107話 どちらを取るか②(ディアナ視点)
ディアナが追いついてから、イザベラは扉を開けた。ところが……
早く危険な場所から逃れたいのに、前へ進めない。
イザベラは開いた出口の所で、動かなくなってしまったのである。
「何をしているの? さっさと進んで!」
さっきの仕返しとばかり、ディアナは声を荒げた。前にふさがって、動かないイザベラの肩を乱暴につかむ。
怒りのおかげで抜けた腰は治った。ディアナはイザベラの肩越しに、扉の向こうを覗き込んだ。
「え……誰??」
そこには、血まみれの兵士がしゃがみこんでいた。
どれだけ壮絶な戦い方をすれば、そうなるのだろう……上から下まで赤く染まっている。彫像に赤い絵の具をぶちまけたのかってぐらい……
ディアナの声に反応して、兵士が顔をあげた。血に濡れた頬……青灰色の目を向ける。
「王女様、ご無事でよかった」
女の声だ。
「エリザベート!? エリザなの?」
エリザはうなずき、立ち上がった。ディアナは口に手を当て、絶句する。
エリザは軽装で、胴鎧しか身に付けていない。鎧で守られていない腕や太股は傷だらけだった。
「なんて酷い……イザベラ、傷を見てやって」
「今は無理です。早く城の外へ出なくては……」
「でも、顔に傷がついているわ。顔だけでも、すぐに見てやって」
イザベラはしぶしぶ、エリザの顔の傷を確認した。
「出血はありますが、皮膚の表面を薄く切られただけだから、ちゃんと手当てすれば傷跡は残らないでしょう」
「気球に医療品が積んであるから大丈夫です」
エリザはしっかりした口調で言った。ディアナは涙ぐむ。
「……ごめんなさい、私を助けるためにこんな……」
「王女様、大丈夫です。血が出ているだけで、たいしたケガじゃありません。先ほど、西の塔の近くでバルバソフに会いました。出口まで戻れば王女様に会えると聞いて、ここまで参ったのです。これからはバルバソフの代わりに、アタシがお守りいたします」
エリザは剣の柄をポンと叩いた。こんな傷だらけの娘に「守る」と言われても説得力は皆無だが、ディアナはウンウンと繰り返しうなずいた。自分のためにここまで尽くしてくれた、そのことに胸を打たれたのである。
「おしゃべりしてる暇はないわ。さあ、先を急ぎましょう」
イザベラは膜の中にエリザを入れ、早足で裏門を潜り抜けた。
丘を下りた所に気球は準備されてあった。
村を囲んでいる石塀の影に、すぐ飛び立てるよう気嚢が膨らませてある。魔術の一種だろうか。白い雲に覆われ、近くに来るまで見えないようになっていた。
「王女様、お待ちしておりました」
気球の操縦士はゴンドラに寄り掛かりながら、ディアナに頭を下げた。左足には棒が縛りつけられている。盗賊というより、気の優しい下男といった風体の中年男だ。
「ホスローは足を骨折しているため、ひざまずくことができません」
エリザが説明する。血まみれのエリザを見て、ホスローは驚いた。
「エリザ! 酷いケガじゃねぇか……!」
「大丈夫だ。たいしたことない」
「……んなわけあるか……離陸したら、すぐに手当てしてやるからな」
離陸に時間はかからない。ホスローが最初に乗り、ディアナたちは順番に乗り込んだ。
エリザが地面に五つの杭で固定しているロープを切っていき、最後の一本を切り終えると気球に飛び乗った。
縛りつけるものがなくなった気球は、一気に浮かび上がる。
足下の景色が、みるみるうちに離れて行った。
もう安全だと緊張から解き放たれたディアナは、皆の顔を見回した。
イザベラ、弟のニーケ、侍女のミリヤ、エリザベート、ライラという亜人の娘、操縦士……自分を除いて六人である。亜人の娘と操縦士以外は見知った顔なので、気を張る必要はない。
気持ちが落ち着いたところで、湧き上がってくるのはイザベラへの怒りだ。見ると、イザベラは下を向いて唇を噛んでいた。
──なによ? 私を守るのがあなたの存在理由でしょうが。傷を負ってまで、助けに来てくれたエリザと比べて、この人ったらいつもいつも……さっきの態度、許せないわ!
