、少し下がったところに……ミリヤがいた。

 ミリヤは小刻みに震え、片頬を真っ赤に腫らしていた。


「昨晩、ミリヤにあなたを呼びに行かせた」


 ディアナは怒気を(はら)んだ口調で話し始めた。


「なかなか戻ってこないから、イザベラに様子を見に行かせた。そしたら……」


 ディアナは唇を噛んだ。熱い溶岩のごとき憤怒が、口から噴出してしまうのを抑えているかのようだ。

 ユゼフの小さな憤りは引っ込んでしまった。状況から何があったかぐらいは予測できる。上っていた血がサーーと引いていった。

 言葉を続けられないディアナの代わりに、イザベラが口を開いた。


「トカゲみたいな子に案内されてあなたの天幕へ行った。そしたら天幕の中からミリヤの声が聞こえたの……その、なんというか……私の口からは、はしたないのでこれ以上は申せませんわ」


 イザベラは冷ややかな視線をディアナへ返す。ディアナは充血した目を潤ませている。


「よくも、よくも、私の侍女に手を出してくれたわね!」


 ディアナは握り締めた拳をわなわなと震わせた。流れ落ちる涙と共に、抑えていた言葉が溢れ出る。


「私は戻ってきたミリヤを問い詰めた……ミリヤの話だとあなたを呼びに天幕へ入ると、無理やり押し倒された、と……そうよね? ミリヤ」


 ミリヤはブルブルしながら、うなずいた。萎縮しきった様子はまるで子兎のようだ。他にも折檻を受けているのかもしれない、とユゼフは思った。


「ミリヤの言っていることは本当かしら?」


 ディアナは声を震わせ、今度は怒りではなく、何かを切望する目でユゼフを見つめた。

 この場合、どう答えるのが正解だったのか。

 ミリヤは二つ、嘘をついている。ディアナの使いではなくて、自分の意志で会いに来たとユゼフには言っていた。彼女が誘ったから、まぐわったのである。押し倒してはいない。

 だが、返答するうえで選択肢はなかった。


「はい。間違いありません」


 ユゼフは即答した。

 赤い頬のミリヤを前にして、躊躇(ためら)わなかった。本当のことを言えば、ディアナはユゼフを信じるだろうし、嘘がバレればミリヤはもっとひどい目にあわされる。

 ユゼフは感情を押し殺した。


「以前からミリヤのことが好きでした」


 この嘘を言うと、すべての感情が奪われる、そんな感じがした。

 ユゼフの感情が失われていくのと同時に、ディアナの心も離れていく。精気が読めるユゼフには、皮膚で感じ取れた。


 ディアナの目から怒りが消えていった。

 残ったのは、砂漠となった心に空いた穴だ。紅潮していた頬は瞬く間に血の気を失い、瞳は死人のそれとなる。ディアナはぼんやりと遠くを見つめた。


「もう下がっていい」


 それだけ言い、ディアナは後ろを向いた。

 ユゼフはディアナのことを幼いころから知っている。おかしな話だが、ろくに顔すら見たことがなかった。顔を見られなかったのは身分差や性差、諸々の事情からだ。ユゼフは無意識のうちに精気を読み取って、彼女を認識していた。

 彼女の顔立ちをはっきり目に焼き付けたのはごく最近である。盗賊に追われ、逃げていたとき。心から美しいと思った。美しいのに既視感があり、郷愁に駆られた。

 生きた深緑の瞳のきらめきは宝石の非ではない。(まばゆ)い金髪は触れていなくても柔らかいのがわかる。それより柔らかいのは花弁を思わせる唇。温かい陶器の肌は喜怒によって繊細な皺を刻む……彼女のすべてが愛しい。


 五首城でディアナに抱きつかれた時のことを、ユゼフは振り返った。

 ディアナを必死に守ったのは、彼女のためではなく、シーマのためだった。だから、罪悪感で心が痛むのだと思い込んでいたのだ。

 今はその時とは比べ物にならないほど、胸が締めつけられる。


 一目惚れだったのだ。


 ──そうか……俺はこの人を、ディアナ様のことを愛しているんだ……


 初めて気づく事実には一縷(いちる)の希望もなかった。気づいたところで、終わってしまったのである。

 想おうが、どうにもならないのは最初からわかっていた。

 ディアナはシーマが王になるための道具。彼女は国の第一王女としてシーマと結婚する。そのために、そのためだけに守ってきた。

 どのみち、愛し合うことは叶わない。


 ──だから、よかった。これでよかったんだ……


 ユゼフは一歩下がり一礼してから、出て行こうと思った……そこで、最も大切なことを思い出した。そもそも訪ねた理由、サチ・ジーンニアの件だ。あやうく忘れるところだった。


「あの、ディアナ様……まだお話ししたいことがございます。サチ・ジーンニアのことなのですが……」


 ディアナの背中に向かって言うのは勇気がいったが、これを話さずに帰るわけにはいかない。

 気まずい沈黙が流れた。

 華奢な背中は動かない。それでも、ユゼフは話を続けた。


「サチ・ジーンニアは昨夜突然、女王陛下の命により城内へ連れて行かれました。ディアナ様がお話しされたことが原因かと思われます。もし、謀反人の一味と誤解されているのであれば、誤解を解かせていただきたいと……」

「なにを言ってるの!? 早く下がれと言っているのよ!」


 ディアナは突然、風船がパンと割れたかのように声を荒げた。


「ですが、サチは謀反とは無関係で……」

「そんなこと、知らないわよ! おまえのゴミみたいな友達がどうなろうが、関係ないわ。早く部屋から出て行って!」


 イザベラが何か口を挟もうとしても、余地はなかった。ディアナは壁に向かって怒鳴った。


「おまえの顔なんか二度と見たくない! あの(けが)らわしい盗賊たちとともに、どこかへ行ってしまうがいいわ。今後一切、私の前に姿を現さないでちょうだい! すぐに出て行かないのなら、城の人間を呼ぶわよ!」


 甘い夢は霧散した。

 これがディアナだ。わがまま、横暴、意地悪。ずっとまえから知っていたではないか。

 ユゼフは立ち去るほかなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「よくも、よくも、私の侍女に手を出したわね!」  ディアナは握り締めた拳をわなわな震わせた。流れ落ちる涙とともに、抑えていた言葉が溢れ出る。 ……引用失礼します。 ユゼフには悪いですが…
[良い点] 第141話まで拝読しました〜\(//∇//)\ 成長するたびに、ユゼフの能力が表面化してきて、さらに苦悩を匂わせるあたり…。 悩めるイケメンはさらに魅力倍増(((o(*゜▽゜*)o))) …
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