131話 ディアナ様を愛してる
ミリヤとの情事が終わった直後だった。
ユゼフの天幕に、厳つい男たちがやってきた。ガチャガチャ甲冑の擦れ合う音がしたかと思ったら、十人ぐらいだろうか……押し入ってきたのである。
「女王陛下の命である」
とか言って……
強面の男たち、しかも騎士の正装をしている。彼らを前にユゼフができたことと言えば、全裸のミリヤを抱き寄せ、ブランケットで体を隠してやることぐらいだった。
彼らの目的はユゼフでもミリヤでもなかった。唖然とするユゼフを尻目に、彼らは天幕の奥へと進んだ。
奥にいるのは、童子のような無垢な寝顔をさらす清廉な人。真善美を授かった稀有な存在。世俗的な価値を持たずとも、強く人を惹きつける。
サチ・ジーンニア。
無骨な手は正義の人に伸びた。オートマトンのごとき無愛想面をした彼らが運び出したのは、サチだったのである。
思いもしなかった出来事にユゼフは混乱した。彼らが去ったあと、天幕の布がめくれ上がったのを直しもせず、ぼうっと眺める。
そんな状況下、ミリヤはサササッと服を着て、
「大変! わたし、もう戻らないと! ユゼフ、またね!」
いやにさっぱりと別れを告げた。もっと睦み合うと思っていたユゼフは、拍子抜けしてしまった。あまりに淡白過ぎやしないかと。ことに及ぶまでの甘美で切ないやり取りは、いったいなんだったのか。あんなにも情熱的に求め合ったあとだというのに。
冷静に考えてみれば、彼女は侍女としての勤務中に抜け出してきたわけで、だらだらイチャつく余裕はないのだろう。淋しいような、名残惜しいような……
ミリヤとの甘い夜は不穏な夜へとすりかわる。情事の余韻を楽しむどころではなくなってしまった。
どうしてサチは連れて行かれたのか?
考えられる理由は一つ。ディアナが女王に、サチのことを謀反人の家来だと話した。そうとしか考えられなかった。
理不尽だとユゼフは思った。サチは、なんの地位も持たぬただの奉公人だ。たまたま奉公先が謀反を起こしたというだけである。謀反と無関係だと証明できなければ、命すら危ぶまれる。
ユゼフは悶々と一夜を過ごした。翌朝、憤りを抑えつつ、ディアナのもとへ向かったのである。ミリヤのことはすっかり忘れていた。
気が立っているのを勘づかれぬよう部屋の前で、いったん深呼吸する。
サチのこと以外にも、盗賊たちのこともある。アスターの小言には腹が立つが、彼らが不相応な扱いを受けているのは事実だ。アスターの言うとおり、顔ぐらい見せてほしい。ディアナには、命がけで戦った者たちを労う義務がある。
事前に使いをやり、謁見は承諾されているから、ユゼフは遠慮なくノックした。トントンと乾いた音が緊張感に拍車をかける。いや、今日は緊張感より「言ってやるぞ」という意気込みのほうが強い。
しかし、中へ入ってから即座にユゼフの気勢は削がれた。
侍女たちが怯えた表情でこちらを見ている。部屋の中は冷え冷えとしていた。
ディアナは昨日とは別人のように髪を振り乱し、鋭い目つきでユゼフを睨んでいた。眉は釣り上がり、顔は怒りで紅潮している。その横には澄まし顔のイザベラがいて、少し下がったところに……ミリヤがいた。
ミリヤは小刻みに震え、片頬を真っ赤に腫らしていた。
「昨晩、ミリヤにあなたを呼びに行かせた」
ディアナは怒気を孕んだ口調で話し始めた。
「なかなか戻ってこないから、イザベラに様子を見に行かせた。そしたら……」
ディアナは唇を噛んだ。熱い溶岩のごとき憤怒が、口から噴出してしまうのを抑えているかのようだ。
ユゼフの小さな憤りは引っ込んでしまった。状況から何があったかぐらいは予測できる。上っていた血がサーーと引いていった。
言葉を続けられないディアナの代わりに、イザベラが口を開いた。
「トカゲみたいな子に案内されてあなたの天幕へ行った。そしたら天幕の中からミリヤの声が聞こえたの……その、なんというか……私の口からは、はしたないのでこれ以上は申せませんわ」
イザベラは冷ややかな視線をディアナへ返す。ディアナは充血した目を潤ませている。
「よくも、よくも、私の侍女に手を出してくれたわね!」
ディアナは握り締めた拳をわなわなと震わせた。流れ落ちる涙と共に、抑えていた言葉が溢れ出る。
「私は戻ってきたミリヤを問い詰めた……ミリヤの話だとあなたを呼びに天幕へ入ると、無理やり押し倒された、と……そうよね? ミリヤ」
