127話 姫と再会
ユゼフがグリンデルの王城、百日城に到着してから二日が過ぎた。
この城は三百年前、グリンデルの英雄サウルが百日で建てたことから百日城と呼ばれている。色とりどりの百日草に囲まれた花の城だ。花は冬を除いて、ほぼ一年中咲き乱れているという。
今朝方、アスターからグリンデルの国境を越えたとの連絡があった。馬の手配を頼んだので、まもなく着く頃だろう。
──今日は薔薇の月、六日……
時間がない。二日後の正午にはシーマと約束した場所……グリンデル、魔の国、鳥の王国、三つの国の国境が交わる場所へ行かねばならない。
盗賊たちの天幕は城壁の外へ設営された。城内へ入るのを許されたのは、エリザ、イザベラ、レーベ、ユゼフのみだ。八割が亜人で占められている盗賊たちは、王子と王女を助けるという大役を担ったにもかかわらず、相応の扱いを受けることはなかった。
ユゼフはそのことに対して憤っていたこともあり、用事がなければ、城内へは入らず、外の天幕で盗賊たちと過ごした。
今、城門前で名乗り、中へ入ったのには理由がある。
──ディアナ様は聞き入れてくださるだろうか……
ディアナに頼まねばならぬことがある。ユゼフは二日前、ディアナと再会した時のことを思い出した。
グリンデルの女王、ナスターシャと謁見する直前だった。
イザベラとともに城内へ迎え入れられたユゼフは、玉座の間へ通されるまえ、ディアナの待つ部屋へ案内された。
ひと月ぶりに会うディアナは濃い赤のガウンを着ていた。艶のある金髪をうしろでまとめ、薄紅色の鹿子草の髪飾りをつけている。
彼女の姿を一目見ると、用意していた言葉は吹き飛び、頭の中は空っぽになった。
ディアナのほうは……ユゼフを見るなり、大粒の涙を流した。そして人目も憚らず、抱きついたのである。
「信じてた、あなたのこと……必ず助けに来てくれるって……」
部屋にはミリヤとイザベラしかいなかったが、ユゼフは泡を食った。旅装も解いていないし、薄汚れた状態だ。挨拶だけしたら、さっさと引き揚げるつもりだったのだ。
「ディアナ様、いけません」
ディアナを自分の体から引き剥がし、ユゼフはひざまずいた。
「ご無事だったことを嬉しく思います。私の力不足で恐ろしい思いをさせてしまい、心よりお詫び申し上げます」
やっとの思いで、それだけ言ったあとには、ユゼフの顔はおかしいくらい火照っていた。
「本当に怖かったわ! 化け物にさらわれ、ひと月も閉じ込められていたのよ……ずっと、あなたが助けに来てくれると信じて待っていた。あなただけが心の支えだったの……ユゼフ、顔を上げて」
ユゼフが顔を上げると、ディアナはしゃがんで目線を同じにした。宝石のような緑の瞳は涙で濡れている。その二つの宝石は、ユゼフを捕らえて離そうとはしなかった。
心臓が早鐘を打つ。苦しくなってユゼフは目をそらした。
「あなたが別れる時に渡してくれたお守り……ずっと肌身離さず持っていた」
ディアナは胸元で揺れていた真鍮のお守りをユゼフに見せた。太陽の周りを花開いたシャリンバイが囲んでいる。家を出るときに実母から渡された物だ。ユゼフには、とても大切な物だった。
しかし、それは古びていて、華やかなディアナには不釣り合いに思えた。急に現実へ引き戻されたような気分になり、ユゼフは下を向いた。
「王女様、あのときは敵襲を受けて動揺していました。なにか慰めになる物をお渡ししようと、とっさに渡してしまったのです。そのような粗末な物を……申しわけありませんでした」
「粗末でなんか……」
「もう、行かなくては。女王陛下をお待たせするわけにはいきません」
ユゼフはぎこちなく一礼し、ディアナに背を向けた。扉の近くにいたイザベラの冷たい視線にゾッとする。
「ディアナ様、あとでまた、お話ししましょ。伝えることが山ほどありますわ」
澄ました調子でそう言うと、イザベラは先に部屋を出て行った。彼女もまた、女王に謁見する。ユゼフは丁寧にお辞儀だけして、ディアナの顔を見ないように部屋の外へ出た。
その後、二回ほどディアナに呼び出されたが、代わりに用事を聞いてくるようエリザに行かせた。どのように接すればいいか、ユゼフにはわからなかったのである。
そのことで腹を立てていたら、頼みごとを聞き入れてはくれないだろう。
侍女に案内され、部屋へ通された時、できるだけにこやかにしようと、ユゼフは思った。
ユゼフが視界に入れば、彼女は艶やかな笑顔を満開にさせる。ディアナは光の粒を放ち、椅子から立ち上がった。横には、彫像のごとく顔を強張らせたイザベラがいる。
「お呼び出しいただいたにもかかわらず、なかなか伺えず……」
「いいの。忙しかったのでしょう?」
ディアナが頬を紅潮させ、こちらへ近づいてきたので、ユゼフは一歩後ろに下がった。
「そうよね? わかってるわ。おまえたち、少しの間、部屋の外へ出ていてちょうだい。イザベラ、あなたもよ。ユゼフと二人きりになりたいの」
ディアナは侍女たちに命令した。ぞろぞろと出て行こうとする侍女たちを見て、ユゼフは慌てた。
「待て! 君らはいてもいい」
「私が命じたのよ?」
ディアナは少しだけ声を荒げた。
