115話 憧れのひと(アスター視点)
(登場人物)
アスター……成り行きでついてきた長髭のオジサン。
ラセルタ……トカゲの特徴を持つ亜人の子供。
アキラ……盗賊の頭領。眉間から右頬にかけて刀傷。
バルバソフ……盗賊の副頭領。熊のような大男。
イアン……謀反を起こして逃げてきた赤毛。
クリープ……イアンの家来。空気。
──すでにイアンと対峙しているかもしれない。
イアンがいくら強いといっても、アキラとバルバソフの二人ならイケるだろう。あの二人も馬鹿だが、そこそこ強い。ユゼフとエリザの話では、イアンは護衛をつけずに一人で行動していたというし……いいや、クリープを侮ってはいけない。得体の知れない奴は、何か隠し持っている可能性がある。
クリープの存在を思い出したアスターは足を早めた。クリープだけではない。
「ラセルタ! 魔人の気配は感じるか??」
「……今、感じたところです! 近いです! しかも大きい!」
「くそっ……走るぞ!」
目指すは主殿の裏側。玉座の間のステンドグラス。そこから入り込めると、ユゼフが教えてくれたのだ。光を背に受け、輝くメシアと全身にたくさんの目を持つケルビムが描かれた──
「見えた!! あそこだ!!……あ、こらっ! 待ちなさいっ!!」
ラセルタがアスターを追い越して行ってしまった。伸ばしたアスターの手はスカッと空をつかむ。地を這うようにして、ラセルタが移動するさまはトカゲそのものだ。アスターは全力疾走した。
若いころ、道路に飛び出す幼児を助けに走ったことがある。距離はあるが、その時と同じ──
ステンドグラスの前に着いた時、アスターは息を切らしていた。崩れ落ちそうになったのは安堵したからだ。ラセルタは先に行かず、待っていたのである。
「ゼェゼェ……先に行くなと……」
「ちゃんと待ってましたよ」
つぶらな瞳は恐れ知らず。怒る気すら失せる。アスターは威厳を保つために胸を反らした。
「“待て”ができるようになったことは誉めてやろう。だが、言いつけられてもないのに、大人の先を行ってはいかん」
「なんでです? まえにオレも大人と同じって、言ってたじゃん」
「う……この場合の大人というのはな……年長者という意味だ。年長者や目上の人間をもっと敬わねばならぬ」
「年長者? 目上の人?」
何も考えていないように見えて、小動物は賢い行動を取ることもある。トカゲの尻尾切りや体温調節なんかもそう。アスターはラセルタのドングリみたいな瞳が、ころころ動くのを見た。
この子はアスターの普段の言動をよく見ていて、尊敬に値するかどうか見定めようとしている。若干、後ろめたいアスターは押し切ることにした。
「社会のルールだ。それを守らねば、出世したくともできぬ」
「よくわからないけど、年寄りには優しくしろってことですね。わかりました」
まったく伝わっていなかった……
しかし、今はそれどころではない。ステンドグラスの向こうから、剣を打ち合う音が聞こえてきた。
「む? 始まってしまったようだ。戦っているぞ! 中へ入って助けなければ……」
全身にいくつもの目を持つケルビム。カラフルなガラスは、ケルビムの姿を美しく形作っている。ユゼフの話では、ケルビムの足の代わり、車輪の部分が取り外しできるとのこと。
すでに、誰かが入ったあとなのだろう。車輪の部分にぽっかり穴が空いていた。この穴から中へ入れば……
「狭い!! 入れぬ!!」
「そりゃ、無理でしょう……オレが様子を見てきましょうか? オレなら難なく通れるし」
「一人ではいかん。敵の正確な数がわからんのだし、危険だ」
「なんでですか? やっぱり、オレのこと、子供扱いしてるじゃないですか?」
「頭を使え。今、ここでおまえを無駄死にさせては損をするから、そう言うのだ。死ぬことで利になるのなら、そうする」
「じゃ、どうするっていうんです?」
「火をおこせ。ガラスは熱に弱い。破片で手を傷つけないように割る」
冷酷なアスターは、ラセルタが子供だから守ろうとしているのではなかった。しかしながら、共に戦ったことで多少なりとも情が芽生えてきている。過去の経緯のおかげで、アスターの優しさは気づかれずに済んだ。
剣をかち合わせる音は間断なく続いた。火打ち石の音が、いっそう乾いて聞こえる。早く早く──
カチン、カチン……
火口に着火し、メラメラ燃え始めた火を数ヶ所ガラスに当てる。ラセルタの荷物にあった包帯。それで拳をグルグル巻きにして、アスターは熱されたガラスを軽く殴った。
ガチャン!!