ミリヤはブルブルしながら、うなずいた。萎縮しきった様子はまるで子兎のようだ。他にも折檻を受けているのかもしれない、とユゼフは思った。
「ミリヤの言っていることは本当かしら?」
ディアナは声を震わせ、今度は怒りではなく、何かを切望する目でユゼフを見つめた。
この場合、どう答えるのが正解だったのか。
ミリヤは二つ、嘘をついている。ディアナの使いではなくて、自分の意志で会いに来たとユゼフには言っていた。彼女が誘ったから、まぐわったのである。押し倒してはいない。
だが、返答するうえで選択肢はなかった。
「はい。間違いありません」
ユゼフは即答した。
赤い頬のミリヤを前にして、躊躇わなかった。本当のことを言えば、ディアナはユゼフを信じるだろうし、嘘がバレればミリヤはもっとひどい目にあわされる。
ユゼフは感情を押し殺した。
「以前からミリヤのことが好きでした」
この嘘を言うと、すべての感情が奪われる、そんな感じがした。
ユゼフの感情が失われていくのと同時に、ディアナの心も離れていく。精気が読めるユゼフには、皮膚で感じ取れた。
ディアナの目から怒りが消えていった。
残ったのは、砂漠となった心に空いた穴だ。紅潮していた頬は瞬く間に血の気を失い、瞳は死人のそれとなる。ディアナはぼんやりと遠くを見つめた。
「もう下がっていい」
それだけ言い、ディアナは後ろを向いた。
ユゼフはディアナのことを幼いころから知っている。おかしな話だが、ろくに顔すら見たことがなかった。顔を見られなかったのは身分差や性差、諸々の事情からだ。ユゼフは無意識のうちに精気を読み取って、彼女を認識していた。
彼女の顔立ちをはっきり目に焼き付けたのはごく最近である。盗賊に追われ、逃げていたとき。心から美しいと思った。美しいのに既視感があり、郷愁に駆られた。
生きた深緑の瞳のきらめきは宝石の非ではない。眩い金髪は触れていなくても柔らかいのがわかる。それより柔らかいのは花弁を思わせる唇。温かい陶器の肌は喜怒によって繊細な皺を刻む……彼女のすべてが愛しい。
五首城でディアナに抱きつかれた時のことを、ユゼフは振り返った。
ディアナを必死に守ったのは、彼女のためではなく、シーマのためだった。だから、罪悪感で心が痛むのだと思い込んでいたのだ。
今はその時とは比べ物にならないほど、胸が締めつけられる。
一目惚れだったのだ。
──そうか……俺はこの人を、ディアナ様のことを愛しているんだ……
初めて気づく事実には一縷の希望もなかった。気づいたところで、終わってしまったのである。
想おうが、どうにもならないのは最初からわかっていた。
ディアナはシーマが王になるための道具。彼女は国の第一王女としてシーマと結婚する。そのために、そのためだけに守ってきた。
どのみち、愛し合うことは叶わない。
──だから、よかった。これでよかったんだ……
ユゼフは一歩下がり一礼してから、出て行こうと思った……そこで、最も大切なことを思い出した。そもそも訪ねた理由、サチ・ジーンニアの件だ。あやうく忘れるところだった。
「あの、ディアナ様……まだお話ししたいことがございます。サチ・ジーンニアのことなのですが……」
ディアナの背中に向かって言うのは勇気がいったが、これを話さずに帰るわけにはいかない。
気まずい沈黙が流れた。
華奢な背中は動かない。それでも、ユゼフは話を続けた。
「サチ・ジーンニアは昨夜突然、女王陛下の命により城内へ連れて行かれました。ディアナ様がお話しされたことが原因かと思われます。もし、謀反人の一味と誤解されているのであれば、誤解を解かせていただきたいと……」
「なにを言ってるの!? 早く下がれと言っているのよ!」
ディアナは突然、風船がパンと割れたかのように声を荒げた。
「ですが、サチは謀反とは無関係で……」
「そんなこと、知らないわよ! おまえのゴミみたいな友達がどうなろうが、関係ないわ。早く部屋から出て行って!」
イザベラが何か口を挟もうとしても、余地はなかった。ディアナは壁に向かって怒鳴った。
「おまえの顔なんか二度と見たくない! あの穢らわしい盗賊たちとともに、どこかへ行ってしまうがいいわ。今後一切、私の前に姿を現さないでちょうだい! すぐに出て行かないのなら、城の人間を呼ぶわよ!」
甘い夢は霧散した。
これがディアナだ。わがまま、横暴、意地悪。ずっとまえから知っていたではないか。
ユゼフは立ち去るほかなかった。




