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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)六章 魔国での戦い
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122話 浮遊する記憶(アスター視点)

「よし! 逃げるぞ!」


 アスターは出口へ走った。部屋の半分はすでに溶けている。扉を開けた先の階段が二段ほど消えていた。


「急げ!」


 怒鳴って、飛び降りた。ラセルタ、サチを背負ったクリープ、イザベラがあとに続いた。

 溶ける速度はどんどん増していく。溶けたあと、残るのは白い綿(わた)のような物体だ。駆け下り、外へ出るころには、塔の外壁の九割がふわふわ浮かぶ綿(わた)に変わっていた。

 アスターは背後を気にしながら走った。ラセルタの声が追いかけてくる。


「アスターさん、イアン・ローズはどうするんですか?」

「探している余裕などない! 見ろ!」

 

 振り向いて指差す。そこには驚きの光景が広がっていた。

 脱出して数秒で、塔の上半分は綺麗になくなってしまった。部屋の中にあった家具の残骸まで、煙みたいに消えている。音もなく、綿毛と入れ替わっていた。

 誰かが石盤に描いた絵なら納得できるが、実在していたと思われる立体が、いとも簡単に消えてしまうのは衝撃だった。最初から存在していなかったのでは?……と疑念すら抱いてしまう。


「巻き込まれるのはごめんだ。行くぞ!」


 中庭を突っ切り、城門まで時間はかからなかった。裏口から出なかったのは、そちら方面が謎の綿だらけだったからだ。主殿も他の塔も皆、綿毛の餌食となった。

 アスターは夢中で走り抜けた。城のみならず、外から入り込んだ物まで綿毛は呑み込んで溶かしていく。首をなくした死体、棒きれ、鳥の羽根……髪の毛から石ころに至るまで……何もかも。


 跳ね橋を渡りきったアスターとラセルタは、クリープとイザベラが追いつくのを待った。

 橋の向こう側、彼らの背後には大量の綿毛が迫ってきている。城はほとんど原形を留めていなかった。


 ──ラセルタの言うとおり、城全体が化け物だったのだ。魔甲虫がこの化け物の意識の分身で、それを倒したために消えようとしている……


 それは千切れた穂綿のようにも見えるし、タンポポの綿毛にも、大粒の雪にも見える。

 (はかな)い物体はアスターのそばまで飛ばされてきた。

 ふわり、地面に舞い降りるやいなや、溶けて消える。アスターは飛んできたもう一つに触れてみた。

 

 


 刹那、周囲の景色が変わる。

 アスターは賑やかな町なかにいた。煉瓦で造られた古びた家々が道路沿いに建つ。行商人の荷車が騒々しい音を立て、通り過ぎて行った。道端には野良猫を追いかける少女、半裸の老人が汗を拭い、痰を吐いている。

 幼子の手を引いて歩く頬被りの母親が見えた。母親は道ばたの小さな屋台に気を取られ、立ち止まる。

 魚を売る屋台だ。十歳くらいの少年が大声で呼び込みをしていた。


「おばさん! 安くしとくよ!」


 歯を見せて笑う少年の髪は青く、耳は尖っている。右目尻にほくろがあり、顔立ちには見覚えがあった。


 ──あれは……ユゼフだ……

 

 映像は一瞬だけで、アスターはすぐさま現実に引き戻された。白い綿は次から次に飛んでくる。

 ふわり……今度はアスターの肩に当たって消えた。




 土壁に色の剥げた屋根……アスターがいたのは、粗末な民家の前だった。

 夏……なのだろうか。戸は開け放しており、裏に青い髪の少年と少女二人がしゃがみこんでいる。ときおり、家の中をうかがっていた。

 横切っても、子供たちは無反応だ。彼らにアスターの姿は見えていない。アスターは遠慮なく家の中に入った。

 薄暗い室内には背の高い貴族と従僕、護衛と思われる騎士風の男がいた。貴族の前では、美しい女が涙を流し、平伏している。


 ──ユゼフの父、エステル・ヴァルタンだ


「悪い話ではあるまい。戦争は長引くかもしれぬ。二人の息子に大事があった時、あの子は必要なのだ。貴族の教育が受けられるし、妻の妹である王妃は美しい少年を好むから、もしかしたら王女か王子のそばに仕えさせられるかもしれない」

