129話 サチを医者に見せる
黒いローブをまとった医者は、迷惑そうな顔でユゼフを見た。ディアナの依頼で、イヤイヤ来たのだろう。城仕えの高給取りが、なぜ傭兵ごときのケガを診なくてはならぬのか──といったところだ。
医者の態度に不信感を抱きつつも、ユゼフはサチが眠る天幕へ案内した。
好奇心旺盛なレーベとアスターもついてくる。ユゼフの健康状態には無関心なくせに、野次馬根性だけはある。
尊大な医者の態度は天幕に入るなり一変した。至って真剣にサチの呼吸を確認し、脈を調べ、顔色を見始めたのである。ホッとしたユゼフは、胸を刺した時の状況や魔甲虫に寄生されていたことを手短に説明した。
──やはり、マイスターだな
感心はしたが、医者がサチの顔を何度ものぞき込む動作には違和感があった。老齢だし、目が悪いのかもしれない。
「虫が……体内を出てから……えと、四日目ということだね?」
医者の質問にユゼフは首肯した。
ユゼフの天幕の中、敷藁で作った簡易なベッドにサチは寝かされている。寝顔は穏やかで頬と唇は赤い。今にも起き上がりそうなのに、瞼は固く閉ざされたままだ。
「彼はグリンデルの出身かね?」
「は?」
医者が突然脈絡のない質問をした。あれか、その道のプロならではの……雑談から症状に関する情報を得ようとしているのか。そう思い、ユゼフは正直に答えた。
「……いえ。内海の出身ですが……」
「グリンデルに親戚がいるとか、聞いてない?」
「聞いてません……」
医者は直に耳をつけて心音を確認した。サチの心音と呼吸は規則的だ。雑音もなし。ユゼフには触れなくともわかる。呼吸が乱れているのは医者のほう。そのうえ、指まで震えている。まあ、年寄りだから仕方があるまい。
「胸の刺し傷は……ハァハァ……魔術師が治したということだが……ふっ……ふ、ふふふふふ、服を脱がせて見せてもらってもいいかな?」
医者は鼻息荒く、どもった。どもりは仕方ない。ユゼフも同じだから、気持ちはよくわかる。
ユゼフはラセルタに手伝わせ、サチのチュニックを脱がせた。
傷痕はユゼフが残したものだけではなかった。肩と腹に一つずつ、胸には三つ、ユゼフが刺したのも合わせると、合計六つの刺し傷がある。腹以外の傷は四つとも貫通しており、背中の同じ位置にも傷痕があった。
痛々しい。サチのこれまでの壮絶な歩みを垣間見た気がして、ユゼフは顔を背けたくなった。
……と、アスターが強く腕をつかんでくる。
「!?」
アスターが目配せした先には、だらんと伸びて床につきそうな左腕がある。上腕の内側に見覚えのある傷痕があった。
それはユゼフの左腕にあるのと同じ……一見するとただ直線に切っただけの傷だが、微量の魔力を帯びているのがわかる。
『臣従の誓い……』
誓いを立てた相手は一人しかいない。イアンだ。そして、サチがまだ生きているということは……イアンも死んでいない。
──でも、なんでサチがイアンと?
ユゼフの知っているサチの性格からは考えられなかった。サチが誰かにひざまずく、しかもその相手がイアンとは……
イアンに借りがあるのは知っている。いじめられていたサチを助けたのはイアンだし、ローズ家へ奉公することになったのも、イアンの口添えがあってこそ……だとしても……
医者は聴診器で心音を聞き始めた。
「心音はまったく問題ない……たぶん、心臓を刺したというのは勘違いではないかな? たぶん、刺されたショックで呼吸が止まることはあるから……たぶん、傷口もきれいに塞がって膿んでる様子もないし……たぶん、すぐに目覚めるだろう。汗をかいたり、代謝もあるから体を拭いてやって、下着も替えてやるといい」
──いやに、“たぶん”を連発するなぁ……いやいや、何事も断定をしてはいけないもんな? 用心深いんだろう
医者が自分と同じどもりということがわかったので、ユゼフは親近感を持った。だが、説明の最中、老医者はサチを横向きに寝かせ、腰へ手を伸ばした。そして、下着の紐を解き始めたのである。
──そうそう、できるマイスターは下も確認しないと……
……んなわけあるか!!