メシアは粉々に砕け散った。
「やった!!」
小躍りするラセルタは、アスターが言い聞かせてきたことをすっかり忘れていた。体についた破片をはたき落としていたアスターを置いて、先に中へと走っていく。
「おい、こら!!」
広間は静まり返っている。なんの心づもりもせず、追ったことをアスターはすぐに後悔した。
埃の積もった室内は外より薄暗い。泥で汚れた床の上に首が二つ転がっていた。
一つはライラという妖精族の娘。近くに首のない鳥女が倒れていたので、こいつが娘の頭を持って行ったとみて間違いないだろう。くたばってくれたのはよしとして、もう一つは……
「バルさん……」
ラセルタの声がよく響く。人生で何度目の後悔だろうか。アスターは奥歯を噛み締めた。
顔半分を覆う濃い髭。バルバソフ──
バルバソフの顔は血の毛を失っており、瞼も固く閉ざされていた。いつもはつり上がっている太眉が下がっている。
馬鹿笑いしているか、怒っているか、どちらか両極端だった。こんなに穏やかな表情は初めて見る。
城に忍び込むのを、バルバソフはぎりぎりまで拒否していた。任せたいと言って聞かなかったのはユゼフだが、最終的に背中を押したのはアスターだ。
──私がバルバソフを殺したと言っても、過言ではない……
近くには、体中に歯形を付けたカレンの遺体も落ちていた。こちらは惨い。猛獣の玩具にされたあとだ。鳥女の仕業だろう。行方不明のカレンは鳥女にさらわれていたのだ。鳥女を倒したのは死んだバルバソフか、それとも……?
奥にいた二つの人影が揺れた。打ち合いの音の主らだ。
ラセルタは破片をブーツで蹴りながら、ずかずか中へと入っていく。不本意ながら、ラセルタが作った道をアスターは歩いた。
両開きの扉の近くに、小さなテーブルが置かれてあった。干からびた花が揺れる。
イアン・ローズは大きな目を見開き、アスターたちを凝視していた。
その前に跪いているのはアキラだ。腹から大量に出血している。血溜まりを見て、アスターは助からないだろうと思った。来るのが遅かったのだ。
イアンに気づいたラセルタが「あっ!」と叫んで指さした。
「赤毛! イアン・ローズみっけ!」
「こら! 指をさすんじゃない! 行儀悪い」
ついに我慢できなくなったアスターは怒鳴った。その拍子にイアンと目が合う。
イアンは突然の侵入者に戸惑っている様子だった。
燃えるような赤毛と、成人男性より頭一つぶん高い身長。抱いていたイメージより、だいぶ痩身である。
イアンは目をギョロつかせた。感情がそのまま顔に出るタイプなのだろう。なるほど、醜くはないが、ダモンに似ている。わかりやすい。
「何者だ!?」
「私はダリアン・アスターという。おまえより段違いに有名だから、名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「……ダリアン……アスター!?」
イアンの表情が動揺から狼狽へと変わる。赤毛を逆立たせ、薄い唇をワナワナ震わせる。ここで狼狽してみせても無意味だから、演技じみた反応は素であろう。こいつ、大丈夫かと心配するほど感情的だ。バルバソフ、アキラ以上に脳内ダダもれ──
王女の誘拐は彼が意図したことではない。他に聡い黒幕がいることを、アスターは改めて確信した。
イアンはアスターをまじまじと見たあと、顔を歪ませた。今度は猿っぽい。
「嘘だ! 貴様がアスター様のわけがない!」
──私も数年前まで、主国ではそこそこ有名だったし……まあ、騎士たちの憧れだったのは昔の話だが
アスターはイアンの拒絶反応を見て、吹き出してしまった。
「何がおかしい!?」
「赤人参よ、おおかたおまえは私のファンだったのだろう?」
イアンは唇を噛んだ。図星だ。馬鹿はわかりやすくて助かる。
──だが、容赦はせぬぞ? バルバソフを殺ったのは貴様だろう? 謀反にしたってそうだ。貴様は踊らされてるだけだろうが、そのせいで人が死ぬ。命をもって償え
「……違う! 俺はファンなんかじゃないっ!!」
イアンは必死の形相で否定する。身長は並外れて高くても、顔は童顔なので可愛げがある。馬鹿なだけで“悪”ではないのだろう。アスターは湧きそうになる憐憫を抑え込んだ。
「まあ、そんなことはどうでもいい。おまえはすぐ死ぬのだし……」
つぶやき終えるまえに、アスターは床を蹴ってイアンのほうへ走った。
驚いた顔のイアンは横に避ける。それを尻目にアスターが向かったのは、クリープの前だった。
クリープの左肩から右のみぞおちにかけて、瞬息のうちに二回斬りつけた。一回目は着込みを切り裂くためである。二回目は血が飛び散った。
「少しぐらい避けようとしろ! 鈍い奴め!」
言いながらラヴァーに付いた血を払い落とし、アスターはイアンに向き直る。
「邪魔されると、鬱陶しいんでな? 弱い者いじめは好きではないが……ラセルタ! アキラを頼む!」
イアンが構えるや否や、アスターはふたたび走り出した。戦いの始まりだ。情を捨て、ただ獲物を追うだけのモンスターになる。
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