「……でも……でも、殿様……あの子には亜人の血が流れています。例え下男であっても、あの見た目ではお城には入れないでしょう?」

「構わぬ。髪は染めさせるし、耳はちょん切ればよかろう」


 エステル・ヴァルタンは笑って答えた。




 そこで、アスターは跳ね橋のたもとに戻った。

 城壁もほとんど消え、綿に埋もれた城は幻のようになっている。クリープとイザベラが跳ね橋を走っていた。

 高台に造られた城には、正面にのみ空堀が設えてある。


 クリープはイザベラを先に行かせた。彼が一歩踏み出すごとに、すぐうしろの橋桁が消えていく。

 足下の堀は、がらんどうだ。子供の作った落とし穴程度の深さだったはずが、今は底の見えない大きな闇が口を開けている。不思議な綿はこの丘陵ごと消し去ろうとしているのかもしれない。

 アスターは剣を振り回して、綿を散らした。手伝えることはそれぐらいだ。

 イザベラが渡り終えたあと、橋の際部分が消えた。


「早く! 早くしないと橋がなくなってしまうわ!」


 クリープがいる所から地面までは、ほんの二キュビット(一メートル)だ。

 足場が消えてしまったため、岸まで飛び越えなくてはならない。背中のサチは包帯を脇と膝下に通され、クリープの体に固定されている。

 クリープは飛ぼうと腰を少し落とした。やや、ふらついている。相手が女性と変わらぬ体型とはいえ、おぶった状態でこの長距離を走ったのは驚異的なことだ。今さらながら、アスターは目を見張った。

 次の瞬間、クリープの足元が消えた。飛んだ直後、バランスを崩し、地面に到達した足がすべりそうになる。


 ──落ちる!


 空を掻いた彼の腕をアスターはつかんだ。


「あ、ありがとうございます」


 眼鏡の朴念仁はアスターの目を見ずに礼を言った。

 アスターはこの男の卑屈な態度が気に入らなかったが、無言で彼の体に少年を結びつけている包帯を解き……サチを背負った。

 アスターに切りつけられて、クリープは大ケガを負っていたはずだ。それにもかかわらず、ほとんど死んでいるサチを背負って逃げた。

 助けても得にならない。助けたところで息を吹き返す確率はほとんどゼロである。危険を冒してまで助けるのはなぜか?……疑問が湧くと同時に、危機的状況下で自分だけ逃げようとしていたことが、アスターは恥ずかしくなった。


 跳ね橋から離れ、地面を踏みしめると気が緩む。 

 アスターたちは丘を下り始めた。麓の村では、灰色の煙が何本も立ち上っている。

 作戦は決行されたのだろう。村に残されたレーベやジャメルたちの安否が気になる。


 ──レーベ……生きてろよ


 心の中で叫ぶ声が聞こえ、アスターは素の感情を理屈でごまかした。


 ──あいつらが死ねば、私の判断が間違っていたことになる。今までの経験則を否定されたことになり、生き方を考え直さねばならぬからな?


 強がる気持ちに賛同してか……急に強い風が吹き付けてきた。


「伏せて!!」


 クリープが叫んだ時はもう遅かった。顔を後ろに向けたとたん、大量の綿毛が押し寄せてくる。

 アスターの意識はとんだ。




    † † †


 産まれたばかりの青い髪の赤ん坊……酒ばかり飲んで働かない父親……病気がちの美しい母親……。

 やがて、青い髪の少年は妹を連れて、屋台で魚を売るようになる。

 ある時、立派な風体の貴族が粗末な家にやってきて、強引に少年を連れ去っていった。

 耳の先を切り落とし、髪を黒くした少年を待っていたのは、厳しすぎる躾と暗闇……


 ユゼフが産まれてから成長するまでの過程が、アスターの前で展開されていく。路上で魚を売り、貴族の家へ引き取られ……アスターは少年の半生を体感していた。


 ──これは、ユゼフの記憶なのだろうか?……いや、誰かがずっとユゼフを俯瞰していた。その記憶だ。おそらくこの化け物が……


 答えを出そうとしている間に少年のユゼフは消え、今度は城のバルコニーにアスターは立っていた。

 下では大勢の民衆が手を伸ばし、何やら叫んでいる。彼らは一枚布をまとい、肩のところで留めているだけの簡易な服装だ。まるで演劇に出てくる昔の人。三百年前、外海から新国民がやって来る以前の民の姿だ。