「あの、何を!?」
「便や尿は出ていないかと思って……」
「ずっと寝てるんです。出るわけないでしょう?」
ユゼフは医者の枯れ枝のような手首をつかんだ。途中まで脚衣は下ろされ、臀部にバツ印の傷が見える。本当にサチの体はかわいそうなくらい傷だらけだった。
「すっ、すまない。そうでしたな」
医者がサチから手を離したので、ユゼフは脚衣を直してやった。さっきから、プルプル震えているし、ボケているのか?この医者は? せっかく安心したのに、ユゼフはまた不安になった。
「では、わしはこれで失礼する」
医者はそそくさと天幕を後にした。逃げるようにと表現するのが妥当だろう。後ろめたいことがなければ、もっと堂々としていられる。
医者の去ったあと、まず口を開いたのはレーベだ。
「あれ、絶対ヤブですよ」
「だろうな。しかも男色家ときた」
アスターが相槌を打つ。彼らはいつまでここにいるつもりなのか。ユゼフにとっては鬱陶しいこと、このうえない。
「二人とも出て行ってくれないか? サチの体を拭いてやるから」
「別に出て行く必要はなかろう。手伝いもせんがな?」
ユゼフはそれ以上追究せず、ラセルタに湯を用意するよう命じた。アスターとレーベはユゼフに構わず、おしゃべりを続ける。
「んなことより、生きてるぞ?」
「ですね」
「聞いてるか、ユゼフ? イアンが生きてる」
その言葉は実際に音として耳に入ると、現実味を増した。
「まあ生きていたとしても、何かできるとは思わぬ……だが、シーマの弱みを握っている可能性がある。ニーケ王子の存在もあるしな? おまえのシーマはちゃんと立ち回れるかな?」
「シーマなら大丈夫」
自分でも驚くほどの確信を持って、ユゼフは答えた。単体でシーマ対イアンなら、間違いなくシーマに軍配が上がる。イアンは馬鹿だし、一人では生きていけない。
「あと、報酬の件だ。シリンに聞いたら、はした金を渡されただけじゃないか? もちろん、時間の壁がなくなったら、ガーデンブルグ王家から正式に支払ってもらうが、ナスターシャ女王は王女の伯母だ。前金として相応の額を支払うべきだろ?」
「今、交渉中だ」
「本当に大丈夫か? 私が直接王女と話そうか?」
「それはやめたほうがいい」
「なぜだ?」
「アスターさん、王女様の侍女に傷をつけたのを忘れたの?」
以前、アスターがミリヤに何をしたか、盗賊たちから話を聞いていた。
盗賊たちは捕えたミリヤからディアナの居所を聞き出そうとしたのだが、うまくいかなかった。その時、出会ったばかりのアスターがしゃしゃり出てきたのだ。「おまえらは拷問のやり方をわかってない」とか何とか言って、突然ミリヤの手に釘を刺したという。
第一印象があまりに強烈だったため、この一件は盗賊たちの間で語り草となっていた。
「ああ、あの女か。あれは曲者だ。嘘泣きで腑抜けの盗賊どもの憐憫を誘おうとしてたから、痛い目に遭わせてやったまで。なに、手に小さな穴が空いただけだ。すぐに塞がっただろう。そのあと、ケロッとしてバルバソフを誑し込んでいたからな? 同情せんでいい」
「まだ十七、八の女の子だよ。怖かっただろうに……こんな髭面のオヤジに暴行されて……」
「髭面は関係ないだろうが。女の商売道具には傷つけてないしな? 私は嘘泣きする女は嫌いなのだ」
ラセルタが湯を運んできたので、ユゼフは手拭いを浸した。
アスターに何を言っても無駄だ。自分のやること、なすことすべてに揺るぎない自信を持っている。批判を受け付けようとしない。
ユゼフは手拭いを絞って、サチの顔から拭き始めた。
「ユゼフ、まだある。ディアナ王女は盗賊たちの前に姿を現したか?」
「……いや」
「あいつらは盗賊だが、命をかけて戦った。姿を現して一言でもいいから声をかけてやるのが筋だろう」
「それは俺も思った……でも」
「でもはない。そうすべきだ。人の上に立つ者なら、なおさら」
「そんなこと、俺に言われても……」
「じゃあ、誰に言うのだ?」
ユゼフは堪忍袋の緒が切れそうだった。再会した直後は冷淡だったくせに干渉はしてくる。口うるさいのは勘弁してほしかった。
ユゼフは語気を強め、目に怒りを含ませた。
「王女様とはまた話す。アスターさんもレーベも、出て行ってくれないか?」
「今日中に話せよ? 皆、明日には発つのだから」
アスターはユゼフの態度を意にも介さず、言い続けた。それから、不気味な植物を抱いたレーベを従え、天幕の出口で振り返り、
「女には気を付けろよ! おまえは女をわかっちゃいない!」
とどめの一言を残し、出て行った。