イザベラとは幼いころからの付き合いなので、ケンカは日常茶飯事だ。負けず嫌いで気の強いイザベラと、ディアナが激しく言い争うのは珍しくない。
家臣、女友達と言うには微妙。ライバル同士と言ったほうが、妥当かもしれなかった。
しかし、こんなにいつも腹を立てているのに……ディアナはイザベラがそばにいないと、不安で堪らなくなる。
婚約儀式のため、カワウへ行くことになった時、先約があると同行を拒否され、泣きそうになった。
だから、魔国で出会えた時は本当に嬉しかったのだ……それなのに……
──私は王女なのよ? 泣いて謝るまで、絶対許さないんだから
イザベラを見据え、何か言ってやろうとディアナは身構えた。すると、こともあろうか……イザベラのほうから顔を上げ、ディアナを見てくるではないか。
バチバチと視線がぶつかり合った。
「ディアナ様、やっぱりわたし、ムリです!」
「!?」
「幼いころから、ディアナ様をお守りしろと言い聞かされて育ちました。それがわたしの生きる理由、前世からの役目だと……自分でもそのように思って、今までおそばで見守ってきたつもりです」
「何を言ってるの!?」
「ですが、運命の人に出会いました。彼を置いて逃げることなんて、わたしにはできませんっっ!!」
言うなり、ゴンドラに手をかけ身を乗り出した。
「え!?」
イザベラは、そのまま飛び降りてしまった。
気球はすでに二十キュビット(九メートル)以上、浮上している。そこにいる皆が、唐突過ぎるイザベラの行動に息を呑んだ。普通なら大ケガか、死んでもおかしくない。
イザベラは魔術により強い風をまとい、丘の上まで流されてから地面へ落下した。丘の傾斜を少しの間、転がり、何事もなかったかのようにむっくり起き上がる。
「待ちなさい!! イザベラ!……気球を着地させて! 誰かあの馬鹿女を連れ戻して!!」
城のほうへ走り出したイザベラを見て、ディアナは叫んだ。
操縦士ホスローが困った顔でエリザを見る。エリザは少し考えてから、ホスローに尋ねた。
「戻ることはできるか?」
「地上へ戻るとガスを無駄にしちまうが、グリンデルまでなら、なんとか持つと思う」
エリザは、狼狽するディアナに向き直った。
「アタシが連れ戻しに行きます。ご安心を。すぐ着陸の準備をさせますので」
「そんなのダメ! あなたは私を守るんでしょう?」
ディアナは感情的になっていた。イザベラがいないのに、エリザまでいなくなったら……不安で押し潰されそうになる。
「では……」
「……いいわ。助けに行かなくても。死ねばいいのよ、あんな子……私より男を選んだんだから……」
心細くて泣きそうだったが、ディアナは必死に涙をこらえた。見捨てられたことに対する悔しさのほうが勝っている。
への字に曲げた口を固く握った拳で隠す。拳はブルブル震えていた。自分でもそれが怒りなのか、悲しみなのか、恐怖なのか……よくわからない。
「よろしければ、私が行きましょうか?」
ニーケに付き添っていたライラが口を開いた。
ディアナは突然の申し出に目を見開く。
「城の中はよく知っています。それに、私もイアン様のことが心配ですから」
「ライラ、行かないで!」
ニーケがベソをかき、ライラにしがみついた。
「大丈夫。ベラを連れ戻したら、一緒にグリンデルへ向かうから。そしたらまた、木の剣で遊んであげる」
ライラはニーケを抱き締め、額にキスをした。予想外の出来事にディアナは硬直する。
親密すぎる……
王族が下々の者と過度に触れ合うことは有り得ない。しかも、亜人と……
──なんだか姉弟みたい。私となんかよりずっと……
猛烈な対抗心が湧いてきて、ディアナは目をそらした。腹違いとはいえ、弟のニーケをディアナはかわいがっていた。年の離れた上の兄弟たちよりも、よっぽど姉弟らしい。ニーケを取られたように思った。
エリザがライラに尋ねる。
「いいの? 危険なのはわかってる……よな?」
「ええ」
ライラはふんわり微笑む。美は正義だ。ちょっとした動作で光がこぼれる。うっかり視線を戻してしまったディアナはまた目をそらした。
そらした先のエリザは唇を歪めている。納得してないのだろう。だが、歪んだ顔をホスローに向け首肯した。