 歓声を上げ、両手を合わせて拝む者、涙して平伏す者、民衆はアスターを見て歓喜している。


「王様! エゼキエル様!」


 彼らの旧語を聞き取ることができた。


 ──これは……王の記憶か……


 ピンときた。すると、アスターの目の前は真っ白になった。





「アスターさん! アスターさん!」


 声が聞こえる。自分を頼りなげな腕で支えるラセルタの顔が見えた。アスターは倒れそうになって、しゃがみ込んでいたのだ。

 意識が戻るなり、気持ちが悪くなった。

 背負っていたサチを地面に置き、草っ原に嘔吐する。膨大な記憶に脳をかき回され、クラクラする。


 ──見てはいけないものを見てしまった気がする……

 

 記憶だけではなく、ユゼフの感情や心の声も無造作に入り込んできた。化け物とユゼフは無意識下でつながっていたのである。

 口を拭いて、なんとかいつもの自分に戻ろうとするが、


「サチ!」


 イザベラの声にアスターは飛び上がりそうになった。地面に置いたサチが手を伸ばしている。


 ──まさか!? 戻ってきたのか!?


 サチは目を開け、唇を微かに動かした。上に伸ばした指の先は厚い雲に覆われた空を指している。


 突如、雲がぐるぐるトグロを巻き始めた。

 動きは徐々に荒々しくなり、渦巻きは大きく広がっていく。渦巻きの中心から少しずつ青空がのぞき始めた。存在を誇示するかのように青空は雲を押しのけ……

 とうとう太陽が顔を見せた。魔国では絶対に陽が差さない──誰でも知っている通念が崩れ去る。奇妙な現象が現実なのか確かめようと、アスターは手をかざし、(まぶ)しい空を仰ぎ見た。


 ──いったい、なんなのだ!? 次から次に何が起こってる?


 城のあった場所は太陽に照らし出された。陽光に当たった綿毛は、一瞬強くきらめいた後、消滅する。あとには、光を含んだ空気が余韻を残した。


「きれいだ……」


 (きら)めきは一つに集まって立ち上り、雲の穴へ呑み込まれていった。

 キラキラがあっという間に消え去れば、穴は塞がれ、空はまた厚い雲に覆われる。城の姿は跡形もなく、丘の頂上部分まで削られた。剥き出しの地面が台形に広がっている。

 

 サチは腕を下ろし、ふたたび瞼を閉じた。アスターはサチの口元に耳を近づけた。


 ──呼吸してる……息を吹き返したのだ!


 手首を触ると弱々しくはあるが、規則正しく脈打っていた。


「おい、起きろ! しっかりしろ!」


 アスターはサチの体を揺らしたり、頬を叩いてみたりした。


「ちょっと! 乱暴なことしないでよ! 動かさないほうがいいわ!」

「うむ……? そうなのか?」


 ものすごい形相のイザベラに肩をつかまれ、アスターは素直にやめた。


「あっ!」


 次に声を上げたのはラセルタだ。


「なんだ!? 今度は何事だ!?」

「……ケガが治ってる」

「!?」

「そこにいるお嬢様に脇腹を蹴られたあと、アバラに違和感があったんですが、今はなんともないです。クリープにやられた両肩の打撲も全然痛くないし……」


 クリープが横から口を挟んだ。


「僕もです。斬られた肩の傷が……治っています……背中のも……」


 アスターは言葉を失った。

 ラセルタの無邪気な声が耳腔を過ぎていく。


「ユゼフ様はやっぱり、エゼキエル王の生まれ変わりなのかも……だって、さっき白いものに触れた時、見えたんです……」

「言うな! 生まれ変わりだろうが違かろうが、ユゼフはユゼフだし、今までもこれからも変わらない」

「でも、転生しようとしているのを阻止してしまったのだとしたら?」

「知るか! エゼキエル王は魔王になったのだ。そんなもの、目覚めさせないほうがいいに決まってる!」

「エゼキエル王は亜人や旧国民の王ですよ」

「魔国に堕ちてからは魔族の王だ」


 ラセルタは不満げに唇を尖らせている。


「あんな幻、忘れろ。ほら、凱旋(がいせん)だ」

 

 麓の村から数人、手を振って走ってくるのが見えて、アスターは頬を緩めた。

カットしたディアナ視点↓↓

https://book1.adouzi.eu.org/n8133hr/34/

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは! 黄札さんの作品、第131話まで拝読しました〜♡ ∑(゜Д゜)東塔にいる古代の…イアンも慄くほどの存在とは!?ハラハラ((((;゜Д゜))))))) 髭のステキな♡オジサマ達の…
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