119話 精霊の御名を汚す……(アスター視点)
クリープの話だと、虫の大群はあっという間に城内を埋め尽くしてしまった。
イザベラに魔法で守ってもらい、イアンたちはジッと息を潜めることになる。主殿の部屋という部屋のすべてが黒い虫で覆われ、辺りは真っ暗になった。次の日の朝までその状態は続いたという。だが、幸運にも虫はひとところに留まらず、微光が差すころには一匹残らず消えていた。
黒い虫というのは魔甲虫だろう。気の毒に、村の人たちはコレのせいでアンデッド化してしまったのだ。それとあと一つ、抜けている点がある。アスターは脅しに使ったダガーをしまい、尋ねた。
「ん? 出かけていたサチはどうなったのだ? 戻った時、城がそんな状態では……まさか……」
「ええ。ジーンニア様は虫に寄生されました」
「じゃあ、助かったのはおまえらだけか……?」
友人が亡くなったと聞いて、ユゼフは落胆するだろう。イザベラにはサチが囚われていると、嘘をつかれたのだ。
馬鹿許すまじ──アスターはイアンをつなぐ縄をギュッと握りしめた。怒りのオーラを感じ取ったのか、イアンが反応した。
「サチは死んでない」
「ああ、立派なアンデッドとなって生きてるだろうな? 息の根を止めてやったほうがいい」
「ちがうんだ! アンデッドっぽくはないんだよ! サチはサチなんだけど、サチじゃなくて……」
「そうだな、腐っていくからな? おまえのせいで、そうなったんだから、自分の肉を食わせてやったらどうだ?」
アスターは嫌味たっぷりに言ってやった。大事件を起こした張本人が、のうのうと生きているのは腹立たしい。
「ちょっと、かじられた」
「げっ! じゃあ、おまえも感染してるのか!?」
アスターが飛び退いたので、後ろにいたクリープにぶつかってしまった。クリープがバランスを崩し、両脇にいたアキラとラセルタまで倒れ込んだ。
「アスターさん、何やってるんすか!?」
「あー、すまぬ、すまぬ……アンデッドに噛まれると、通常はアンデッド化するだろう? 魔甲虫が原因の場合は違うかもしれんがな」
怒るトカゲの子に謝り、アスターは起き上がるのを手伝った。その間、逃げる絶好のチャンスというのに、イアンはおとなしく待っていた。
──それにしても調子が狂う。とんでもないことを、しでかしているというのに、当の本人は悪意の欠片もないんだからな? ユゼフが助けたがっていたのが、なんとなくわかる
気を取り直して歩き始め、クリープが続きを話してくれた。
「イアン様のおっしゃることは、必ずしも間違いではございません。ジーンニア様は魔甲虫に寄生されても、アンデッド化せず、魔王に身体を乗っ取られた状態なのです」
「じゃあ、今、東の塔にいるのは……」
「身体を乗っ取られたジーンニア様です。魔物たちを操っているのも、王女様をさらってこいと命じたのも彼です」
「なるほど、そういうわけだったのか」
やっと、アスターは得心した。かといって、最悪な状況は変わらないのだが。
「奴の狙いはぺぺ……ユゼフなんだ! だから、ディアナ様をさらったんだ!」
「む? なんでユゼフが?」
イアンが横やりを入れたせいで、また訳がわからなくなる。背後から、クリープの感情のこもらない言葉が追いかけた。
「魔王はイアン様から聞き出し、使い魔を使って、カワウの王城におられた王女様を探しに行かせました。魔王の話だと、王女様はアフロディーテ女王、かつて魔王と敵対していた主国の女王の生まれ変わりだそうです。そして、王女を殺しに行った魔王は、その近くにいたユゼフ殿に興味を持ったのですよ」
「完全に転生するためにはペペの体が必要らしいんだ。それで、ディアナ様を捕まえて、ぺぺをおびき出そうってことになった。俺がペラペラ余計なことを言ってしまったばっかりに……」
また、イアンが話の腰を折る。アスターは怒鳴りつけた。
「なら、少しだまっとけ!……つまり、こういうことか? 封印を解かれ、蘇った魔王は転生を遂げるためにユゼフの肉体を欲している。ユゼフをおびき出すために、ディアナ王女をさらった、と」
「そうです」
「腑に落ちぬのは、どうして最初からユゼフをさらわないのだ? わざわざ、回りくどいやり方をするわけは?」
「使い魔は大きな力を持ちません。同意のうえか、自分より弱い存在でなければ、連れて来ることができなかったようなんです」
「ふむ……あと、イザベラだ。あいつも魔王に取り込まれたのか? どうして、ユゼフを誘い出すようなマネを?」
「それは僕にもよくわかりません」
「イザベラはサチが好きなんだよ! ぺぺが代わりに体を乗っ取られれば、サチは助かる。だから、魔王に協力してるんだ」
イアンの言葉で、謎はすべて解けた。サチの体を我が物とした魔王は、ユゼフを得ようと戦の準備をした。イアンはユゼフを逃がそうと、話し合いを拒絶。イザベラはユゼフにこっそり城の見取り図を渡して、サチを助けるよう促した。各々、別の思惑でバラバラに行動していたのだ。