全員が出て、部屋がスカスカになると、ディアナはニッコリ微笑んだ。
「やっと、二人きりになれたわね! これで、周りの目を気にしなくて済む……あ、ひざまずいたりしないで。あなたは誰にも気を使わなくていいのよ」
ディアナはそばに来て、ユゼフの両手を握り締めた。今日は編み込んだ金髪を背中に垂らしており、顔を動かすたびにふんわり香りが広がる。
「……王女様、非常に申し上げにくいのですが……」
ユゼフはあえて、“王女様”と呼んだ。
「なに? なんでも言って」
「じつは……お願いごとがあって参ったのです」
ユゼフは意を決して、口火を切った。彼女の手は温かくすべすべしていて、理性を保つには目をそらして話すしかない。
「お願いごと?」
ディアナの表情が変わりそうになる。ユゼフは反射的に柔らかい手を握り返した。
「ええ。魔国の城にイアンといたサチ・ジーンニアのことです。ディアナ様はお会いになっておられないかもしれませんが、私の友人なのです。ローズ家に仕えていたため、イアンが亡命する時、一緒に魔国までついてきたのですが……」
「……」
「もう三日も意識がありません。医者に診せたいのですが、城内の学匠か医者に外の天幕まで来ていただくわけにいかないでしょうか?」
ディアナはユゼフから手を離し、くるりと壁のほうを向いた。
「サチ……なんたらは謀反人の家来です。私にそれを助けろと? 父を死に追いやり、兄や甥たちを殺した連中の仲間を?」
「サチはイアンの家来ではありません。戦士でもないですし。剣もほとんど使えません。正確にはローズ家で雑用を行う下男のような存在でした。成り行きでイアンに連れられ、魔国まで行ってしまいましたが、謀反には加担していないはずです」
「本当かしら……?」
「本当です。親友なので、わかるのです。サチは謀反に荷担するような性格ではありません。ろくに戦えもしないのにイアンの役に立てるでしょうか? 彼は巻き込まれた被害者です」
振り返ったディアナの目を、ユゼフはまっすぐに見返した。ここは踏ん張らないといけないところだ。
「お願いです。ディアナ様」
「……わかった。伯母様に話してみる」
ユゼフは息を吐いて、肩の力を抜いた。
「ありがとうございます……それと……」
「なに? まだあるの?」
意外にすんなり聞き入れてくれたので、ユゼフの気は緩んだ。
──このことは、言うつもりではなかったが……
ディアナの態度は、もしかして聞き入れてくれるかもしれないと甘い期待を抱かせた。
「あの……外の天幕にいる者たちのことです」
「亜人の盗賊たちのこと?」
「城内に入れないのは仕方ありません。ですが、戦ったことに対する報酬をきちんと支払わねばなりません」
「報酬なら伯母様の侍従から……」
「足りません。あれだけではせいぜい帰りの旅費程度です。もちろん、ディアナ様が主国へ戻られてからガーデンブルグ王家が支払うべきですが、あなた様の伯母である女王陛下にも、少しは負担していただく義務がございます」
当然の主張である。現在、ディアナの保護者はナスターシャ女王だし、前金とはいかぬまでも多少の謝礼は期待していたのだ。こちらは気球やら魔瓶にかなりの金額を費やしている。
「……伯母様は何て言うかしら?」
「説得してください。彼らはディアナ様のために命をかけて戦いました。腕を失った者、亡くなった者もいます」
「でも……あの者たちは盗賊よ。私を助けたのだって金のためでしょ? もともとはカワウの王家に雇われ、私のことを狙って襲ってきたんじゃないの……それに穢らわしい、亜人どもだわ」
ディアナの最後の一言は氷矢のごとくユゼフの胸に刺さり、そのまま心を凍らせた。
「……かしこまりました。ずうずうしく、余計なことに口を出してしまい、申しわけありませんでした……」
ユゼフは感情を消し、ディアナから離れた。
「それでは失礼いたします」
突然、出て行こうとするユゼフにディアナは狼狽した。
「どうしたの? 怒ったの?」
答えない。
「行かないで!」
ディアナが腕をつかんだので、ユゼフは思わず振り払ってしまった。
ディアナは目を見開いたまま固まっている。人から拒絶されることが、生まれて初めてなのかもしれない。何が起こったのか、しばらく理解もできないようだった。
「ご無礼を……」
ユゼフは頭を下げた。てっきり以前のように怒り狂うと思ったが……
拒絶されたことを理解したディアナは目を潤ませた。涙は頬を伝い、間断なく流れ落ちる。
どうすればいいかわからず、ユゼフが立ち尽くしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「ユゼフ、外の連中が呼んでるって。門衛が」
イザベラの声だ。
「ディアナ様、もう行かなくては」
ユゼフは泣いているディアナから離れた。心を痛める自分に腹が立つ。
「あなたの言うとおりにするわ。あなたの言ったように伯母様にもお願いするから……どうか、どうか、嫌いにならないで……」
扉に手をかけたユゼフを悲痛な叫びが追いかける。ユゼフは顔を凍りつかせ、何も言わず、振り返りもしなかった。