イアンの背中を眺め、アスターは歯噛みする。ユゼフがイアンと面会する時に同行していれば──イアンのこの様子だと、状況を聞き出すのはそんなに難しくなかったかもしれない。
それにしても、綺麗な背中だ。姿勢も良い。痩せているのに筋肉質。筋肉は偏ることなく、まんべんなく骨についている。
「俺のせいでサチは……」
元気のない背中にアスターは手を当てた。イアンは触れられたことで、少しビクッとする。
「イアンよ、自らの判断により、戦場で人を死なすことはある……だが、すべての罪は懺悔すれば必ず許されるのだ。精霊の御名を汚すような、生まれながらに持っている清き心に嘘をついて、自身を裏切るような判断をした場合だけ、永遠に背負わねばならぬ」
アスターの父性が目覚めていた。このような馬鹿でも、まともな大人が導いてやれば更正できるのではないか、そんな気がしてくる。
話しているうちに、扉の所まで着いた。ここから城内に戻れば、東の塔までは目と鼻の先だ。アンデッドの気配がないことに、アスターは眉を下げて安堵した。全頭、麓の村へ下りて行ったのだろう。
アスターはイアンの前に出て扉を押した。内周壁を抜けると、すぐ正面に黒い塔の外壁が見える。
横に並んだイアンが、まじまじと自分の顔を見ていることに気づいた。
「アスター様……本当にあのアスター様?」
「そうだと言っておろうが」
「あの、俺……あなたのお顔を見ようと、王城の正門の前で待っていたことがあるんです」
「出待ちか。そういや、城門の前にわらわら女やガキが集まってることがあったな? やっぱりおまえ、ファンだったではないか?」
「いつも、馬車に乗って出てくるし、外を見ようともしてくれなかった」
イアンは唇を尖らせる。アスターは憎からず思う。
「仕方あるまい。そんなの毎日、相手をするわけにはいかぬ」
「一度に百人を斬り殺したっていう話は? カワウの王子を討ち取った時は本当に一人だったのか?」
「一度に百人は無理だろうが? 魔人か、私は? 敵陣に乗りこんだ時は少人数だったな。一人ではない。聞きたいなら、おいおい話してやろう」
「……俺の継父はほんとにクズでさ、ゴマスリしか特技もない、家名を笠に着てエラそうにする、そんな小者だったんだ。体は鍛えていないし、痩せていてもだらしない体つきだよ。いつも、作ったような愛想笑いを浮かべて……。だから、俺はあなたのような英雄にずっと憧れていた」
目をキラキラさせるイアンを見て、アスターはなんとも言えぬ気持ちになった。八年戦争で戦功を上げて帰国した後、アスターは英雄と称えられるようになった。しかし、息子の死がアスターを後ろ向きにさせていた。そのころのアスターは、ディオンと同じ年頃の少年を避けていたのである。憧憬の眼差しを向けられ、声をかけられても無視していた。周りからは高慢で冷たい人間と思われたことだろう。
──私が少年時代のイアンと交流を持ったなら、非行にも走らず、こんな大事件を起こすこともなかったかもしれない
こんなことまで、アスターはしみじみと考えてしまうのであった。だが、イアンの言動は斜め上を行く。穴があくほどアスターを凝視してから、
「やっぱ、イメージとちがう……学院生のころ、チラッと馬車に乗ってるところを見たけど、もっとカッコ良かった」
「おいっ! 貴様っっ!」
「こんな薄汚いムキ豚オヤジじゃなくて、もっと立派な貴族っぽい感じだったんだけどなぁ……」
うしろでクスクス、ラセルタとアキラ、盗賊のガキどもが笑っている。たしかに、放浪生活が長かったために小綺麗ではなくなっているかもしれない。しかし、薄汚いムキ豚オヤジとは言いすぎだ。
「アスターさん、今では浮浪者ですもんね。最後にお風呂に入ったのはいつです?」
「アスターは英雄には見えねぇよな? 見るからに殺し屋か賊だよ」
背後でトカゲとガキの頭領がこんなことを言って笑う。アスターはキレた。
「貴様らっ! ろくに読み書きできぬ不良少年どものくせに、人の見た目をどうこう言うんじゃないっっ!!」
バリバリバリッ!!
と、派手な破壊音がして、本当に雷が落ちたのかと思った。見上げると、塔の頂上から黒い竜巻が昇っていく。いや、竜巻というには邪悪すぎる。霊魂か。苦痛に満ちたたくさんの人の顔が見えた。螺旋を描く悪霊の集合体が塔の屋根を突き破っているのだ。屋根の破片を巻き込んで、一気に灰色の空へ吸い込まれていった。
「なんだ!? あれは?」
「あれは使い魔のシャドウズだ! まだユゼフの体に入ってないかもしれない。今から行けば間に合う!」
イアンが答える。アスターは即座に切り替えた。
「よし! 急げ! 走るぞ!!」
ユゼフはまだ奪われていない。もう二度と失うものかとアスターは奮起した。




